第6話:読まれた黒歴史と、転生侍女の正体
王宮にルシアン殿下の噂が広まるのは、本当にあっという間だった。
『氷の暴君、実は死んだ婚約者のガチ恋勢だったらしい』
『毎晩肖像画に「今日も可愛いよ」って話しかけてるらしいぞ』
『尊い……っ』
そんな噂が城中を駆け巡った結果、すれ違うメイドや近衛騎士たちは皆、殿下の姿を見るなりニヤニヤしてしまうのを必死に堪え、一生懸命下を向いて通り過ぎるのを待つようになってしまった。
肩をプルプル震わせている者も少なくない。完全にいじられキャラ(本人は無自覚)の誕生である。
(ああもう、だからあれほど自重しろって言ったのに……)
胃を痛めながら、そんなある日。
私がいつものように執務室の扉を開けると、そこには信じられない光景が広がっていた。
「…………」
ルシアン殿下が、執務机に突っ伏して微動だにしない。
いつもなら「おおソフィー! 今日のセリアも最高だぞ!」と無駄にテンション高く迎えてくれるはずなのに、今日の殿下の背中からは、この世の終わりみたいなドス黒いオーラが立ち上っている。
「ど、どうされましたか?」
恐る恐る聞いてみても、返事はない。
(あ、これ……ついに王宮に流れている自分の噂を耳にしちゃったパターンかな?)
いくら限界オタクとはいえ、彼は腐っても王太子。
自分の威厳が地に落ち、メイドたちから「切ない純愛ロマンス(笑)」として消費されていると知れば、そりゃあ落ち込みもするだろう。少し可哀想になってきた。
私はポンコツな主君を慰めるべく、慌てて歩み寄った。
「気にすることはありませんよ! 殿下は王太子なのですから、噂など気になさることはございませんよ!」
必死に励ます私。
しかし、殿下から返ってきたのは、予想の斜め上をいく言葉だった。
「……読んだ」
「はい?」
「……読んだんだ」
(?! ま、まさか……)
ドクドク、と心臓が跳ね上がった。
嘘でしょ。
視線を落とすと、殿下が突っ伏している机の奥に、見覚えのある革張りの手帳が置かれていた。
厳重にロックされていたはずの、私の、黒歴史日記帳。
それが今、無残にもパカッと開かれている。
(ひいいいいいっ)
殿下が、ゆっくりと顔を上げた。
アメジストの瞳は完全にハイライトを失い、虚無の底を彷徨っている。
「ソフィー……俺は……俺は……」
カサリ、と。
殿下の手が震えながら日記のページをめくった。
「セリアにとって、ただの……『コミュ障のミジンコ』だったんだな……」
(読まれてるううううううう!!)
終わった。完全に終わった。
数日前の私の暴言が、一言一句違わず王太子の脳内にインプットされてしまった。
「しかも、見てくれこれ……。俺の顔の似顔絵だ……。なぜ額に『肉』と書かれているんだ……? なぜ鼻毛が三本も飛び出しているんだ……?」
(むしゃくしゃして描いた落書きのページまで見られてるううううう!!)
穴があったら入りたい。いや、むしろもう一度崖から飛び降りたい。
極大の羞恥心と「不敬罪で処刑される」という恐怖で、私の顔からは一気に血の気が引いた。
「俺は……っ、あいつに嫌われていたのか……っ? あんなに、あんなに愛していたのに! 俺が塩対応を極めすぎたせいで、あいつの目には俺が鼻毛の出た肉星人に映っていたというのかあああ!!」
バンッ! と机を叩き、ルシアン殿下は両手で顔を覆ってガチ泣きを始めた。
怒り狂って私を斬り捨てるのではなく、純粋なショックで心が折れている。
限界オタクにとって、『推しに嫌われていた(しかもめっちゃ口悪く罵られていた)』という事実は、死ぬよりも辛い現実なのだ。
「で、殿下! お待ちください! それは誤解です!」
私は自らの黒歴史(と命)をカバーするため、咄嗟に口から出まかせを叫んだ。
「誤解……? これだけはっきりと『いつかあの氷面を引っ叩きたい』と書かれているのにか……?」
「ち、違います! これは暗号です! 高度な、恋する乙女特有の暗号なのです!」
「暗号……だと?」
涙目のルシアン殿下が、すがるような目で私を見上げてくる。
頼む、私の脳内CPU、フル稼働してくれ。
「そ、そうです! いわゆる『ツンデレ』という現象でございます! 公爵令嬢たるもの、素直に『殿下が好き』とは書けません! ですから、愛情が深ければ深いほど、あえて日記には逆の悪口を書いて照れ隠しをするのです!」
「なっ……なんだと……!?」
「『引っ叩きたい』は『触れたい』の裏返し! 『コミュ障ミジンコ』は『不器用なところも愛おしい』という意味なのです! 鼻毛の落書きは……えっと、そう! 魔除けです!!」
(我ながらなんて苦しい言い訳!!)
