第3話:国家の危機と、ふかふかの毛布
「……ソフィー。お前、なぜこの温度が分かる?」
執務机の奥で、ルシアン殿下がティーカップを両手で包み込みながら、目を見開いていた。
(やばっ)
私は内心で冷や汗をかいた。
無意識だった。喉が渇いている様子の殿下を見て、つい『セリア時代』の癖で、少し温度を下げた飲みやすい紅茶を出してしまったのだ。
生前、私がこの温度で紅茶を出した時、殿下は眉間に深いシワを寄せて「ぬるい」と冷たく突き返してきた。
だが、昨日の彼の自白によれば、『部屋に戻ってから全部飲み干して泣いた』らしい。意味がわからない。
「い、いえ! ただ、殿下が書類仕事でお疲れのようでしたので、すぐに飲める温度が良いかと……っ!」
「……」
殿下は何も言わず、静かに紅茶を一口飲んだ。
そして、ふぅ、と長く息を吐き出す。
いつも張り詰めている『氷の暴君』の顔から、ふわりと険が取れた。
「……セリアも、同じだった」
どこか遠くを見るような、甘く、そして切ない声。
「あいつの淹れる紅茶はいつも、俺のことを気遣うように少しだけぬるかった。俺はそれが嬉しくてたまらなかったのに、照れ隠しで突き返してしまった。俺の人生最大の愚行だ」
(……自分で言ってて悲しくならないのかな)
ツッコミたい気持ちは山々だが、今の殿下の表情は、いつもの限界オタクの奇行モードとは違っていた。
窓から差し込む光に照らされた横顔は、彫刻のように美しく、そしてひどく寂しそうだった。
「お前が淹れる紅茶は、あいつの味に似ている」
「殿下……」
「ソフィー。お前は不思議なやつだな。お前といると、セリアがすぐそばにいるような気がしてしまう」
トクン、と。
私の心臓が、柄にもなく跳ねた。
まっすぐに見つめてくるアメジストの瞳。
そこには、いつもの狂気じみたオタクの熱はなく、ただ一人の女性を深く愛し続ける、一人の不器用な青年の姿があった。
(……ズルい。そんな顔されたら、こっちだって調子狂うじゃない)
婚約者だった頃には、一度も向けられたことのない穏やかな眼差し。
それが今、侍女である私に向けられているという事実に、胸の奥がチクリと痛む。
「……光栄でございます、殿下」
私が静かに頭を下げると、殿下はフッと口角を上げた。
氷の暴君の、花が綻ぶような微笑み。
破壊力が高すぎる。全国の令嬢が見たら三秒で気絶するレベルだ。
(ちょっと待って。私、なんでドキドキしてるの!? 相手は私の肖像画にすりすりしてた変態なのに!)
必死に自分に言い聞かせるが、顔が熱くなるのは止められない。
「よし、ソフィー。お前の淹れる紅茶が美味いと分かった以上、本日の『セリア語り』は三時間延長だ。まずは彼女の6歳の時の発表会での天使ぶりについてだが――」
「…………はい?」
「俺は最前列で見ていた。あの時、彼女がうっかり転びそうになった時の『あっ』という声が……」
熱く語り始める殿下。
さっきまでの彫刻のような美青年はどこへやら、一瞬でいつもの早口な限界オタクに元通りである。
(……前言撤回。やっぱりこの男、ただの変態だ)
熱くなった顔を一瞬で真顔に戻し、私はスッと立ち上がった。
「殿下、申し訳ありませんが、午後からは中庭の掃除が入っておりますゆえ」
「なっ!? 待てソフィー! まだ語り足りない! 俺の愛の深さはこんなものでは……っ!」
「では、失礼いたします」
バタン。
私は冷酷に執務室の扉を閉めた。
扉の向こうから「ソフィぃぃぃ! セリアぁぁぁ!」という悲鳴が聞こえてきたが、聞かなかったことにする。
◆ ◆ ◆
数日後。
王宮は今、かつてないほどのパニックに陥っていた。
「ああっ! 違う、その飾り付けの色はもっと暗めだ!」
「厨房から報告! 視察団の歓迎晩餐会のメインディッシュ、何にするかまだ決まってないそうです!」
「馬鹿な!? 到着まであと三日しかないぞ!」
廊下を行き交う文官やメイドたちは、皆一様に顔を青くして走り回っている。
壁の隅で雑巾がけをしながら、私は呆れ果ててため息をついた。
(……いや、何やってるのよあのポンコツども)
事の発端は、隣国からの大規模な視察団の訪問である。
数ヶ月前から決まっていた国家レベルの超重要イベント。
当然、そのもてなしの采配は、次期王妃であるこの私――セリア・フォン・アルバーンが全て仕切っていた。
予算の調整、分刻みのスケジュール、賓客の好みに合わせた部屋の割り当てと食事のメニュー。
完璧な計画書を作成し、あとは実行するだけという段階で、私は不運にも崖から落ちて死んでしまったのだ。
(私が残したマニュアル通りに動けばいいだけなのに、どうしてこんなにしっちゃかめっちゃかになるわけ!?)
