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第三章 始まりの火花⑦

 自室に戻った時には、すでに夜も深くなっていた。

 扉を閉めると、ようやく外の音が切れる。静かだった。廊下を行き交う足音も、遠くの話し声もない。机の上に置かれた魔光灯だけが、狭い部屋の中をぼんやりと照らしている。

 フリントはしばらく扉にもたれたまま動かなかった。連日ずっと街と学院の中を歩き回っていたせいで、身体には鈍い疲労が残っている。だが、頭の奥だけは妙に冴えていた。目を閉じても、見たものと聞いた言葉が次々に浮かんでくる。

 アルベルト・グレイン。

 セリウス・ハルバート。

 クロウ・ヴァーディン。

 三つの名前が、机の上に並べた札みたいに頭の中に浮かぶ。

 彼はゆっくりと机へ歩き、椅子を引いた。腰を下ろし、両肘を天板につく。指を組み、その上に額を押し当てながら、連日の調査を順番に思い返していく。

 まず、アルベルト。

 上級生。剣術科。毎年選抜戦の常連で、今年も優勝候補の筆頭。堅実で、隙がなく、無理をしない。負けないための戦いを徹底する剣士。シエラと同じく基礎を積み上げたタイプだが、あちらは勝つために危険な糸を踏むことを恐れないがアルベルトは違う。勝ち筋を拾い続けることには長けていても、賭けに出る強さがない。少なくとも、フリントの目にはそう見える。

 あの男は普通に見えた。真面目で、努力家で、周囲から評価される優等生だった。だが、その普通さの裏に何かがあるかもしれない。しかし今の段階ではただの競技者にしか見えないのもまた事実。ただ、この2回のやり直しをした中で確実に決勝に上がっているから気になる部分ではある。

変わらない未来を知ってしまったからこその少年の考え方だ。

 次に、セリウス。

 アイシード本部から派遣された技術者。特別調整室の設備監修者。装置の構造を知り、夜間の出入りも不自然ではない立場。条件だけ見れば十分に疑う価値があった。実際、資料室で名前を見た時にはかなり黒い線だと思った。

 だが、会ってみると違った。

 落ち着いた研究者。装置と術式の話をするときだけ少し熱が入るが、それ以外は穏やかで理性的な男。大会の設備を預かる人間としての誇りも見えた。何より、試した時の反応が決定的だった。ほんの僅かに圧をかけただけで、ただ驚いただけで構えもしない。つまり身体が戦いを知らない。少なくとも、シエラを一撃で沈められる側の人間ではない。

 ただ、それでも完全には切れない。

 装置と施設の知識を持っていること自体は事実だ。直接手を下す人間でなくても、舞台を整える側にはなれる。今のところは外すが、「犯人ではない」と断言するにはまだ早い。そんな位置だ。

 最後に、クロウ。

 中央都市の便利屋。依頼屋。噂は胡散臭い。姿も雰囲気もそれらしい。だが、実際に会ってみると、少なくとも思っていたような単純な悪党ではなかった。誰かを消してくれという依頼はある、と平然と言った。その上で、自分は受けないとも言った。あれは多分、今この瞬間に限れば本当だ。言葉に迷いがなかった。

 オルタディナの話もある。子供の頃から死なない程度には面倒を見ていた。裏の人間なら、もっと早く彼女を売ってもおかしくない。そうしなかったのは、少なくとも完全な外道ではないということだ。

 だが、それもまた「今のところ」だ。

 もし条件が変われば、依頼を受けるかもしれない。あるいは、自分でなく別の誰かに繋ぐだけかもしれない。便利屋という立場は、その曖昧さ自体が不気味だった。あの類は深く詮索しないできっちり仕事する印象もある。間接的に関与がないか? と考え出せばキリがない程にだ。それだけにオルタディナとの繋がりが良い方向に補正を掛けているかもしれない。

