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それでも、彼女に笑みを向けた。
「あ、ありがとうございます」
「っ!」
笑顔で感謝するサファイアとは対照的にそんな彼女と正面から相対したハイネは怖気づいていた。
どうやら、先ほどの罪悪感がまだ過ぎ去ってはいないようだ。
真横を向いて静かに詞を紡いだ。
「……あなた、化粧はするんですか?このやろう」
「えっ?……あ、あんまり……」
いや、それでもいつもはもう少し、とサファイアは見栄を張ろうとしたが寸でのところで止めた。
どんなに化粧を施したところで、この天使には鼻で笑われてしまう程度にしかならないことくらいは、残念なことに、十分身の程をわきまえていたからだ。
ハイネはそれに対し、一瞬躊躇していたが、やがて口を開いた。
「――じゃあ、あなたに似合う化粧の仕方を教えます。化粧台はどこですか?このやろう」
「「えっ?」」
サファイアと同時に驚きの声を上げたのは、意外にもトラオアだった。
どちらかというと、サファイアよりもその度合いは大きかったように感じられた。
すると、今まで陰に隠れて存在感をしっかり消していた、優秀な侍女が姿を現した。
「こちらです。ご案内します。私も人間……ではなく、お嬢様にお化粧を施して差し上げたかったのです。良ければ、一緒に立ち会いたいです」
フランソワーズが些か興奮気味に告げた。
(……違う。私のためってだけじゃない。自分の探求心のためだ!)
サファイアはすぐに彼女の意図を理解したが、その魅惑の知識を得たい気持ちは自分にもある。
そこは、年頃の女性なのだ。
興味はすごくある。
サファイアはちらっと、タッキーを見つめた。
その無言の訴えに彼は溜息を吐いた。
「……手短に済ませろよ。なにかあれば、大声で叫べ」
サファイアの顔がパァーッと明るくなった。
そして、三人は奥の部屋へと連れ立って出て行った。
「……」
「……なんだ?」
タッキーが痺れを切らして、残された男に訊ねた。
「いやぁーー。……『タッキー』ってなんだ?」
「ぐっ!」
トラオアの当然の疑問にタッキーは苦虫を潰したような顔つきになった。
痛いところを突かれてしまった。
彼らと出逢った頃、確かに彼には『タッキー』などという可愛らしい名は存在しなかった。
『呪師』という名称だけが、彼を呼べるただ一つの名称だった。
それが、突然依頼の連絡をしてきたかと思えば、金に糸目は付けないから、舞踏会で誰よりも美しい女であれる一級品を早急に揃えろ、と言ってきた。
体型も標準だから、社交界に初参加する女たちが着るような既製品の型で良い、とまで指示して。
ついに頭がイカれたのかと疑念を抱いたほどだった。
あれほど、代償に拘りがあったのだから、当然の如く守銭奴なんだと思っていたのに。
この不思議な存在にそこまで大切に扱われているとは、一体どんな女性なのだろう――。
そもそも、その対象が人間で、なおかつ、今国中の話題を独り占めしているサファイアの宝石眼であったと聴かされたときには、さすがに半信半疑だった。
しかし、使いに行かせた従者からサファイアの涙を届けられたときには、驚きを通り越して気絶しそうになったものだ。
だからこそ、好奇心が抑えられず期待して館を訪れた。
しかし、出迎えてくれたその人は、とてもあの、全く人を寄せ付けない呪師に大事にされているような女性には見えなかった。
街中を歩く普通の少女がそこにはいた。
そこに、一度驚かされた。
しかし、二度目はすぐに訪れた。
きっと、ありえない。
彼女の一つ一つの行動、どれを取っても他者の目からはそう見える。
あぁ、やっぱり違うのだ――。
選ばれた人間というのは。
汚れない、汚されない。
それどころか、周りまで浄化してしまう。
自分の生き方が全て正しいなどとは思ってない。
だからといって、他人から変えろ言われて、変えられるものではない。
そう、思ってきたのに。
彼女は、変えろと指図はしなかった。
変えてほしいと懇願もしなかった。
ただ、彼女という存在に触れて、自分自身から変わらなければ、と戒めさせられた。
自覚させられたのだ。
間違ってるなんて言わないよ。
あなたの人生だもの。
そう、突き放されてしまう方が、不安になってしまうことを彼女はよく理解している。
無意識だから、余計に恐ろしい。
その呪いを、恩恵を、先にハイネは受けてしまったらしい。
それこそが、最も驚かされたことだった。
「気にするな。隠語みたいなものだ」
タッキーのはぐらかした答に、トラオアはそれ以上追及しなかった。
『無駄な努力は昔から一番嫌いだから』。
「いやぁーー、そうですか。……それにしても、ハイネが自分以外のためになにか行動を起こすなんてね」
トラオアは感慨深げに言った。
子の成長を見るのは、やはり嬉しい。
たとえ血の繋がりのない関係であっても――。
「ふん。まだ、あいつを信用はしてないからな」
一度犯した罪は消えない。
残る人にはいつまでも残る。
これは、仕方のないことなのだ。
「いやぁーー。――その割には易々と行かせたね、一緒に」
「……」
ただ、赦すこともいつかはできるのだ。
それも、仕方のないことなのだ。
タッキーは、その疑問には遂になにも詞にしなかったが、トラオアにはそれで十分だった。
否定されないことが、なによりの収穫だ。
そして、徐に紙の束を取り出した。
「いやぁーー。話がずれてしまいましたね。――これが、クヴェレ公爵家主催の今度の舞踏会に出席が予定されている人間の資料です」
彼が内緒話のように声を潜めた。
それだけ、本来なら簡単には手に入れられない情報なのだ。
「――確かに」
タッキーは、ざっと字面に目を通して受け取った。
そして、残っていた侍女に指示し、ずっしりと重みのある麻袋を何袋も渡させた。
中身はもちろん全て金一色の硬貨である。
すでに、前金で半額支払っているため、この倍額が今回の取引金額である。
「いやぁーー。いいのかな。今回はハイネの不祥事もある。代金をそのまま渡されるのは、こちらとしても、ちょっと心苦しいな」
トラオアは満面の笑みで麻袋を受け取りながら告げる。
「ふん。そんな心にもないことを」
「いやぁーー、本気ですよ。……だから、今度あのお嬢さんに関する依頼をされるときは、一度だけタダでお引受け致しましょう」
――たとえ、どんな依頼内容であっても。
タッキーはその詞に驚いた。
トラオアの表情には冗談めいた視線は一切なかった。
本気で言っている。
タダにする――。
詞にすれば簡単に聞こえるが、商売人にとって、それはなによりの謝罪が込められている。
特に、彼のような生粋の気質の人間には。
(いや、もしかしたら謝礼のつもりか)
タッキーは、密かにそう判断した。
それは、あの幼女に罰を与えなかったことか。
それとも、救ってやったことか。
意味は同じに聞こえるのに、真逆のようにも聞こえる。
はてさて、彼の真意はどちらやら。
タッキーもまた、そこを追求しなかった。
どちらの理由であっても自分に不利はない。
それだけ変わらなければいい。
『無駄な詮索は昔から一番嫌いだから』。




