第4話:外交官の純愛と、王宮に轟く限界オタクの噂
あれから数日。
なんとルシアン殿下は、本当に王宮勤めの全職員の労働環境を劇的に改善してしまった。
(さすがルシアン様。仕事だけはできる方だわ……)
「十分な休息こそが最高のパフォーマンスを生む! セリアの愛した民を過労で倒れさせるなど、俺が許さん!」
そんな殿下の大号令のもと、無駄な深夜残業は禁止され、交代制が導入され、なんと特別ボーナスまで支給されたのだ。
結果として、いつも死んだ魚のような目をしていたメイドや文官たちの顔色は見違えるように良くなり、王宮内はかつてないほどの活気と忠誠心に満ち溢れている。
ただ、その理由が『死んだ元婚約者へのクソデカ矢印』であることは、私と殿下だけの秘密だ。
そして、王宮の労働環境がクリーンになったところで――いよいよ、運命の日がやってきた。
◆ ◆ ◆
「ついに来たわね……」
王宮の正門前。
ずらりと整列した近衛騎士と文官たち、そして見栄えの良いメイドたち(私もなぜか最前列に配置されている)の前に、他国からの視察団を乗せた豪華な馬車が到着した。
ドキン、ドキンと心臓が鳴る。
私がセリアだった頃から、何ヶ月もかけて準備してきた国家の一大プロジェクト。
私が死んで一度は頓挫しかけたものの、限界オタクの王太子(物理・権力最強)が力技で軌道修正した結果、なんとか今日という日を迎えることができた。
馬車の扉が開き、視察団の面々が次々と降りてくる。
その中心にいるのは、隣国の筆頭外交官であるバルド卿だ。
白髪交じりの立派な髭を蓄えた、眼光の鋭い初老の男性。一見すると威厳の塊のような人物だが……。
(知ってる。あの人、重度の腰痛持ちなんだよね)
長旅の馬車に揺られ、バルド卿が微かに眉間をひそめ、腰のあたりに手を当てようとした――その瞬間だった。
「よくぞ参られた、バルド卿。長旅の疲れもあろう」
バサァッ!と無駄にスタイリッシュにマントを翻し、ルシアン殿下が優雅に歩み出た。
その顔には『氷の暴君』らしい、冷酷で隙のない笑みが浮かんでいる。圧倒的なカリスマ性だ。
「まずは我が国自慢の職人たちが設えた、特製の硬めクッションを用意してある。すぐに控室へ案内しよう。マットレスも腰への負担が少ない特注品だ」
バルド卿の目が、驚きに見開かれた。
「お、王太子殿下……。なぜ、私が腰を痛めていると……?」
「ふっ。隣国の重鎮を万全の態勢でお迎えするのは当然のこと。我が国の……いや、我が『最愛の婚約者』が残した至高の采配の賜物だ」
(そこで私の名前を出さないでえええええ!!)
メイドの列の最前列で、私は顔を引き攣らせた。
なぜ外交の場で、どや顔で死んだ婚約者の惚気をぶち込むのか。
バルド卿は一瞬ポカンとした後、「ははぁ、なるほど。亡きセリア公爵令嬢の……素晴らしいお心遣いですな」と、大人の対応で深く頭を下げてくれた。
(バルド卿、本当にごめんなさい! そしてありがとう!)
「うむ! 彼女の慈愛は海よりも深い! 晩餐会のメニューも、卿らの体質を完璧に考慮した最高のものを用意している! さあ、こちらへ!」
(殿下、氷の暴君の仮面が剥がれかけてます!しっかりしてください!)
自信満々に視察団を先導していくルシアン殿下。
その完璧なエスコートぶりに、他国の外交官たちは「さすがは噂に名高い有能な王太子……」と感嘆の声を漏らしている。
(いや、裏で私に徹夜でスケジュール確認させて、私の計画を丸パクリしただけなんだけどね!?)
