第三章 始まりの火花③
演習区画を出たフリントは、そのまま通路を横切らず、石柱の影に身体を預けた。夜の学院は昼間よりも音が通る。遠くの足音も、話し声も、静かな空間でははっきり届く。通路を灯す淡い光、三日月の光が床に落ち、柱の影は濃く伸びていた。
演習区画の奥では、まだ剣の音が続いている。
アルベルト・グレイン。
フリントは視線を細めた。
あの男の名前は施設の中ではよく知られている。上級生。剣術科。毎年選抜戦の常連で、今年は優勝候補の筆頭とも言われている。戦い方は堅実。派手さはないが、隙がなく無理をせず負けない戦い方をする剣士。戦術がシエラクロスに似ているとも言われるがフリントライズ目線では彼女の下位互換だろう。群青の少女も隙がなく堅実でお手本のような基礎を積み上げた戦い方だが、無理をしないや負けないに重点を置く後ろ向きなスタイルではない。全ては勝つ為の動き、必要あらば無理をする。負けを恐れた動きにならない。細い糸の隙間を縫うように剣を差し込む度胸もあるから格上だろうが、金髪の少年みたいな不規則な相手でも勝ち筋を持つ。もし失敗した未来でシエラクロスが死なずに決勝を迎えていたら勝つのはきっと彼女だろう。
そう思いながらフリントは柱の影から様子を見ていた。
しばらくして、もう一つの足音が演習区画に入ってくる。背の低い少年だった。同じ上級生だろう。軽装のまま、アルベルトの訓練を見て小さく笑った。
「またやってんのかよ」
アルベルトは剣を振るう動きを止め、軽く息を吐く。
「……少しだけな」
「少しだけって汗じゃねえだろ」
少年は肩をすくめた。
「大会前になるとお前いつもこうだよな」
アルベルトは剣を床に立てたまま、静かに言う。
「調整だ」
「調整ねえ」
少年は苦笑する。
「今年は特に気合い入ってるじゃねえか」
アルベルトは何も言わず、しばらく沈黙が流れた。
その沈黙の中で、少年がぽつりと続ける。
「……やっぱ気にしてんのか」
アルベルトの視線が僅かに動く。
「シエラクロス」
その名を聞いたフリントの心臓が一瞬強く打った。
少年は壁にもたれながら言う。
「噂すげえな。去年の大会の記録更新したとか、教師連中が騒いでて他の上位連中も涙目だぜ?」
「……関係ないさ」
「そうか?」
少年は少し笑う。
「決勝当たる可能性高いんだろ?」
アルベルトは答えない。
だがその沈黙は、否定ではなかった。
同期の少年は腕を組む。
「まあでもお前なら勝つさ。お前程努力家も早々いねえし」
「……」
「実力的にはお前の方が上だって」
彼は小さく首を振った。
「実力の話じゃない」
「じゃあ何だよ」
少しの間が空く。
そしてアルベルトは低く言った。
「……流れだ」
少年が首を傾げる。
「流れ?」
「大会は……戦いはそういうものだ」
アルベルトの声は静かだった。
「一度勢いに乗った人間は、止まらない」
「あー、あいつ今その流れに乗ってるってわけか」
その解釈に彼は答えない。
ただ剣を持ち直す。
少年は手をひらひら振った。
「まあ頑張れよ。今年逃したら次はもうないぞ」
「ああ、分かっている」
その言葉は、妙に重かった。
少年が演習区画を出ていく。足音が遠ざかる。残ったのは剣の音だけだった。
フリントは柱の影からその様子を見ていた。
アルベルトは再び剣を振り始めている。型は正確だ。無駄がない。何度も繰り返される動き。だがその振り方には、どこか焦りのようなものが混じっている。
ほんの僅か。注意して見なければ分からない程度の、力の入り方。
金髪の少年は眉を寄せた。
だが——それだけだ。
今の会話の中で、決定的なものは何もなかった。
むしろ逆だ。
アルベルトはただの剣士だった。大会で勝つことを考えているだけの、普通の競技者。特別な悪意は見えない。
フリントは静かに柱から離れた。
「……違うか」
小さく呟く。
彼が犯人だとすれば、もっと何かあるはずだ。だが今のところ、それは見えない。噂通りの堅実で真面目で努力家の後輩へのお手本がそこにあっただけだ。
それよりも気になることが他にあった。
特別調整室。夜半まで使える場所。
そして、その設備を管理している人物。
フリントの頭の中に、資料室で見た名前が浮かぶ。
セリウス・ハルバート。
アイシードの技術者。調整室の監修者。
金髪の少年は通路を歩き出した。
夜の学院は静かだ。足音だけが石床に響く。遠くで巡回の教師が通り過ぎ、また静寂が戻る。
ふと以前赤い短髪の少女が口にしたことを思い出す。
——陰謀かどうかは別として、事実は整理できる。術式が作動していない。抵抗痕が少ない。致命傷は一撃、もしくは短時間のうちに複数回。つまり、相手は彼女の反応速度を上回るか、あるいは彼女が“警戒しない相手”だった可能性が高い。
術式のカラクリを解決出来る存在。もし何かが仕掛けられるとしたら場所は——あそこしかない。
そして自身が把握していないシエラクロスを上回る実力者であり、警戒しない相手としても浮上するのは。
フリントは視線を上げた。
調整室のある中央棟の方角へ。
「……次は、そっちだ」
低く呟く。
アルベルトは、一度外す。
次に調べるべきは——セリウス・ハルバート。
そしてアイシードの技術者が、夜の学院で何をしているのか。
彼は歩き続けた。
まだ答えは見えない。だが、確実に近づいている気がした。




