11-9
「そういうことか」
それなのにタッキーは納得したようだった。
「えっ?」
「お前が、なんで疑問をあの場ですぐに言わなかったのかが分かった」
タッキーは解説を始めた。
「もし、さっき奴が自分と争った宝石の名称を告げたとしたら、それは宝石眼としてさすがにおかしい。無神経過ぎる行為だと相手の真意を確かめられた」
――しかし、実際は違う。
タッキーは鋭さを秘めた口調で言った。
「あいつが欲したのは、別の月と争った宝石だ。間接的には無関係とは言えないが直接的に関係があるとも言い難い」
サファイアは頷いた。
「さらに付け加えるなら、今パールの宝石眼は存在していない。そいつがいればまた話は変わっただろうが、そういう無神経さもない」
「そうなのよね……」
サファイアとて、己がパールの宝石眼であったなら、いくらなんでも相手を非難していたかもしれない。
そんな義理は彼にはないが、それでも己を眼の前にしてする望みではないだろう、と。
「だが、それでも些細な歪さがある」
冷えた空気が流れた。
先ほどまであった温かい料理を彼が全てその手中に収めてしまったからだけではない。
がらんとした室内。
空の食器は、台の上に乗せられていても意味はない。
そこにあるだけでは、使えないのだ。
〝料理〟という己の美しさを引き立たせる存在がその内側を満たさなければ。
料理も同じ。
そのままでは、台に置けない。
〝食器〟という己を美しく見立てくれる存在がその外側を囲まなければ。
使えないから――。
「あいつには、ムーンストーンを手に入れた後の使用方法がない」
その通り――。
彼は、宝石眼である。
その身に付属する宝石は否応なしに注目を集める。
もし、公式の場で、彼がムーンストーンを身に着けていたとしたら。
それは、パールではなくムーンストーンこそが宝石眼として相応しいと思考している。
そう受け取られてもおかしくはない。
他の宝石眼の宝石や、なんの関係もない宝石を身に着けることは構わない。
しかし、争いによって散っていったかの宝石をその身に宿す。
それは、彼らには赦されない。
道徳心に欠けている。
使えないのに所持する意味はない。
なら、なぜ欲しがる?
「もちろん。ムーンストーンは素敵な宝石よ。特に女性にとっては憧れの宝石だもの」
ムーンストーン。
その名、そのままに『月』を意味する。
そして、月は女性を現す。
世界に唯一つの存在。
男からその対象としてそれを身に着けることは、女にとってはこれ以上ない程の誉である。
「もし、クルス様に大切な女性がいらっしゃるなら、ありえない望みではないけど……」
「ありえないな」
タッキーは断定していた。
気づけば、窓の外では赤々と夕日が沈んでいる。
夜が訪れる。
それを、唐突に感じた。
「あいつに、もし好いた女がいたとしたら、ムーンストーンなんてまどろっこしい宝石を渡して口説くより、ターコイズの涙をその身に着飾らせてやった方が何倍も効果があるだろうからな」
ムーンストーンでは、彼の隣で美しくあれない。
どうしても、不釣り合い(アンバランス)になってしてしまうから。
「まぁ、相手が相当酔狂な女なら別だがな」
「でも、やっぱり……」
「あぁ。あいつは誰かにムーンストーンを与えるつもりはないだろう。己の物にするために手に入れようとしている」
――そうでなければ、ここまでの代償を易々と手放しはしないだろうからな。
その詞に忘却しかけていた疑問が再燃する。
「そうよ!タッキー、どうして望みを銅貨一枚で叶える気になったの?ほとんど、タダ働きだよ!?」
彼が、そんな損得を気にしない善良な呪師でないことは既に百も承知。
でも、己の欲望だけで突き進む愚か者でもない。
その、はずだ――。
サファイアは若干、彼への信頼度が揺らいでいた。
タッキーは、彼女の詞に不気味な笑みをくれた。
「お前は、宝石以外の知識がまるでないな。よく見てみろ。これが、お前の知ってる銅貨か?」
「え?」
サファイアはタッキーが大事に持つ銅貨を再度凝視した。
「――あっ!」