心の中で渾身のツッコミを入れつつも、私はふと、誇らしげな殿下の広い背中を見つめた。
動機は不純(というか限界オタク)極まりないが、私が命を削って組み上げた計画書が、こうして誰かの手によって形になり、隣国からの賓客を喜ばせている。
それは、下働きの侍女となった今の私にとって、不思議と胸が温かくなる光景だった。
「ソフィー、ぼーっとしてないで! 私たちも殿下たちの後を追うわよ!」
侍女長の声にはっと我に返り、私はメイド服のスカートを軽く握り直した。
「はいっ!」
ここからは実戦だ。
いくら計画が完璧でも、現場では必ずイレギュラーが起こる。
『視察団接待・特別総監督補佐』として、絶対にこの視察を成功させてみせる。
(待ってなさいよ、元・私の計画書! 限界オタクの殿下と一緒に、完璧に完遂してやるんだから!)
波乱の予感しかしない外交イベントが、今、華々しく幕を開けた。
◆ ◆ ◆
歓迎の晩餐会は、控えめに言っても大成功だった。
海鮮を一切使わず、それでいて隣国の要人たちを唸らせる極上の肉料理のフルコース。
完璧な温度で提供されるワイン。
そして、ルシアン殿下の(私への愛とドヤ顔に満ちた)見事なホストぶり。
「素晴らしい。我が国の好みをここまで完璧に把握されているとは……」
筆頭外交官であるバルド卿は、満足げにグラスを傾けていた。
しかし、その横顔には、ふと深い影が落ちる瞬間があった。
(……バルド卿、やっぱりあれのこと、気にしてるんだ)
壁際で待機しながら、私は静かに彼を見つめた。
実は、生前の私は、彼から極秘裏に『ある頼み事』をされていたのだ。
それは、彼がまだ若かった頃――身分違いゆえに、想いを告げることすらできず別れてしまった、一人の女性の行方を探してほしいというもの。
どうやら数年前からこちらに移り住んでいるらしいのだ。
公式な外交とは全く関係のない、彼個人の、長く胸に秘めた未練だった。
私が極秘の諜報網を使って彼女の居場所を突き止めた直後、あの馬車の事故が起きた。
バルド卿にしてみれば、唯一秘密を打ち明けた相手が死んでしまったのだ。
もう二度と、あの初恋の女性の行方を知ることはできないと、完全に諦めているに違いない。
(でも、私は知ってるのよ。前世の記憶として、バッチリね)
晩餐会が和やかな歓談の時間に入った頃。
私はそっとバルド卿の背後に近づき、「失礼いたします」と新しいナフキンを差し出した。
「うむ、ありがとう」
何気なくナフキンを受け取ったバルド卿の動きが、ピタリと止まる。
折りたたまれた真っ白な布の中に、小さなメモ用紙が挟まれていたからだ。
周囲の目を盗み、バルド卿がそっとメモを開く。
そこに書かれていたのは、王都の端にある小さな街の住所。
そして、こう添えられていた。
『彼女は今も、あなたから贈られた銀の栞を大切に持っています』
「……ッ!!」
バルド卿が、ガタッと音を立てて椅子から腰を浮かせた。
周囲の貴族たちが驚いて彼を見る。
「ど、どうされた、バルド卿?」
「いえ……っ、も、申し訳ない。あまりのワインの美味さに、つい……」
誤魔化しながら座り直したバルド卿の手は、微かに震えていた。
信じられないものを見るような目で、背後に控える私を振り返る。
誰にも言っていない。
死んだセリア公爵令嬢しか知らないはずの、秘密の住所。
私は口パクで、彼にだけ伝わるように小さく動かした。
『セリア様からの、言伝でございます』
その瞬間、厳格な老外交官の目に、ぶわりと涙が浮かんだ。
彼はメモをギュッと握りしめると、誰にも気づかれないよう、深く、深く私に向かって頭を下げたのだった。
(……よかった。これで、私のやり残した仕事が一つ片付いたわ)
ホッと胸を撫で下ろし廊下へと出た、その時だった。
「……おい、ソフィー」
背後から、地を這うような絶対零度の声が聞こえた。
ビクッとして振り向くと、そこには般若のような顔をしたルシアン殿下が立っていた。
手にはなぜか、バキッと真っ二つに折れた銀のフォークが握られている。
(えっ、なに!? なんでキレてるの!?)
