第三章 始まりの火花②
その日から、フリントライズは意識して人の流れを追うようになった。
学院の中庭を横切る通路。演習区画へ続く石段。講義棟の廊下。中央競技場の回廊。普段なら特に気にすることもなく通り過ぎていた場所を、今は立ち止まって眺めるように歩く。理由は一つしかない。
群青の髪の剣士を、見失わないためだ。
午前の講義が終わる頃、彼女は大抵中庭の外周を歩く。昼前には演習区画へ向かい、午後は自主訓練に時間を使うことが多い。動きに派手さはない。むしろ目立たない。だが、観察していると分かる。彼女は決して無駄な動きをしない。歩く速さも、足の運びも、視線の向きさえ一定だ。常に周囲を把握しながら、それを表に出さないように動いている。
強い理由は、きっとこういうところにもあるのだろう。
フリントは講義棟の柱の影からその姿を見送る。銀灰の瞳は前を向き、剣を携えた細身の身体は静かに人波の中へ溶けていく。誰かと無駄話をする様子もない。だが孤立しているわけでもない。必要なら言葉を交わし、必要がなければそのまま歩く。妙に自然な距離の取り方だった。
それだけではない。観察していると、いくつかの癖のようなものが見えてくる。階段を上る時は必ず一段目を軽く踏み直す。角を曲がる前にはほんのわずか視線を外側へ流す。人混みの中では歩幅を僅かに調整して、誰とも肩をぶつけない位置を通る。ほんの些細なことだが、どれも無意識に染みついた動きだ。戦闘中に限らず、普段の生活から身体の使い方が出来上がっている。そういう積み重ねが、あの剣の鋭さに繋がっているのだろう。
そして気付いたことがある。
あの少女は、決して周囲を威圧しない。
強い人間には大抵、どこかに隙のない圧のようなものがある。近くにいるだけで空気が張り詰めるような、そんな気配だ。だがシエラクロスにはそれがない。むしろ逆だ。誰かが話しかければ普通に言葉を返し、訓練場では淡々と剣を振るい、終わればすぐに場所を空ける。必要以上に目立たない。だが、それでも周囲の視線は自然と彼女へ集まる。
不思議な存在だった。強さを誇示しないのに、誰もがその強さを知っている。近寄り難いわけでもないのに、簡単には踏み込めない距離がある。まるで最初からそこに境界線が引かれているかのようだった。
そして——その境界線の内側に、誰かが入っている気配もない。
金髪の少年は小さく息を吐いた。
ここまで観察して、ようやく一つ分かったことがある。
少なくとも表面上、彼女に敵意を向けている人物はいない。露骨な対立も、険悪な関係も見当たらない。学院内での立場も安定している。教師からの評価も高い。生徒達からも尊敬されている。それはある意味、最も面倒な状況だった。
——殺される理由が見えない。
逆に言えば、理由があるとすればそれは学院の表には出ていないものだ。個人的な恨み、決勝の利害、あるいはもっと別の何か。少なくとも、この中庭にいる生徒達の表情からは何も読み取れない。
だからこそ、余計に油断できない。
人の流れを追うのも、こうして観察を続けるのも、その違和感を見つけるためだった。ほんの少しでも未来と違う動きがあれば、それが手掛かりになるかもしれない。二度の失敗で、フリントはそれを理解していた。
ただ闇雲に強くなるだけでは、未来は変わらない。
だから今は——見る。知る。
そして、間違えない。
「おい」
肩を叩かれた。
振り向くと、茶色の髪を無造作に揺らした少年が立っている。レオンだった。
「お前さ」
フリントの視線の先をちらりと見て、にやりと笑う。
「さっきからずっと見てんの、あいつだろ」
中庭の向こうには、すでにシエラの姿はない。舌打ちしたい気持ちを抑えて感情を誤魔化す。
「……別に」
「いや別にじゃねえだろ。丸わかりだっての」
肩を組まれる。
流石に無理がある見られ方をされているのだろう。もしかしたら群青の少女にも気付かれていたのではないだろうか? と彼は考え、表情を険しくしていると。
「負けて悔しいのは分かるけどよ、そんな露骨に張り付いてたら逆に怪しいぞ」
「……張り付いてねえ」
「じゃあ何してんだよ」
フリントは一瞬だけ言葉に詰まる。