視察団の要人は海鮮アレルギーが多いからメインディッシュは肉にしろと赤字で書いておいたのに!
南向きの日当たりの良い部屋は、冷え性の老外交官たちに割り当てるはずだったのに、なぜ血の気の多い若手騎士たちをそこに押し込もうとしているのか!
私の完璧な計画が、ズタボロに崩されていく。
文官たちを捕まえて「そこ違うでしょ!」と怒鳴り散らしたい衝動に駆られるが、今の私はただの下働きの侍女・ソフィーだ。
一介のメイドが国賓のもてなしに口出しなどできるはずがない。
「……あーあ、もう!イライラする」
モヤモヤとした鬱憤を抱えたまま、私はルシアン殿下の執務室へと向かった。
ガチャリと扉を開けると、そこにはいつになく険しい顔で書類の山を睨みつける『氷の暴君』の姿があった。
どうやら、殿下のもとにも視察団関連のトラブル報告が次々と舞い込んでいるらしい。
「失礼いたします。お茶をお持ちしました」
「……置いておけ」
殿下は眉間を揉み解しながら、深く息を吐き出した。
「全く……セリアがいなくなってから、我が国の文官どもがいかに無能であったかがよく分かる。あいつ一人にどれだけの負担をかけていたというのだ……」
珍しく、殿下が限界オタクの奇行モードではなく、本気で頭を抱えている。
その言葉に、私の心の中のモヤモヤが一気に膨れ上がった。
(そうよ! 私がどれだけ苦労して根回ししたと思ってるのよ!)
気がつけば、私の口は勝手に動いていた。
「本当にその通りでございます、殿下。だいたい、隣国の筆頭外交官であるバルド卿はひどい腰痛持ちなのですから、寝台のマットレスは硬めのものを用意しろとあれほど……ッ」
ハッとして口を噤んだが、時すでに遅し。
部屋に、ピシッと凍りつくような静寂が落ちた。
ゆっくりと。
本当にゆっくりと、ルシアン殿下が書類から顔を上げ、私を見た。
「……ソフィー。お前、今なんと?」
(やばいっ!!)
完全に調子に乗った。下働きの侍女が知るはずのない、隣国の要人の極秘健康情報まで口走ってしまった。
このままでは他国のスパイだと疑われて、今度こそ本当に打ち首だ。
「あ、あははは! い、いえ! これはその……っ、以前、セリア様がお一人でぶつぶつと呟いておられたのを、たまたま掃除中に耳に挟んだと申しますか……っ!」
必死の言い訳。冷や汗が滝のように流れる。
殿下は立ち上がり、無言のまま私に近づいてきた。
長身の影が私を覆う。
見上げると、アメジストの瞳が射抜くように私を捉えていた。
「……お前、セリアの呟きをそこまで正確に覚えているのか?」
「は、はいっ! なんとなーく、記憶力が良い方でして!」
終わった。絶対に怪しまれている。
拷問部屋に連行される覚悟を決めて、私がギュッと目を瞑った、その時だった。
「おおおおおおっ!! ソフィー!!」
「……へ?」
突然、両肩をガシッと力強く掴まれた。
恐る恐る目を開けると、そこには目をキラキラと輝かせ、感動に打ち震える限界オタクの姿があった。
「素晴らしい! 素晴らしすぎるぞソフィー! あいつの尊い言葉の数々を、一言一句漏らさず記憶しているとは! まさかお前も、セリアの真の魅力に気づいていた『同志』だったのか!!」
(違う、そうじゃない)
「ああっ、俺としたことが! セリアの残した完璧な計画書が、無能な文官どもの手によって散逸してしまったと絶望していたが……ここに、生きたバックアップが存在していたとは!」
「えっ、あの、殿下? バックアップって……」
嫌な予感がする。
非常に、猛烈に嫌な予感がする。
ルシアン殿下は私の肩を掴んだまま、ビシッと壁の肖像画(私)に向かって宣言した。
「聞いたかセリア! 君の遺志は、決して無駄にはさせない! 君の愛したこの国のもてなしを、俺たちが完璧に実現してみせよう!」
そして、振り返った殿下は、満面の笑み(ただし氷の暴君の顔面偏差値なので無駄に眩しい)で私に言い放った。
「ソフィー! たった今から、お前を『視察団接待・特別総監督補佐』に任命する! お前の頭の中にあるセリアの計画を、全て俺に教えろ! 俺が直々に文官どもを叩き直してやる!」
「…………はいぃぃぃ!?」
下働きの侍女(時給制)が、突然の国家プロジェクトトップに大抜擢である。
もちろん、特別手当など出るはずもない。
(うそでしょ……私、死んでまで残業させられるの……!?)