「貴様……今、バルド卿と何をコソコソ話していた? なぜ奴は、お前を見て泣きそうになっていたのだ?」
「ひぃっ! い、いえ! 少しワインをこぼしてしまわれたので、拭くものをお渡ししただけで……っ!」
「嘘をつくな。俺の目は誤魔化せんぞ」
殿下がズイッと顔を近づけてくる。
長身の影に威圧され、私は壁までジリジリと後退した。
ヤバい。他国の要人と密約を交わすスパイだと思われたかもしれない!
(ひえええっ。お助けを〜!)
「は、白状します! 実はセリア様がバルド卿に頼まれていた個人的な調査の結果を、こっそりお伝えしただけでして……っ!」
「なんだと?」
殿下の目が、カッと見開かれた。
「セリアの……個人的な頼み事、だと?」
「は、はい……」
「なぜだ! なぜセリアは俺ではなく、バルド卿に頼み事などしたのだ! 俺という完璧な婚約者がいながら! 俺の諜報部隊を使えば三秒で解決したというのに!」
(そっち!? 怒るポイントそっち!?あと、頼み事をしたのはバルド卿のほうよ!)
スパイ疑惑ではなく、死んだ婚約者が『自分以外の男と秘密を共有していたこと』に対する、特大の嫉妬であった。
真っ二つになったフォークは、ただのヤキモチの犠牲になったらしい。
「ああっ、セリア! 君はどうしていつも俺を頼ってくれなかったんだ! 俺はこんなにも君の力になりたかったのに!」
ブツブツと限界オタクの嘆きを再開する王太子。
もはや外交の場であることなど完全に忘れている。
「で、殿下! 皆さまが見ております! どうか『氷の暴君』の威厳をお保ちください!」
「ええい、うるさい! こうなったらバルド卿を問い詰めて、セリアとどんな会話をしたか一言一句吐かせてやる!」
「絶対にやめてください!! 国際問題になります!!」
私は慌てて暴走する王太子のマントにしがみつき、必死に引き留めた。
完璧な外交の裏側で繰り広げられる、限界オタクの激しい嫉妬と、それを全力で止める下働き侍女。
私の胃薬は、まだまだ手放せそうにない。
◆ ◆ ◆
「……殿下、お願いですから落ち着いてください!」
「離せソフィー! 俺はあの老いぼれ……いやバルド卿から、セリアの秘密を一文字残らず吐かせてやる!」
私が暴走する限界オタク(王太子)のマントに必死にしがみつき、ズルズルと引きずられていたその時だった。
「……王太子殿下」
背後から、重厚な声がかけられた。
ビクッとして振り返ると、そこにはいつになく真剣な面持ちのバルド卿が立っていた。
あまりに廊下がうるさいので出てきてしまったようだ。
ルシアン殿下は瞬時に『嫉妬に狂う男』から『氷の暴君』へと顔面を切り替え、バサァッ!とマントを翻して優雅に振り返った。
「いかがされた、バルド卿」
「晩餐会、素晴らしいおもてなしに心より感謝いたします。……もしよろしければ、この後、殿下と二人だけで食後のワインを楽しめないでしょうか? 少し、ご相談したい儀がございまして」
その言葉に、ルシアン殿下の目がキラリと光った。
(あっ、これ絶対『好都合だ、セリアとの秘密を聞き出してやる!』って顔してる……)
「……よかろう。別室へ案内しよう」
殿下は鷹揚に頷き、バルド卿を特別応接室へと招き入れた。
私は『二人だけで』と言われたものの、給仕係という名目でなぜか同席を命じられた。
完全に殿下が私を逃がさないための巻き添えである。
◆ ◆ ◆
応接室には、重苦しい静寂が漂っていた。
私が注いだ赤ワインのグラスを前に、バルド卿は深く息を吐き、やがてゆっくりと口を開いた。
「殿下。大変恐縮ですが……明日の視察スケジュールについて、お願いがございます」
「……言ってみろ」
「明日の午後、少しだけ予定を変更し、私単独で王都の端にある街へ赴く許可をいただけないでしょうか」
バルド卿は、頭を深く下げた。
「無論、国家間の重要な視察の最中に、このような個人的な我儘が許されないことは重々承知しております。急な警護の手配も不可能に近いでしょう。ですが……どうしても、お会いしたい方がいるのです」
彼の声には、抑えきれない切実な響きがあった。
ルシアン殿下はワイングラスを揺らしながら、鋭い視線をバルド卿に向ける。
「……バルド卿。貴殿ほどの男が、公式な予定を曲げてまで会いたい者か」
「はい。私の、過去の未練にございます。……セリア公爵令嬢が、その方の居場所を私に遺してくださったのです」
その名前が出た瞬間、殿下のピクリと動いた眉間のシワを私は見逃さなかった。
(あ、ヤバい。また嫉妬でグラス握り潰す気だわこの人)
「……なるほど。セリアが」
地を這うような低音ボイス。グラスを持つ手にギリギリと力が込められていく。
(割れる! 高級グラスが割れる!!)