説明できるはずがない。三度目の世界だとか、決勝の前日にシエラクロスが死ぬ未来を見たとか、そんな話をまともに受け取る人間はいないだろう。
「……考え事だ」
「は?」
レオンは怪訝な顔をする。それはそれはかなり失礼そうに。
「お前が?」
「うるせえ」
「いや、だってよ」
込み上げてきた笑いを抑えきれずに少年は言う。
「いつもは拳で解決するタイプだろお前」
フリントは肩を振り払う。
そうだ。いつも難しい事は考えずに彼は真っ直ぐ単純に取り組む人種である。ある意味的確な意見だろう。
しかし——。
「今日は違う」
「何が」
「……色々だ」
曖昧に返す。状況整理が終わってようやく少し落ち着いたが、抱えている問題は簡単ではない。必要ならば頭だって使う
レオンは少しの間フリントの顔を見ていたが、やがて肩をすくめた。
「まあいいけどよ。あんま変なことすんなよ。オルタがさっきからお前のこと変な目で見てたぞ」
その名前が出た瞬間、フリントは今度は小さく舌打ちした。
嫌な予感がする。
「……もう見てる」
レオンが顎で示した先、講義棟の柱にもたれるようにして赤い短髪の少女が立っていた。腕を組み、こちらをじっと見ている。
オルタディナだった。
視線が合い数秒、何も言わずに見つめ合う。
そして溜め息をしながら彼女はゆっくりと近づいてきた。
「……何してるの?」
第一声がそれだった。
金髪の少年はぶっきらぼうに返答する。
「別に」
「嘘ね」
即答だった。
銀灰の瞳ではない。だが、それに近い鋭さを持つ山吹色の視線がフリントの顔を観察する。
「さっきから同じ場所で立ち止まってる。視線の先もほとんど同じ。しかも動き方が妙に不自然」
具体的に淡々とした口調で言う。
その結論は——。
「観察してる人の動きよ、それ」
レオンが吹き出した。
「ほらな」
「うるさい」
バツが悪そうにフリントは顔をしかめる。
オルタディナは少しだけ首を傾けた。
「何を調べてるの?」
「何も」
「それも嘘でしょ」
即座に否定される。もはや逃げ場はない。
フリントは一瞬言葉を失い、それから小さく息を吐いた。
「……お前、面倒くせえな」
「よく言われる」
平然と返す彼女の姿勢に彼は呆れる。
沈黙が落ち、オルタディナはしばらくフリントを観察していたが、やがて肩をすくめた。
「まあいいわ」
「ここまで詰めといて聞かねえのかよ」
「だって言わないでしょ」
「……」
「でも」
赤い短髪の少女は視線を横へ向けた。中庭の向こう、先ほどシエラが歩いていた方向。
「群青の剣士に関係してるなら、少しは理解できる」
フリントの眉が動く。
「どういう意味だ」
「あなた、負けたでしょ」
淡々と言う。
「悔しいのは分かるわ」
そして小さく付け足した。
「ただそれでも、変よ」
「……何がだ?」
「あなたのその悔しがり方が」
まるで見透かしてくるような言葉に、フリントはわずかに視線を逸らした。
多分図星だった。いや、紛れも無くそうした装いを表面に出してしまうくらいには余裕がない状況なのは否定出来ないから。
更に悔しさだけではない。焦りも、恐怖がある。
そして——時間がない。
「……勝つためだ」
短く言う。
「その為に調べてるだけだ」
「何を?」
フリントは少しだけ考えた。
そして答える。
「学院の人間だ」
レオンが眉をひそめる。
「は?」
「誰がいるのか」
フリントは低く続けた。
「シエラクロスに近い奴。ライバル、関係者、教師、先輩」
指を折るように数える。
「決勝に関係してる奴も含めて」
オルタディナの目がわずかに細くなる。
「……本気ね」
「最初からそうだ」
「そういう意味じゃない」
少女は静かに言った。
「あなた、今までと違う」
フリントは何も答えなかった。
今までと違う? そんなの当たり前だ。もう二度、あの死を見ている。同じ結末を三度も経験する気はない。
中庭の静かな風が吹き、遠くで鐘が鳴り響く。学院の日常は、何事もないかのように続いているが、フリントライズにとっては、もう普通の日ではない。
この半月の中に、必ず答えがある。そしてその答えを見つけるまで、止まるつもりはなかった。
拳を握る。
視線はすでに、次の場所へ向いている。
まずは、知ることだ。
誰が、何のために。
群青の少女を殺すのか。