よく見ると、その銅貨はサファイアが常日頃から馴染み深いそれとは模様や色合いが異なっていた。
サファイアが知るツァール国の銅貨は、中央に霊木として名高い月桂樹の葉が描かれている。
色は銅に、僅かに錫や亜鉛が混じる青銅製である。
しかし、目の前にある銅貨は少し錆びついていて年季が入っている。
中央には〝ツァール国の大地の恵み〟と文字が刻印されている。
というより、手彫りにすら見える。
配色も錆びつきの中に見える、圧倒的な〝赤〟。
それはもはや、銅を超える。
赤金――。
「ま、まさか純銅?」
「正解だ。これは、今とは違い、まだ職人の技術が乏しかったために、銅のみで造り上げられたツァール国開国初期の頃に出回った硬貨だ」
「か、開国初期?」
サファイアは息を殺した。
そんな貴重な硬貨をあっさり望みの代償に。
「本来なら、資料博物館へ寄贈するほどの代物だな」
タッキーは鼻歌混じりに呟いた。
通りで簡単に引き受けるわけだ。
サファイアは、己の師匠が何一つ動揺していなかったことに安堵し、同時に警戒を強めた。
やはり、クルスは己の望みでムーンストーンを手に入れようとしている。
あっさり、過去の宝を手放せるほどに。
そこであれっ、と思った。
「ねぇ。タッキーはこういう昔の硬貨とかはあんまり持ってないの?」
どの程度、長生かは定かではないが、少なくとも一目見てその硬貨が開国初期の物だと判断できる点を考慮すれば、様々な硬貨をその目に焼き付けていることは間違いではないはずだ。
しかし、先ほどの喜びようから察するに、彼はあの銅貨を所持していなかったように思われる。
いずれ必ず価値が跳ね上がる代物を、彼はなぜ収集しなかったのだろうか。
それが彼女には不思議でならなかった。
「俺は、昔から金貨以外は扱わん。銅や銀は、あくまで知識として見分けられるだけで、使わん物は当然持ち合わせん」
――そんなことより、準備を始めるぞ。
タッキーは、そのままサファイアの表情を振り返ることもせず、歩き出した。
(どうしよう。今、一瞬でも自分の師匠に殺意が湧いた私って、やっぱり罰当たりかしら)
一般庶民だったサファイアは、眼の前を悠然と歩く動物を苦々しく見つめていた。
それが受信されてしまったのか、タッキーは、ぐるっとこちらを少々大げさな動作で振り返った。
「おい、わかっているのか!?」
「うぇ?」
完全に思考が飛んでいた。
タッキーが己になにを忠告したか全く聞いていなかった。
「お前は、ターコイズの宝石眼の同伴者かつサファイアの宝石眼として公爵家で紹介されるんだぞ。しかも大々的な舞踏会にも出席してな」
タッキーの含み笑いの詞を理解し飲み込んだ瞬間、サファイアは文字通り顔を真っ青にした。
「つまりは、お前のお披露目も兼ねられるってことだ。しかし、阿呆小娘が公衆の面前で舞踏をするとは……」
タッキーはその場を想像したらしく、プププッ、と笑いを抑えなかった。
完全に面白がられている。
いや、そんなことに構ってる場合じゃない。
私が、公爵家の舞踏会で舞踏?
言えば言うほど、違和感が増す。
しかもターコイズの宝石眼の同伴者として?
死ねる。
羞恥心で今すぐ。
滑稽すぎる。
「――心配するな」
今度はタッキーが先ほどと打って変わって真剣な顔でサファイアを慰めた。
「タッキー?」
「俺は、お前の師匠だぞ。――だから、前の時のようにお前を特訓して完璧な淑女に見立ててやる!一週間で!」
シーーーン。
サファイアはゆっくり詞を反芻した。
前の時?
あの地獄の特訓を?
しかも一週間かけて?
それって――。
「今日から、一睡もできると思うなよ!さぁ、始めるぞ!」
サファイアの厭な予想は寸分たりとも的の中央から外れなかった。
どうしていつも私なの。
そんなの――。
「イヤーーーー!!」
サファイアの心からの叫びだけが館内を木霊した。
ほら、まただ。
この館に近づいてはダメよ。
恐ろしい女の悲鳴が聞こえてくるから。
外を歩く母親が子供に教える。
だって、ここは誰も近づきたがらない『食肉の館』なのだから。