「さあソフィー! まずは晩餐会のメニューからだ! あいつは一体、何を思い描いていた!?」
目を輝かせてペンと羊皮紙を構える王太子殿下。
その無駄に熱い眼差しから逃げ出すこともできず、私は心の中で血の涙を流しながら、前世で自分が作ったスケジュールを徹夜で復唱する羽目になったのだった。
◆ ◆ ◆
ね、眠い。目が開かない。
徹夜での復唱が、今のひ弱な侍女の体にはかなりこたえた。
それでも王宮の下働きという仕事は容赦なく、ちょっとした体調不良や寝不足など休む理由にはならない。
(いや、人間なんだから下働きも休ませなさいよ……!)
ふらつく足で冷たい廊下を歩きながら、私は心の中で毒づく。
と同時に、ズンと重い自己嫌悪が押し寄せてきた。
セリアだった頃、私は王宮の労働環境に疑問を持ったことなんて一度もなかった。侍女たちが朝早くから夜遅くまで働くのを、ただ「当たり前の風景」として通り過ぎていたのだ。
(私が気付けていたら、絶対に改善していたのに……。気付こうともしなかった自分が情けないわ)
上に立つ者としての視野の狭さを痛感する。
死んでから、しかも自分がその立場になってから気づくなんて、本当に遅すぎるし情けない。
そんな反省と猛烈な眠気を抱えながら、私はなんとかルシアン殿下の執務室へと辿り着いた。
「失礼いたします……朝のお茶をお持ちしました……」
「おお、ソフィー! 来たか!」
扉を開けると、そこには無駄にキラキラとしたオーラを放つルシアン殿下が立っていた。徹夜明けのはずなのに、顔色がめちゃくちゃ良い。
限界オタクの生命力はどうなっているのか。
「昨夜は素晴らしい働きだったぞ! お前が教えてくれたセリアの完璧な采配を元に、今朝イチで文官どもに雷を落としてきたところだ!」
「そ、それは重畳で……」
ダメだ、頭がぐわんぐわんする。殿下の声がやけに遠く聞こえる。
「お前もセリアの同志として、この誇らしい成果を……ん? ソフィー?」
ふらり。
視界が歪み、手にした銀のトレイが嫌な音を立てて傾いた。
(あ、これ、倒れるやつだ)
硬い床に顔から突っ込む覚悟をして、私はギュッと目を閉じた。
しかし――衝撃は来なかった。
「っ……!」
代わりに、ふわりと力強い腕が私の体を抱きとめていた。
「ソ、ソフィー!? おい、どうした! 顔が真っ青ではないか!」
目を開けると、至近距離にルシアン殿下の顔があった。
いつも私をゴミのように見ていた(と思っていた)冷酷な瞳が、今は信じられないくらい見開かれ、焦燥に揺れている。
「も、申し訳ありません……少々、立ちくらみが……」
「馬鹿者! なぜこんな状態で仕事をしておる! 侍女長は何をしている!」
「お気になさらず……下働きの体調不良など、休む理由にはなりませんゆえ……」
「ふざけるな!!」
鼓膜が震えるほどの、怒声。
私はビクッと肩を揺らした。あ、これ処刑される。お茶をこぼしそうになった罪で打ち首だ。
しかし、殿下の口から放たれたのは、予想外の言葉だった。
「セリアが愛したこの国で、労働者をそのように酷使するなど許されるはずがない! あいつは常に民の健やかな生活を願っていた! お前のそのボロボロの姿を見たら、セリアがどれほど悲しむと思っているんだ!」
(いや、私がセリアなんですけどね……って、え?)
