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第ニ章 火花はまだ消えていない②

 演習区画の端で、金髪の少年は一度も足を止めずに踏み込みを繰り返していた。模擬戦が終わった直後だというのに、汗が乾く暇もなく拳を振るい続ける。強化陣のない石床は衝撃をそのまま跳ね返し、蹴るたびに鈍い音が響いた。足裏に伝わる硬さがやけに生々しく、いま自分が確かに“ここ”にいるのだと過剰に主張してくる。

 速さは落ちていない。むしろ、いつもより踏み込みは鋭い。ただ軌道が荒い。重心が前に流れ、最後の一歩でわずかに姿勢が崩れる。本人も分かっているが分かっていながら、止めない。

 止めたら、あの朝の光景が脳裏に浮かぶ気がした。

 石床に広がる濃い赤。群青の髪。冷たい空気。

 呼吸が荒くなる。拳を振るう。もう一度踏み込む。


「……やりすぎ」


 横から落ちてきた声は、風よりも静かだった。

 反射的に振り向くと、赤い短髪の少女が少し離れた場所に立っている。腕を組み、淡い視線でこちらを観察している。その山吹色の瞳は責めるでもなく、励ますでもなく、ただ状況を測っているだけの色をしていた。


「別に」


 フリントは短く返し、再び構える。踏み込み、拳を放つ。空気が裂ける音だけが残る。

 そこへ——。


「足が流れてるわよ」


 淡々とした指摘。


「知ってる」

「知ってて続けるのは、ただの意地かしら?」

「うるせぇな」


 返す声が荒い。自覚はある。だが抑えられない。胸の奥で何かがざわついている。それを掻き消すように身体を動かしている自分を、どこかで理解している。

 赤髪の少女が一歩だけ距離を詰める。


「模擬戦で負けたくらいで、何をそんなに焦ってるの?」


 その言葉に、踏み込みが止まった。足が石床に張り付いたように動かない。


「焦ってねぇよ」


 即答。だが呼吸は整わない。肩が上下している。果たしてそれが疲れから来る息切れなのか、それとも別か。


「負けるのが嫌?」

「あ?」

「たかが模擬戦で負けただけでしょ。代表選抜はまだ先。修正する時間もある」


 “たかが”。

 その一言が、胸の奥を引っ掻いた。模擬戦。それは事実だ。公式戦ではない。代表選抜でもない。だが自分の中では、ただの敗北では終わらない何かが渦を巻いている。


「ちょっと負けたくらいで、そんな顔しなくてもいいのに」


 拳の内側で金属が軋む。


「……ちょっと?」


 低い声が漏れる。

 少女は気付いているのかいないのか、淡々と続ける。


「次に当たるとしたら代表選抜。半月はあるわ。皆ずっと勝ち続けるわけじゃない。あなたも、あの群青も同じ」


 分かったように言うな、と言いかけて、喉の奥で言葉が引っかかる。


「……分かったように言うな」


 結局、ぶつけるように吐き出す。


「分かったようには言ってないわ。見えてることを言ってるだけ」

「なら軽く言うな」


 空気が少し冷える。

 少女はわずかに首を傾げる。「軽く?」と問い返すその仕草が、逆に腹立たしい。


「“ちょっと負けたくらい”って何だよ」


 声が荒れる。理由は説明できない。模擬戦で負けただけ。それは正しい。だがそれ以上の何かが、自分の中では確かに引っかかっている。その重みを、軽く扱われた気がした。


「俺は」


 言葉が詰まる。言えない。血の匂いも、朝の光景も、死も。


「……俺は負けたくねぇだけだ」


 絞り出した声は、意地の塊のようだった。

 山吹色の瞳がわずかに細められる。


「それはいつもでしょ」

「今日は違う」


 思わず出た。自分で言って、はっとする。違う? 何が違う? 答えは出ない。

 少女はそれ以上追及しない。ただ静かに観察するように見つめる。


「なら、なおさら力まないことね。焦った踏み込みは、次の一歩を潰す」

「だから焦ってねぇって言ってんだろ」

「焦ってない人は、三十分も連続で踏み込みしない」


 図星だった。時計を見れば、本当にそれくらい経っているのだろう。自覚がないまま、時間だけが過ぎていた。

 少年は舌打ちし、外していたガントレットを拾い上げる。金属の重みが掌に馴染む。


「勝つ」


 短く、噛み締めるように。


「誰が相手でも」


 背を向ける。視線を合わせれば、何かを見透かされそうだったから。

 そんなフリントの背中に静かな声が落ちる。


「勝つのはいいけど」


 足が止まりかける。


「何か大事なものを見失うわよ」


 振り返らない。意味は分からない。だが妙に耳に残ってしまった。


「うるせぇ」


 吐き捨てるように返し、そのまま通路へ向かう。石壁に影が伸びる。模擬戦で負けた。ただそれだけのはずだ。本番では勝つ。それだけの話だ。

 なのに胸の奥のざわつきは消えない。“ちょっと負けたくらい”という言葉が、何度も内側で反響する。

 もしあれが夢なら、ただの悪夢だ。もし夢でなかったら?

 歩きながら、拳を握る。考えるな、と自分に言い聞かせる。

 群青の少女は生きている。今は。

 それだけでいいはずなのに、何かが足りない気がしてならなかった。

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