 フリントは顔を上げた。机の上には何もない。ただ木目が灯りを反射しているだけだ。なのに、三人の名前がそこに並んでいる気がした。

 アルベルト。セリウス。クロウ。

 全員が怪しい。だが、全員が決定的に黒いわけでもない。

 そこが一番厄介だった。

 つまり——。


「……分かんねえ」


 小さく漏れた声は、思っていたよりも疲れていた。

 犯人を先に見つける。それが出来れば一番早い。だが、ここまで動いても見えてきたのは「可能性」ばかりだった。しかも、その可能性は全部中途半端だ。決定打がない。証拠がない。誰を見張れば正解なのかすら、まだ分からない。これじゃ身体が幾つあっても足りない。

 フリントは椅子の背にもたれ、天井を見上げた。

 結局、自分はまだ何も掴めていない。

 二度もシエラが死ぬのを見たくせに、その理由はまだ霧の中だ。誰が殺すのか。どうやって殺すのか。なぜ彼女なのか。断片は増えたが、答えには届いていない。

 そこまで考えて、ふと別の事実が頭をよぎる。

 今分かっていることは何だ?

 三人の容疑者が曖昧だということか。

 違う。そんなことじゃない。

 一番確かなのは、もっと単純な事実だ。

 シエラは、自分が負けた後に死ぬ。

 二度ともそうだった。模擬戦から始まり、準決勝で当たり、自分は負ける。その先で、彼女は死ぬ。

 金髪の少年の指が机の上で止まる。

 そこから、ようやく思考が一本に繋がった。

 今のやり方では足りない。

 犯人を先に見つけようとしても、手掛かりが足りなすぎる。院内の中にも外にも候補がいる以上、調査だけで正解に辿り着くには時間がない。半月。たったそれだけの間に、全員を洗いきるのは現実的じゃない。

 なら、どうする。

 答えは一つしかなかった。

 事件が起きる瞬間を待つ。シエラが死ぬ未来を知っているなら、そこに立ち会うしかない。

 フリントはゆっくりと身体を起こした。胸の奥に、嫌な感覚が広がる。

 それはつまり、自分が負ける未来を前提に動くということだ。

 勝つために強くなりたい。シエラを超えたい。最強になりたい。その気持ちはずっと変わっていない。なのに今、自分は負けた後のことを考えている。

 それがひどく気に食わなかった。


「……クソが」


 思わず吐き捨てる。

 負けるつもりなんてない。勝てるなら勝ちたい。勝って未来が変わるなら、その方がいいに決まっている。だが、現時点ではそこに賭けるだけでは足りない。万が一負けた場合、その先を押さえなければ、また同じ朝を迎えることになる。

 つまり、二つ用意するしかない。

 勝つ準備。そして、負けた場合の監視。

 彼は机の端を強く掴んだ。

 もし準決勝でまたシエラに負けたら、その夜から張る。調整室、廊下、帰路、接触する人間。全部追う。誰が近づくのか、どこで動くのか、一瞬も見落とさない。

 今まで自分は、彼女が死んだ後の結果しか見ていなかった。

 なら次は、その前を見る。そこにいれば、何かが分かるはずだ。

 そして防ぐ。あの絶望的な未来を。


「……次は」


 低く呟く。


「目ぇ離さねえ」


 その言葉を口にした瞬間、ようやく腹が決まった気がした。

 調査は空振り続きだった。三人の線も、まだ曖昧なままだ。それでも、やるべきことだけは見えた。次に同じ流れが来るなら、今度はその流れの中に自分が立つ。

 椅子から立ち上がる。窓際まで歩き、外を見る。学院の建物が夜の闇の中に静かに沈んでいた。そのどこかに、次の死が潜んでいる。

 フリントは目を細めた。


「勝つ」


 まずはそれだ。

 勝てば全部変わるかもしれない。だが、変わらなかった時の備えもいる。その両方をやる。

 遠回りだろうが、格好悪かろうが関係ない。二度も同じ結末を見た以上、もう真っ直ぐだけではいられない。

 それでも最後に辿り着く場所は、きっと同じだ。

 勝つこと。

 それでしか、本当に全部を終わらせられない気がしていた。

 フリントは窓から離れ、再び机の前へ戻る。灯りを落とす前に、もう一度だけ頭の中で明日の動きを確認した。

 訓練。観察。

 そして、次に備える。

 静かな部屋の中で、彼はゆっくりと息を吐いた。

 答えはまだ遠い。だが、少なくとも次に何をするべきかだけは、もう見失っていなかった。


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