ルシアン殿下はそのままヒョイッと、まるで羽毛でも扱うかのような軽さで私を抱き上げた。
いわゆる、お姫様抱っこである。
「で、殿下!? なにを……!」
「喋るな。お前は俺の大切な『同志』だ。セリアの遺志を共に継ぐ者が倒れてどうする」
そう言うと、殿下はズンズンと執務室の奥――彼専用の豪華な休憩室へと向かい、そこにあるふかふかの長椅子に私をそっと降ろした。
「ここで寝ていろ。侍女長には俺から直々に『労働環境改善命令』を出しておく。お前の今日の仕事は免除だ!」
「そ、それではお給金が……っ」
「特別手当を出してやる! セリアの知恵を共有してくれた礼だ! だから今は目を閉じろ。……俺の命令が聞けないのか?」
最後は『氷の暴君』らしい威圧感たっぷりの低い声。
だけど、私を長椅子に寝かせ、そっと毛布をかけてくれたその手つきは……信じられないほど、優しかった。
(……なんなのよ、もう)
限界オタクのくせに。
私の肖像画にすりすりする変態のくせに。
こういう時だけ、無駄に有能で、かっこいい王太子としての顔を見せてくる。
「……ありがとうございます、殿下」
私は毛布に顔を半分埋めながら、小さく呟いた。
「ふん。当然の務めだ」
そっぽを向いた殿下の耳が、ほんの少しだけ赤くなっているような気がした。
心地よい毛布の温もりと、初めて触れた彼の不器用な優しさに包まれながら、私の意識は今度こそ深い眠りへと落ちていった。
◆ ◆ ◆
夢を見ることなく、泥のように爆睡していたらしい。
意識がゆっくりと浮上してくると、まず最初に心地よい音を拾い上げた。
カリカリカリ……。
サァッ……。
規則正しくペンを走らせる音と、乾いた紙が捲られる音だ。
ふかふかの毛布に包まれたまま、私はそっと薄く目を開けた。
静かな空間の中、視界の先に映ったのは、執務机に向かうルシアン殿下の姿だった。
山のように積まれた書類の束を、すさまじい速度で捌いている。
そのペン運びは、まるで月末の帳簿付けや複雑な税金計算を完璧にこなす熟練の経理のように正確だ。そして同時に、木材を『手刻み』で黙々と仕上げていく一流の大工のように、一切の無駄がなく洗練された動きだった。
真剣な眼差し。
きつく結ばれた唇と、彫刻のように美しい横顔。
静寂の中、国を背負う次期国王として執務をこなすその姿は、息を呑むほど様になっていた。
(……黙ってると、普通にカッコイイんだよなぁ)
生前は「いつもしかめっ面で怖い」としか思っていなかったけれど、こうして落ち着いて見てみると、彼が『氷の暴君』と畏れられつつも、多くの貴族令嬢から密かに熱視線を送られていた理由がよくわかる。
顔面偏差値が圧倒的に高いのだ。おまけに仕事もできる。
なんだか見入ってしまって、私は毛布から鼻先だけを出したまま、ぼーっとその横顔を眺め続けていた。
「……ふぅ。よし、これで視察団関連の急ぎの決裁はすべて終わったな」
殿下がペンを置き、小さく息を吐いた。
凝り固まった首を回し、それからスッと立ち上がる。
(おっ、休憩かな?)
私が再び狸寝入りを決め込もうとした、その時だった。
殿下は机の引き出しをガチャリと開け、そこから何かを恭しく取り出した。
あれは――昨日、私が奪還に失敗した、私の黒歴史(不満と悪口)が詰まった日記帳だ。
殿下はそれを両手で大切そうに包み込むと、うっとりとした顔で目を閉じた。
「ああ、セリア……。君の魂の欠片を胸に抱くだけで、俺の疲労は一瞬で浄化されていくようだ……。この革の匂い、君の香りがする……すぅぅぅぅぅ……ッ!」
(思いっきり嗅いでる!!)
