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ブラックサファイア  作者: 早紀
61/227

12-2


 それに対し、サファイアは少し身体を揺らした。


(今、やつれたって言おうとした!やっぱり、私って見た目ですら疲れて見えるの?死相が出てるの!?)


(煩いぞ、小娘。あの程度で音を上げたくせに威張るな)


 サファイアが必死に隠している心の嘆きすら、鬼教官に一蹴された。


 あの程度がどの程度なのか、これはタッキーが人間ではないから価値観が異なるのか。


 それとも、単に容赦がない血も涙もない性根なのか。




 おそらく、後者だ――。




 どうして?


 確かに、己の師匠に一瞬でも不埒な思いが過ったことは認める。


 だからって、こんなにすぐ罰が当たるなんて。


(そんなに私が悪いのか!)


 彼女は、心中で己となにかで戦っていた。




 サファイアは、必死に特訓の成果で優雅に小首を傾げた。


「まぁ、そう見えました?緊張してしまって……。どこか、お見苦しい点がなければ良いのですが」


 口調がわざとらしすぎる。


「い、いや。そんなことないよ。……綺麗だよ」


 クルスは、慌てて狼狽しながらも彼女を褒め称えた。


 その頬が仄かに赤みを増していることなど、露ほどにも気づかず。


 サファイアは密かに、己の口が変な方向に曲がってしまうのではないかと不安になっていた。 




 総てはこの一週間が原因だ。


 長すぎた。


 いや、短すぎた。


 サファイアはゆっくりと、この怒涛の時を振り返った――。






「違う!そこは、足を綺麗に閉じろ!お前は音楽の三拍子をなんと心得てる!」


「は、はい……」


「せめて、ワルツだけでも優雅に踊り熟してみろ!おい、もう少し頭は左だ!ほら、また姿勢が崩れてるぞ!」


「は、はい!キャッ」


 お約束に相手の足を踏んでしまった。


「ご、ごめんなさい、フランソワーズ」


「私、気に致しません。さぁお嬢様。主人(マスター)待っています。続けましょう」


 サファイアは相手役の男性役を買って出た指南の女性に謝罪したが、彼女は片言(かたこと)の詞使いで慰めてくれた。




 彼女の正体。


 それは、あのリスだ。


 それも、数匹いるリスの母親である。


 最も長くこの館に住み着き、人間として侍女でいる時が多すぎた。


 彼女は、他のリスよりも数段賢かった。


 まだ、侍女見習いのような時から好奇心旺盛な性格が幸いし、タッキーに頼み込み、こうして詞や礼儀(マナー)を一通り習得してしまったのだ。




 自らが望んで。


 こちらは本物の人間なのに。


 なんだかやるせない気持ちにさせられる。




 姿は本当に侍従長のように穏やかかつ堂々としている。


 明るい茶髪も艶やかで後方で一つに結んで束ねているが、隠しているのがもったいない気さえする。


 服装にも乱れは一つもない。


 笑みを浮かべた時の笑窪も年に似合わず可憐だ。


 とてもあんなに子供がいるようには見えない。


 サファイアは、目端でせっせと侍女仕事をする彼女の娘たちに眼をやった。


 もちろん、あの人間の姿で生んだわけではないが。




(リスって何歳くらいで子供を産むのかしら?)


 そんな失礼なことは訊けないが、タッキーに言ったらまたそんなことも知らんのか、と一喝されそう。


 サファイアは、結局疑問をそのままに指南を受けた。


 相手が誰であろうと、わざわざ自分に時間を掛けて指導に当たってくれている。


 感謝しなければ。


 泣き言を言わないように。


 そう、心には誓っているのだが――。 




「いいか。その歩調(ステップ)を習得したら、次はあの資料を暗記したか、試験(テスト)するぞ」


「――!」


 サファイアの固まった表情にタッキーは訝しげに片目を閉じ睨んだ。


「まさか、まだ覚えてないなんて言わないだろうな?」


 タッキーが腕を組んで上から威圧的な声を掛けてきた。


「だ、だい……」


「ん?」


「……大分(だいぶ)、わからないです、まだ」


「その脳みそは飾りか!?」


「うぇーーーん!だって、あんなに多いなんて」


 彼らが指す資料とは、クヴェレ公爵家の舞踏会に参加する貴族の一覧だった。


 名前だけならいざ知らず。


 そこには、その人間の趣味や近況までが事細かに記されていた。


 彼女にも、知識を詰め込める場所には限りがあった。




 『社交界には情報が命』。


 これは、冗談ではない。




 この情報がなく、もし勝手な行動を取った人間がいれば、その当人はもちろん、後ろ盾の家すら没落の憂き目に遭う。


 そこは宝石眼(ユヴェールアオゲ)であるサファイアにはあまり関係はない話だが、貴族との良質の(パイプ)は多いほど自分にとって有利に働く。


 つまり、あるに越したことはないのだ。




「少し、休憩させて下さい。唯でさえ、今日は初めてこんな着慣れない礼装(ドレス)を着ての本番と同じ練習なのに」

 ――息苦しいです、とサファイアは辛くも呟いた。


 彼女は己が着用する豪華すぎる衣服を改めて視た。




(本当に、これ私に似合ってるのかしら……)


 サファイアは気落ちしていた。


 ちらっと盗み見した傍の棚の上には、これまた価格を恐ろしくて未だに訊けていない貴金属類がこれでもか、と置いてある。


 全てサファイアが舞踏会で身に着ける予定の装飾品(アクセサリー)である。




 訊くときっと付けられない。


(絶対壊さないようにしよう)


 彼女はそれだけを肝に銘じた。




(本当に。あの資料と言い、この礼装(ドレス)装飾品(アクセサリー)の数々。あの二人って一体何者なのかしら……)




 サファイアは昨夜の出来事を回想していた。


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