087 天界の護人③
アッシェが使用する魔法は、エリーゼのように魔力を外へ放つものではない。
魔力を身体へ巡らせ、自身に作用させる自己強化の魔法。
火炎、氷結、雷電、風空、地砕──五大元素と呼ばれる分類は、魔力を外へ放つ魔法だけを指すものではない。
身体の内側へ巡らせれば、それは術者自身に作用する強化の系統にもなる。
氷結──痛覚の鈍化。
地砕──身体の硬化。
今この瞬間に使えるものを、アッシェは迷わず全て重ね掛けた。
アッシェは大盾を正面に構え、まるで巨大な竜のブレスを受け止めるかのように、腰を落とす。
もっとも、アッシェに竜と対峙した経験などなかったが。
その直後。
──トーン。
光の柱が、アッシェを直撃した。
「ぐっ……あああああっ!!」
殺傷の気配はない。やはりカイルと同様、身が焼かれることも、貫かれることもない。
だが、その衝撃は想像を絶していた。
アッシェの身体が、盾ごと後方へ吹き飛ばされる。
床を削るように滑り、途中で足が浮き、体勢が大きく崩れた。
その瞬間、白亜の像から視線が外れる。
──白亜の像が消えた。
「アッシェ!」
レグが叫んだときには、もう遅かった。
白亜の像は、吹き飛ばされたアッシェの眼前にいた。
拳を振りかぶった姿勢で。
「──ッ!」
アッシェは咄嗟に盾を引き寄せる。
前衛として積み上げてきた経験が、身体を動かしたのだ。
間に合ったのは、さすがと言うべきだった。
白亜の拳と、自分の身体の間に、大盾を差し込む。
その直後、拳が振り下ろされた。
白亜の拳が、盾越しにアッシェを殴打する。
鈍く、重い音が響いた。
盾越しに衝撃を受けたアッシェの身体が、地面に叩きつけられた。
「がはッ……!」
背中を打ち、肺の中の空気が一気に押し出される。
視界が白く弾けた。
それでも、アッシェは意識を手放さなかった。
事前に巡らせておいた氷結の痛覚鈍化と地砕の硬化、そして、第五天位の意地が、砕けそうになる身体をぎりぎりで繋ぎとめていた。
「……この、やろう……ッ!」
血の混じった息を吐き、アッシェは倒れたまま白亜の像を睨みつける。
盾は手放していない。
視線も、外していない。
だが、その背後で、再び地面が光った。
「アッシェ、そこから離れろ!」
エリーゼが叫ぶ。
だが、無理だった。
アッシェは倒れたまま、白亜の像を睨みつけるだけで精いっぱいだった。
身体は、光の柱の衝撃と、白亜の像の殴打で、もうピクリとも動かない。
盾を構えているだけで奇跡とも呼べるほどだ。
だが、次に光の柱を受け、さらに像の追撃を受ければ、今度こそ耐えられない。
レグは助けに動こうとした。
だが、その行く手を遮るように光が灯ったのが、レグの目の端に映ると、思わず動けなくなる。
エリーゼも同じだった。
叫ぶことはできても、アッシェを助けるには距離があり過ぎた。
「(……間に合わない!)」
──トーン。
アッシェに光の柱が落ちる。
その衝撃でアッシェの身体が再び大きく吹きとばされた。
その瞬間。
ソノイチが動いた。
「賭ける」
短くそう言うと、ソノイチの身体が低く沈む。
次の瞬間には、もうその姿はそこになかった。
ソノイチもまた、自己強化魔法を発動させる。
ただし、アッシェのように身体の内へ巡らせるものではない。
魔力を薄く纏う、更に次の段階の強化魔法。
「ソノイチ……!」
レグの声が届いたかどうかも分からない。
それほどの速度で、ソノイチの姿が遠ざかっていく。
向かった先は、倒れたアッシェではなかった。
白亜の門だ。
その意味を、レグはすぐに悟った。
「(像に、選ばせる気か……!)」
このままでは一人ずつ崩され、いずれ全員が倒れる。
ならば、どこかで流れを壊さなければならない。
アッシェとソノイチ──二人が同時に、像から目線を外しているとどうなるのか。
白亜の像が同時に二か所へ動けないのなら、
先に目をそらしたアッシェを狙うのか、
それとも、門へ迫るソノイチを止めるのか。
先に目をそらしたアッシェを狙っている間に、ソノイチが門前へ辿り着くことができれば……。
あの宣告の通りなら、何かが起こる。
無謀ではある。
だが、このまま押し潰されるよりは、まだ勝ち筋がある。
「速い……!」
ソノイチは、落ちてくる光の柱の合間を縫うように駆け抜ける。
光る地面を避けつつも、しかし速度は落とさない。
最短距離を選びながら、必要な分だけ身体をずらし、次の一歩を進んでいく。
レグですら、その動きを追うのは難しかった。
しかし。
──トン。
──トトン。
──トン、トーン。
律動が変わった。
それは、曲が一段高く跳ね上がったようだった。
地面に灯る鍵盤の数が、一気に増える。
線のように、面のように、ソノイチの進む先を光が埋めていく。
それでも、ソノイチは止まらない。
右へ左へと滑りこみ、身体をねじって進み続ける。
光の柱が、彼の服の端を掠めた。
その衝撃に身体を揺らされても、ソノイチは倒れない。
速度も、ほとんど落とさない。
門まで、あとわずか。
白亜の門は、ソノイチの接近すら意に介さないように、ただ荘厳に佇んでいた。
「届く……!」
レグは、思わずそう叫んだ。
ソノイチなら届く。
あの速度なら。
あの技量なら。
だが、あと一歩というところで、ソノイチの背後に気配がした。
「──ッ」
ソノイチが反応する。
反応はしていた。
だが、間に合わない。
白亜の拳が、ソノイチの背中を捉えた。
「ぐっ……!」
鈍い音とともに、ソノイチの身体が前方へ吹き飛ぶ。
一見すれば、門へ近づいたようにも見えた。
このままなら、門前へ転がり込めるかもしれない。
だが、そうはならなかった。
ソノイチの前方。
白亜の門のすぐ手前に、ひときわ大きな鍵盤の光が浮かび上がる。
まるで、そこから先へ進むことを拒む壁のように。
次の瞬間。
──トーン。
天から落ちた巨大な光の柱が、ソノイチを打った。
今度は後方へ──白亜の像のいる方へと、ソノイチの身体が弾き飛ばされる。
体勢が完全に崩れた。
呼吸も、視線も、何もかもが乱れる。
その先で待ち構える白亜の像は、すでに拳を振りかぶっていた。
「ソノイチ!!」
レグの叫びと、白亜の拳が振り抜かれるのは、ほとんど同時だった。
短い呻き──そして、重い衝突音だけが響き、
ソノイチの身体が地面に叩きつけられる。
しばらく、誰も動けなかった。
白亜の像は、拳を振り抜いた姿勢のまま静止している。
まるで初めから、そういう彫刻だったかのように。
「……ソノイチ」
レグは奥歯を噛みしめた。
ソノイチは動かない。
立ち上がってくる気配は微塵もない。
「だ、大丈夫ですか!?!?」
沈黙を破ったのは、あの召喚士の少女の、不安そうな声だった。
まるで、本当にソノイチを心配しているかのようだった。
「(くそっ! アイツが元凶だってのに……!!)」
心配するなら止めてくれ。
レグ、そしてエリーゼも、そう叫びたい気持ちを堪えていた。