絶対無理がある。いくらポンコツでも騙されるわけが――。
「そ……そうだったのかぁぁぁ!!」
(騙されたあああ!!)
殿下はガバッと顔を上げ、劇的に輝く瞳で日記帳を抱きしめた。
「ああ、セリア! 君は日記の中でまで、そんなにも高度な照れ隠しをしていたというのか! なんていじらしい! なんて可愛いんだ! つまりこの鼻毛は、俺を災いから守るための愛のまじない……っ!!」
スリスリ、スリスリ。
鼻毛の落書きに頬ずりを始める王太子。
「よし! このまじないの似顔絵、すぐに職人に命じて純金のペンダントにさせよう! 俺はこれを一生肌身離さず身につけるぞ!」
「絶対にやめてください!!!」
私は顔面蒼白で殿下から日記帳を引ったくろうとしたが、遅かった。
こうして、王宮に流れる『氷の暴君の限界オタク伝説』に、また一つヤバすぎる新たなページ(鼻毛ペンダント事件)が刻まれることになってしまったのである。
◆ ◆ ◆
「それより、噂とはなんだ?」
ふと、執務室の空気が変わった。
数秒前まで「鼻毛は愛のまじない!」と叫んで目を輝かせていた限界オタクのテンションが嘘のようにスッと消え去り、そこには本来の『氷の暴君』の冷たく鋭い眼差しがあった。
殿下は、私が先ほど焦って口走った『噂』という単語を、しっかりと拾い上げていたのだ。
(しまった……っ!)
「う、噂とは?」
「先ほど言っていただろう? 王宮に流れている自分の噂、とな」
「さ、さぁ……。私めには何のことやら……」
目を逸らし、冷や汗を流しながら誤魔化そうとする私。
しかし、ルシアン殿下は逃がさないとばかりに、一歩、また一歩と距離を詰めてくる。
「それに、なぜお前は日記の内容が暗号だと知っているのだ?」
「!」
「パンプキンスープと紅茶の件もそうだ。隣国のバルド卿の腰痛のことも、あの隠しスケジュールの手配も……前から妙だと思っていたのだ」
殿下の声が、一段低くなる。
「そ、それは……っ」
「お前は、セリアのことに詳しすぎる」
「えっと……」
ジリジリと。
一歩ずつ詰め寄ってくる殿下の威圧感に圧され、私はたまらず後ずさる。
やがて、背中がトンッ、と冷たい壁にぶつかった。
逃げ場がない。
(やばい! 限界オタクのくせに、仕事ができる男だからこういうところは無駄に鋭い!)
ドンッ。
殿下の長い腕が伸び、私の顔の横の壁を突いた。
いわゆる、壁ドンである。
しかも、逃げ道ゼロ、圧倒的顔面偏差値を誇る王太子の完璧な壁ドン。
「あ、あの……殿下、顔が、近っ……」
見上げると、彫刻のように整った顔が至近距離にあった。
アメジストの瞳が、私の誤魔化しを許さないとばかりに真っ直ぐに射抜いている。
いつもは私の肖像画に頬ずりしている変態だというのに、こんな至近距離で本気の顔をされると、普通に心臓が止まりそうになる。
「お前は……一体何者だ?」
吐息がかかるほどの距離で、殿下が低く囁く。
「なぜ、セリアしか知らないはずのことを知っている? なぜ、セリアと同じ紅茶の温度が分かる? なぜ……お前を見ていると、俺はこんなにも、セリアを近くに感じるのだ?」
(……ッ!)
ドキン、と。
恐怖とは違う理由で、心臓が大きく跳ねた。
殿下の瞳の奥にあるのは、ただの疑念だけじゃない。
すがれるはずのない希望に、必死に手を伸ばそうとするような、ひどく切実な色。
彼が私の中にある『セリア』の気配を、確実に見つけ出そうとしている事実に、胸の奥がギュッと締め付けられる。
「答えろ、ソフィー。……お前は、誰だ?」
氷の暴君の鋭い追及。
言い逃れ不可能な絶体絶命のピンチを前に、転生侍女ソフィー(中身は元婚約者)の脳内は、かつてないほどのフル回転を余儀なくされるのだった――!
