14-3
「――いいかしら、サファイアの宝石眼?」
どこまでも愉快なその鈴の音を発したのは、先ほど舞台の裾へ自ら下がった、クヴェレ公爵夫人だった。
隣には見知らぬ長身の男を連れ立っている。
随分と早い再登場である。
夫人は、男と親しげに腕を絡ませている。
その男は、長身で上から覗き込まれる形になるからだけではない。
なんと無表情な能面のような顔つき。
それでいて、なんて精悍な美貌。
紹介されずとも、すぐに察した。
夫人がその他者の身に触れられているからだけではない。
だって、瓜二つだもの――。
先ほど逢い見えたクヴェレ公爵家当主に。
現クヴェレ公爵家の末子。
女系家族の姉たちの下に生を受けた、初めての男子。
クヴェレ公爵家嫡男、シュタオエン侯爵。
サファイアたちは、主催者からの正式な紹介を受けるため正面を向き直った。
今しがた感じ合った、強くこの胸に響いた痛みの意味を知りたいという欲求を抑え込んで――。
「お初に御眼にかかります。シュタオエン侯爵様。サファイア・ローと申します」
サファイアが先に頭を垂れて自己紹介した。
夫人は、彼女が己の愛息子の名をすでに熟知していたことに、さらに機嫌を良くした様子だった。
口元の綻びを隠さない。
それとは対照的に男は、なんの感情も相手に抱かせない表情のまま、返礼をした。
「こちらこそ、御逢い出来て光栄です。サファイアの宝石眼」
あまりにも、平坦なその声の調子に驚く。
彼の両親とのあまりの落差に。
もちろんトラオアたちから事前に配布された彼の情報には、夫人の独身時代の人間嫌いに拍車が掛かった性格である、と注意書きがしてあった。
(あれ?そういえば、参加者一覧の紙には王子と侯爵様のお名前はなかったはずなのに、なんで参加していたのかしら?)
めまぐるしい状況の変化についていくのに必死になり過ぎるあまり、そんな基本的な疑問すらこの瞬間まで湧いてこなかったようだ。
サファイアが脳裏で大幅に許容量を超えてしまった情報の整理を行おうとしているのもなんのその、夫人が笑みを浮かべて話し始めた。
「ねぇ、サファイアの宝石眼。私の息子は、この通り少し無愛想なところがありますの。だから、あなたのような可憐な女性一人、まともに舞踏に誘おうともしないの。どうか憐みを持って、息子と一曲踊ってあげてくれないかしら?」
夫人は、あくまで下からサファイアへ頼み込んだ。
しかし、侯爵の表情はなにひとつ変化しない。
とても、自分が話題にされている人間の態度ではない。
通常、社交界に出る娘のために舞踏の相手を見繕う母親は、何千といるし、よくある常套手段だが、まさか息子のためにそれを実践する母親がいることにサファイアは驚きを隠せなかった。
(しかも、どう見ても私と踊りたそうには見えないし……)
彼女には、それが心配でならなかった。
どう見ても、無理矢理、母親に薦められて自分はこの場に立たされている感を前面に押し出している。
サファイアは、やはり己の舞踏や仕草が付け焼刃だと悟られてしまっているのでは、と落ち込みを見せた。
しかし、その横でクルスが密かに眼を細めた。
(やはり、来たか――)
そう、警戒していたのだ。
サファイアは露程にも己の価値を理解していないが、現在、女の宝石眼は彼女のみ。
当然、未婚であることも国中に周知されている。
同時に、結婚適齢期を迎えているとも――。
つまり、彼女は格好の標的なのだ。
己の〝妻〟にすることに。
特に、クヴェレ公爵家の嫡男、シュタオエン侯爵はその筆頭に名を連ねていた。
だからこそ、危険なのだ。
じゃあ、なんで彼女を連れてきたんだ?
誰かが、非難するだろう。
本当に弁明のしようがない。
正直なところ。
クルスはこの舞踏会にサファイアを伴うことに、あまり危機感を抱いていなかったのだ。
彼もまた、夫人は宝石眼にあまり良い印象を抱いていないように感じていたから。
過去のアクアマリンの宝石眼によって潤わされ繁栄を齎した公爵家の夫人でありながら。
その矛盾を問いただせる莫迦な賢者は未だ現れないが、だからこそどこかで安心していた。
彼女は、血を非常に重要視している。
血の繋がった大事な息子の相手。
きっと並大抵の女では、夫人の前で阻まれ、その想いを添い遂げることなど不可能だろう。
さらに、侯爵の能面ぶりは有名で、その宝の持ち腐れは淑女にとっての悩みの種の一つであった。
いくら、母親といえど息子が心から愛した相手なら受け入れるはず。
そんな一縷の望みも侯爵本人が抱かせてくれない。
舞踏会でも、最低限しか舞踏を踊られない。
その他に、ろくに会話もされない。
これでは、取りつく島もない。
だから、まさか――。
サファイアの宝石眼は、その第一関門を易々と突破したというの?
広間がざわついた。
なんと答える?
いや、もちろん決まっているのだが。
それでも、やはり気になってしまう。
サファイアが、ゆっくりと礼装の裾を摘まむ。
そして、そのまま口を開く。
「……もし、シュタオエン侯爵様のご不快にならないのであれば、私からも、ぜひ御相手して頂きたく思います」
サファイアが、一瞬クルスに目配せをした後、夫人と侯爵に伝えた。
夫人は、まぁ!、と些か大きな表現で歓喜し息子をサファイアの方へあてがった。
その時、気づいた。
侯爵の眉間に僅かに皺が寄るのを。
やはり、乗り気ではないようだ。
サファイアはさらに居心地の悪さを覚えたが、了承したのは自分。
一旦、口にしたことは意地でも行う。
彼女の師匠の教えだ。
(私だって、邪険にされようとやり切って見せるわ。だいたい、そんなに嫌なら自分から断ればよろしいのよ)
思わず、そんな悪態までつけるほど、今のサファイアは強気になっていた。
(いや、投げやりになってる気がするんだけど……)
隣から醸し出されるサファイアの怒りの空気を悟ったクルスが、心の内だけでそれを否定していた。
それでも、成立したからには、一度彼女の手を離さなければならない。
少し、安堵する。
今、二人で踊り続けるのは危うかった。
クルスもまた、サファイアの能力の一端に感付いてきたからだ。
そして、きっと自分は――。
彼女に真っ直ぐ問いただされれば、嘘を吐けないだろう、と推察していた。
今は、これが最善の策。
少なくとも、夫人はサファイアを陥れるために息子を利用したわけではない。
一歩後退して様子を窺いたい。
そして、この眼で見たい。
かの宝石を――。
遙か昔。
俺は――。
いや、俺たち双子は――。
あの宝石こそがこの世で最も大事な宝だった。
その宝石を愛することが宝石眼にとって、禁忌だとも知らず、愛慕した。
どうして、手の届かないところに月はある?
別に、手に入れられないモノを愛したかったわけじゃない。
愛したお前が、届かぬモノだっただけ――。
なんたる皮肉。
なにが宝石眼だ。
他の幸福などなにも望まなかったのに。
その一点の温もりを手にすることすら叶わなかった。
だから、手に入れる。
やっと眼の前に、手が届くところまで、お前の分身が戻ってきたのだから――。




