11-8
「俺が欲しいのは、『宵闇の導』と名付けられた最高品、白き秘宝〝ムーンストーン〟です」
ガタッ――!!
サファイアは反射的に立ち上がった。
椅子が床へ無様に倒れるのも厭わずに。
タッキーも彼女の異変をすぐに感じ取った。
それほどまでに、只ならぬ雰囲気が彼女から醸し出されていたのだ。
「ムーンストーン?」
サファイアはゆっくり宝石名を繰り返した。
その名を、訂正してくれることを懇願するかのように。
「――そうです」
その儚い願いは、いとも簡単に打ち砕かれるとわかっていたのに。
彼の声に。
表情に。
決意の瞳に――。
「どうした?」
「……」
サファイアは無言でクルスを見つめた。
彼の真意がわからない。
だって、かの宝石は――。
「……お好きなんですか?ムーンストーンを」
ただ、それだけを問うた。
クルスからヒュッ、と喉を刺す渇いた音が聞こえた。
それが、なにを意味するのか。
読み取りたいのに霧が深く見通せない。
なんと、もどかしいことか。
「――あぁ。好きだよ。……ダメかな?」
その呟きは果たしてサファイアに向けてか。
誰に告げた詞なのか。
誰に許しを乞うたのか。
その複雑な感情にサファイアはそれ以上彼を追求できなかった。
「い、いえ。ムーンストーンは素晴らしい宝石です。……お好きで当然ですよね」
ただ、彼に賛同を示すこと以外にできることはなかった。
(ちっ。そんな顔してないくせに)
タッキーは、暗い表情のサファイアを察した。
なにが、そこまで彼女の動揺を招いているかは判断できないが。
奴の依頼に不備はない。
例外はない。
一旦、引き受けると宣言した。
それは、覆せない。
「承った。それで、いつから公爵家へ出向けばいい?」
タッキーの詞にクルスは安堵の表情を示した。
対照的に、サファイアはさらに下を向くこととなったが。
「競売の三日前より公爵家にて三夜に渡って、大々的な舞踏会が行われるんです。会場に競売の商品を展示して客の目に吟味させるように趣向を凝らして」
「つまり」
「はい。できれば、その初日。今日から丁度一週間後に、公爵家へ行き最終日の競売に備えたいんです」
タッキーはゆっくり頷いた。
「サフィーには、俺の同伴者として出席してもらいたい。……だが、レッサーパンダの君はどうしようか。彼女の愛玩動物として連れて行くか。それとも姿を隠すか」
「俺は、前者でいい」
タッキーの即答した選択は、クルスには少し意外だったようだ。
「構わないんですか?」
「ふん。こんなにも高貴な俺を連れて歩くなど、この阿呆小娘の品位が多少なりとも上がって見えるからな。師匠の優しさだ」
「……」
タッキーの軽口にもサファイアは無言だった。
意識は、深淵まで遠ざかっている。
クルスは、そんな彼女の疑念を知ってか知らずか、そのまま席を立った。
「――それでは一週間後。またお迎えに上がります」
そのまま紳士の一礼をして館を退出した。
クルスは扉を閉じた。
その音と彼の足音だけが館に響いていた。
「おい」
「……」
タッキーは溜息を吐いた。
「言ってみろ。なにを思ったか」
その詞にサファイアは、意識を戻した。
「……別におかしいことじゃないの」
「そうだな。人の好き嫌いなんて他人が決定づけるものじゃない」
サファイアはコクンッ、と頷いた。
「それでも、疑問があるなら言ってみろ」
タッキーは、促した。
「……タッキーは宝石眼の宝石がどうしてあの十二種類になったか知ってる?」
「ん?」
「鐘撞人の話は有名だけど、実は宝石自体の選定には諸説あるの」
タッキーは話を遮らずに傾聴した。
「これは、ユヴェール神がまだ下位の男神だったと云われていた頃の、あまり一般には知られてない逸話なの」
サファイアは、自らの瞳を与えた者の悲劇を語った。
「ユヴェール神が愛した鐘の舌は、物によっては宝石が一粒ではなく何粒かで仕立てられていて、元々十二種類以上の宝石が輝きを放っていたと云われているの」
――その宝石たちを平等に愛し子のように。
サファイアは、一度そこで瞳を閉じた。
まるで己の懺悔を聴かせるかのように。
「でも、狭い世界で生きる人間は〝十二〟という型にはまった数字通りに、一つの鐘に必要な石を一種類に決めつけようとした」
「どうやって?」
宝石同士を争わせたの――。
輝き、煌めき、眩さ。
それは皆〝光〟のなかにある存在。
しかし戦争とは?
それは〝闇〟のなかに潜む存在。
相容れないはずなのに。それを人間は宝石に起こさせた。
「ユヴェール神はその人間の愚盲な罪に嘆き悲しんだけれど、当時は、人間の信仰失くしてはその姿を認識させ続けられないような淡い存在だった。消え失せることは赦されない。それで結局、今の十二種ある宝石眼の宝石が選定されたという哀しい結末を迎えた噺よ」
なぜ、愛したいと想う者を他の誰かに決められなければならない。
なぜ、皆同じでなければならない。
なぜ、優劣や順位を付けなければならない。
そこに、意味などないはずなのに。
人間とは、なんと悲しき生き物よ――。
「なるほどな。いかにも、人間が好みそうな神話だな」
ユヴェール神は確かに存在する。
しかし、神話までは本当にそうだったかなど、我々には判断できない。
だから、色取り取りの語り部が生まれ、それは人間の娯楽の一つとなるのだろう。
それは、決して悪いことではない。
それだけ、いつもユヴェール神を身近に感じられるのだから。
「そうね」
サファイアも頷いた。
彼女ですら、そのお伽噺に強い想い入れがあった訳ではない。
ただ――。
「それで?まさか、ターコイズと争って負けた宝石ってのがムーンストーンなのか?」
タッキーは察しが良い。
話の流れを読み取れば、その可能性が濃厚な線だ。
しかし、サファイアはそれを否定した。
「ううん、違うの。ムーンストーンは確かに十二の宝石を選定するときに競い合った宝石の一つだけど、それはパールとなの」
「パール?」
「……うん。だから、クルス様がムーンストーンを好きでも全くおかしくないの。でも……」
サファイアは己の僅かな違和感を消せないでいた。
これは、宝石眼として感じたことかはわからない。
しかし、喉の奥にずっと引っかかりがある。
それが、取れないでいる。