◆ ◆ ◆
「わ、私……」
言葉に詰まり、私は殿下から視線を逸らした。
(隠す必要、あるのかな)
頭の片隅で、ふとそんな思いがよぎる。
ここで「実は私がセリアです」と本当のことを言ったって、普通は信じてくれるはずがない。頭の狂ったメイドだと思われて、なんなら王族に対する不敬罪で王宮を追い出されるかもしれない。
でも――そのほうがいいかもしれない。
こんなに「セリア、セリア」と泣いてくれる限界オタクな殿下だけど、彼は一国の王太子なのだ。
いずれ必ず、新しい婚約者ができる。新しい女性を隣に立たせ、未来の王妃として愛さなければならない日がやってくる。
(そんな二人の側で、下働きの侍女としてお世話をしなきゃいけないなんて……)
ズキリ、と。
胸の奥が、鋭く痛んだ。
生前はあんなに塩対応されて、ムカついて、鼻毛の落書きまでした相手なのに。
彼が私以外の人を見て、愛おしそうに微笑む姿を想像すると……耐えられないくらい、悲しくなっている自分がいた。
(あーあ。私、いつの間にかこの変態オタクのこと、ほだされちゃってたんだな……)
だったら、ここで追い出されたほうがよっぽどマシだ。
未練がましく見守るなんて、ごめんだ。
私はギュッとお仕着せのエプロンの裾を握りしめ、覚悟を決めた。
大きく深呼吸をして、顔を上げ、真っ直ぐにルシアン殿下のアメジストの瞳を見つめ返す。
「殿下。信じられないかもしれませんが、どうか聞いてください」
「……なんだ」
殿下の顔が、微かにこわばる。
私は震える唇を噛み締め、ゆっくりと、はっきりと口を開いた。
「私の中身は……死んだはずの、セリア・フォン・アルバーンです」
しん、と。
執務室から、全ての音が消え去った。
ルシアン殿下は目を見開いたまま、ピクリとも動かない。
瞬きすら忘れたように、至近距離でただ私を見つめている。
時間が止まったような、永遠にも感じる数秒間。
(……あ、これダメだ。完全にドン引きされてる。そりゃそうだよね、不気味だもん。終わったわ、私の第二の人生……)
私は静かに目を閉じ、冷たい声で衛兵を呼ばれる覚悟をした。
「…………ぇ」
しかし。
静寂を破って聞こえてきたのは、衛兵を呼ぶ声ではなかった。
「ええええええええええええええええええええええええええええ!?」
王宮の窓ガラスが割れんばかりの、王太子殿下の特大の絶叫だった。
あまりの音量に、私はビクッとして肩をすくめる。
「ま、待て! 待ってくれ! お前が……ソフィーが、セリア!? 中身が!? あの、俺の最愛の、あのセリアが!?」
「は、はい……その、馬車で事故に遭って、気がついたらこのソフィーの体になっていまして……」
殿下は私からバッと離れると、両手で頭を抱えて部屋の端まで後ずさった。
「うそだろ!? じゃあ、俺が毎日肖像画にスリスリして泣き叫んでいたのも!? 鼻毛の落書きを見つけて『愛の暗号だ』とガチ泣きしたのも!? あの日、俺が『セリアの字のハネやトメの美しさだけでご飯が三杯食べられる』と力説したのも!?」
「……はい。全部、至近距離で聞いておりました。ドン引きしながら」
「ギャアアアアアアアアアアアアアア!!!」
ルシアン殿下はそのまま崩れ落ち、頭を抱えて床をゴロゴロと転がり始めた。
王太子の威厳もへったくれもない。完全に、限界オタクの精神的キャパシティ(羞恥心)が致死量を超えてオーバーフローした瞬間であった。
「し、死ぬ……っ! 俺は死ぬ! 恥ずかしさで今すぐ崖から飛び降りたい! これまでの俺の奇行を全部、本人に見られていたなんてええええ!!」
「で、殿下! 落ち着いてください! 廊下に声が響いてますから!」
「無理だ! 俺はもう立ち直れん! 『コミュ障のミジンコ』の上に『ヤバすぎる変態』の称号まで加わってしまった! もうお前に顔向けできんんん!!」
床をのたうち回る氷の暴君(笑)を見下ろしながら、私は先ほどまでの自分のシリアスな切なさを返してほしくなった。
(……新しい婚約者、とか心配するだけ無駄だったかも。この人、私のこと好きすぎて完全にこじらせてるわ)
なんだか急に可笑しくなってきて。
私はたまらず、吹き出してしまった。
「……ふふっ。あはははは!」
「セ、セリア……?」
「もう、殿下ったら本当にバカなんですから! 威厳たっぷりの王太子なのに、中身は全然変わってないじゃないですか」
幼い頃のルシアン殿下は確かに感情をちゃんと見せてくれていた。
(なんで忘れてたんだろう)
私が心から笑い声を上げると、のたうち回っていた殿下の動きがピタリと止まった。
床に転がったまま、真っ赤な顔で私を見上げる殿下。
その瞳には、羞恥心だけでなく、信じられないほどの喜びと、安堵の涙が浮かんでいた。
「……セリア。本当に、セリアなんだな……?」
「ええ、そうです。……ただいま戻りました、ルシアン殿下」
私が優しく微笑みかけると、殿下はポロポロと涙をこぼし、今度は本気の号泣を始めてしまった。
不敬罪の心配も、新しい婚約者の心配も、どうやら杞憂だったらしい。
こうして、限界オタクの王太子と、下働き侍女(中身は公爵令嬢)の、新たなドタバタ王宮ライフが幕を開けたのだった。