先ほどの「仕事ができるクールな王太子」の面影は秒で消え去った。
今そこにあるのは、元婚約者の日記帳を深呼吸しながら吸引する、純度100%の限界オタクの姿である。
(前言撤回。喋らなくても、黙ってても、普通にヤバい奴だったわこの人)
「よし、セリア成分の補給完了! ソフィーが教えてくれた君の完璧な計画を、俺の命に代えても実現してみせるからな!」
ビシィッ! と誰もいない空間に向かって謎のポーズを決める殿下。
その凄まじい労働意欲の源が「私への激重感情」と「黒歴史ノートからの謎成分の吸引」であるという事実に、私は毛布の中で静かに白目をむいた。
(……もう、一生この毛布の中で寝てたい)
私のささやかなトキメキは、わずか三分で綺麗に粉砕されたのだった。
◆ ◆ ◆
(……よし、手帳をしまったな)
殿下が私の黒歴史日記帳を机の引き出しに厳重にロックしたのを見計らって、私はさも『たった今、心地よい眠りから覚めました』という小芝居を打つことにした。
「んん……っ」
わざとらしく小さく唸り声を上げ、ゆっくりと身を起こす。
「……おっ、目が覚めたか、ソフィー」
(どの口が言ってるんだ)
数秒前まで私の手帳を思いきり吸引していた男が、一瞬で『冷酷無比な氷の暴君』の顔面を取り繕ってふんぞり返っている。
その切り替えの早さは見事と言うほかない。
私は長椅子から降りると、深々と頭を下げた。
「申し訳ございませんでした、殿下。私としたことが、不覚にも……。すぐにお仕事へ戻ります」
「待て」
背を向けて立ち去ろうとした私を、殿下の低い声が引き止めた。
「俺は先ほど言ったはずだ。今日の仕事は免除だと」
「ですが、それでは他の侍女たちに示しがつきませんし……」
(何より、これ以上この変態空間にいたら私の精神がもたないし)
「ええい、ならん! 病み上がりの『同志』を働かせるなど、セリアの遺志に反する! どうしても働きたいと言うのなら……」
殿下はスッと立ち上がり、長机の上に広げられた書類をトントンと指差した。
「ここで俺の執務を手伝え。視察団の歓迎晩餐会について、もう少しお前の頭の中にあるセリアの構想を聞き出しておきたい」
(結局働かせるんじゃないのよ!)
「それに……」
殿下は少しだけ視線を逸らし、コホンとわざとらしい咳払いをした。
「倒れるまで無理をしたのだ、腹も減っているだろう。厨房に何か……そうだな、消化に良くて精のつくものを作らせよう。何か希望はあるか?」
(えっ)
予想外の気遣いに、私は思わず目を瞬かせた。
あの、自分のことしか見えていなかった不器用な王太子が、下働きの侍女の食事の心配をしている?
(……本当に、変わろうとしてるんだ)
死んでしまった私の遺志を継ぐために。
彼なりに、必死に。
「……では」
私は少しだけ意地悪な気持ちになって、生前、私が少し疲れた時によく料理長にこっそり頼んでいたメニューを口にした。
「お言葉に甘えまして……少しだけスパイスを効かせた、パンプキンスープなんて、いかがでしょうか?」
殿下の肩が、ピクリと跳ねた。
「……っ! それは……セリアが、執務で疲れた時によく食べていた……!」
(はい、限界オタクのスイッチ入りましたー)
「お、お前……! そこまであいつの好みを網羅しているのか! やはりお前はただの侍女ではない! 最高の同志だ!! おい誰か! 厨房へ走れ! 今すぐ最高のパンプキンスープを作らせろ!!」
執務室に殿下の叫び声が響き渡る。
「あ、いえ、そこまで大声を出されずとも……」
「なんという奇跡だ! セリアの愛した味を、同志と共に味わえる日が来ようとは!」
感動でプルプルと震えながら、再び私の肖像画に向かって祈り始める殿下。
(……うん。やっぱりこの人、ただのヤバい奴だわ)
少しだけ見直した私のささやかな感動を返してほしい。
私はふかふかの毛布を畳みながら、今日の晩ご飯は確実にパンプキンスープになるであろう自分の運命(と、相変わらず騒がしい王太子)に、深々とため息をついたのだった。