これ以上殿下を暴走させるわけにはいかない。
私はスッと前に進み出ると、懐から一枚の羊皮紙を取り出し、殿下の机の上に置いた。
「恐れながら、ルシアン殿下、ならびにバルド卿」
二人の視線が私に集まる。
私は完璧な侍女の笑みを浮かべ、はっきりと告げた。
「明日の午後につきましては、すでにバルド卿の『お忍びでの単独市中視察』という名目で、二時間のスケジュール空白を設けております」
「……なっ」
バルド卿が息を呑んだ。
「もちろん、目立たぬお忍び用の馬車と、私服に身を包んだ精鋭の近衛騎士数名による極秘警護の手配も、すでに完了しております。卿は誰の目も気にすることなく、安全に目的の場所へ赴くことが可能です」
しんと、応接室が静まり返った。
(ふふん、驚いた?)
実のところ、先日の徹夜で殿下に計画を丸写しさせた際、私はしれっとこの『バルド卿のお忍びタイム(警護付き)』の予定を組み込んでおいたのだ。
バルド卿が彼女の居場所を知った時、絶対に会いに行きたくなるだろうと予測していたから。
次期王妃としての、完璧な先回り采配である。
「そ、ソフィー……お前……っ」
ルシアン殿下が、震える声で私を見た。
「まさか、これも……」
「はい。セリア様が、『バルド卿は必ずこの時間を必要とされるはず。いざという時に卿が心置きなく動けるよう、事前にすべて手配しておくように』と、私に言い含めておられましたので」
大嘘である。私自身が勝手にやったことだ。
だが、この『セリアの遺志』というマジックワードは、目の前の二人の男に劇的な効果をもたらした。
「あああああ! セリアぁぁぁっ!!」
ルシアン殿下が天を仰ぎ、両手で顔を覆った。
「なんてことだ! 俺が嫉妬に狂っている間にも、彼女はバルド卿の長年の想いを汲み取り、警護の手配に至るまで完璧な計画を遺していたというのか! なんて慈愛に満ちた、完璧な采配なんだ!!」
「セリア公爵令嬢……っ。私のような老いぼれの我儘のために、そこまでお心を砕いてくださっていたとは……っ!」
バルド卿もハンカチを取り出し、目頭を熱く押さえている。
「俺は恥ずかしい! 彼女の懐の深さに比べて、俺という男の器の小ささよ!」
「殿下、殿下のそのお心も、また愛ゆえ……っ」
「バルド卿! 明日は存分に君の想いを伝えてくるがいい! 警護は我が国の誇る最強の騎士団に任せろ!」
「ルシアン殿下……っ! この御恩、一生忘れませんぞ!」
二人の男が、熱く手を握り合いながら男泣きを始めた。
片や初老の重鎮外交官、片やこの国の冷酷無比な氷の暴君。
絵面が暑苦しすぎる。
(……うん。なんかよく分からないけど、上手くまとまったみたいだからいっか)
私は心の中で盛大に白目をむきながら、二人の感動の涙が落ち着くまで、静かにワイングラスを磨き続けるのだった。




