第2話:暴君の激重感情と、狙われた黒歴史
「失礼いたします……」
重い足取りでたどり着いた執務室。
私は死地に向かう兵士のような悲壮な覚悟で、重い扉を開けた。
昨日の今日である。
あの『氷の暴君』の誰にも知られたくない秘密、いや、あんな痛々しい奇行を目撃してしまったのだ。
専属侍女なんて名目だけで、部屋に入った瞬間に暗殺者の凶刃が飛んでくるかもしれない。
ガタガタと震えながら部屋に足を踏み入れると、ルシアン殿下は執務机に優雅に腰掛けていた。
「……来たか、ソフィー」
相変わらず、背筋が凍るような低音ボイス。
無表情でこちらを見下ろす冷酷な瞳は、紛れもなく王太子のものである。
「は、はいっ! 本日から殿下の専属侍女を務めさせていただきますっ!」
私は勢いよく頭を下げた。
頼む、どうか命だけは。
給料は最悪半額でもいいから、せめて三食昼寝付きの平穏な下働きライフを……!
そんな私の切実な祈りをよそに、ルシアン殿下はゆっくりと立ち上がり、こちらへ歩み寄ってきた。
(来る……! 口封じが来る!)
私はギュッと目を瞑った。
しかし。
「……昨日から考えていたのだが」
殿下の声が、私の頭上から降ってくる。
「お前に秘密を知られた以上、もはや取り繕う必要はないという結論に至った」
「……へ?」
「むしろ好都合だ。お前は今日から、俺の『セリアへの愛』を存分に語れる唯一の聞き手として重用してやる」
……はい?
私が間抜けな声を出して顔を上げると、そこには昨日の暴君オーラを完全にかなぐり捨てた、吹っ切れ100%のルシアン殿下が立っていた。
「さあ、見ろ! 改めて見ろソフィー!」
殿下はバサァッ!と無駄に良い発音でマントを翻すと、壁に飾られた例の肖像画を指差した。
「これが俺の最愛の婚約者、セリアだ! どうだこの美しさ! 透き通るような銀糸の髪、意思の強さを感じさせるアメジストの瞳! まさに女神の生まれ変わりだろう!?」
「あ、はあ……」
「『はあ』とはなんだ! もっと感情を込めろ! 『まさに奇跡の美しさですね殿下!』くらい言えんのか!」
「ま、まさに奇跡の美しさですね殿下!」
(いや、それ私なんだけど)
心の中で、私は盛大に白目をむいていた。
なんだこれ。どんな罰ゲームだ。
自分の顔を指差されて「奇跡の美しさ」と言わされるこの羞恥プレイ。
しかし、吹っ切れた限界オタクの暴走は止まらない。
「顔だけではないぞ! 彼女の歩く姿を見たことがあるか? まるで一輪の百合が風に揺れるような可憐さ! 声は小鳥のさえずりのように愛らしく、それでいて公爵令嬢としての矜持を忘れない気高さ!」
(……小鳥のさえずりって。私、殿下の前じゃ緊張して声小さくなってたはずだけど)
「ああっ、思い出すだけで胸が張り裂けそうだ! 10歳の茶会で、彼女が俺に微笑みかけてくれたあの瞬間! あの時、俺の時間は止まったのだ!」
(……それ、作り笑いだし。ていうか10歳の時から好きだったの!?)
次々と明かされる、私の知らない過去の真実。
長年の塩対応の裏で、この男はこんな激重感情を抱えながら私を見ていたというのか。
「お前も知っているだろう、俺が彼女に冷たく当たっていたという噂を! 馬鹿な奴らめ、あれは違う! 俺はただ、彼女を前にすると心臓が爆発しそうで、どう接していいか分からなかっただけなのだ!」
(それがいわゆる塩対応って言うんですよ、殿下)
「ああっ、セリア! 愛しのセリア! 俺の不器用さのせいで、お前は俺の愛を知らないまま逝ってしまった……!」
(確かに知らなかったけど、今知ってしまったわ)
殿下はついに膝から崩れ落ち、肖像画の私の手(の描かれている部分)に額を擦り付け始めた。
「俺は、俺は……! 彼女が淹れてくれた紅茶を『ぬるい』と突き返した日、部屋に戻ってからその紅茶を全部飲み干して泣いたんだぞ!?」
(ちょっと待って、それ普通に気持ち悪い)
「彼女が落としたハンカチを『拾う価値もない』と冷たく言い放ち、誰もいなくなった後でこっそり回収して、毎日一緒に寝ていたのに!」
(やめて! 私のハンカチに何してるの!?)
暴君の仮面が剥がれ落ち、とめどなく溢れ出すヤバすぎるエピソードの数々。
私は、すがりつくように泣きじゃくる王太子を見下ろしながら、心の中で完全に白目をむいていた。
(……誰か、嘘だと言って)
暗殺されるより、ある意味キツい。
元婚約者(中身)に、自分の異常な性癖と未練を洗いざらいぶちまけるこの男。
「どうだソフィー! 俺がいかにセリアを愛していたか、分かっただろう!」
涙目で振り返り、ドヤ顔を決めてくるルシアン殿下。
「……は、はい。殿下の海よりも深く、そして若干……いえ、大変重たい愛情、痛いほど伝わってまいりました」
「そうだろう! ならば今日から、お前の仕事はこれだ!」
殿下は立ち上がり、ビシッと私を指差した。
「俺がセリアの素晴らしさを語る間、横で全力の相槌を打て! そして一緒に彼女の尊さを称えるのだ!」
「…………」
(……もう一回、崖から落ちてこようかな)
◆ ◆ ◆
それからの私の毎日は、ある意味で死後の世界よりも過酷なものとなった。
「ソフィー、今日も聞いてくれ。あの日、セリアが身につけていたリボンの色がどれほど彼女の瞳を引き立てていたか……!」
「はい、殿下。それはもう、女神の如き輝きであったことでしょう(白目)」
これが私の新しい仕事。
暴君と恐れられる王太子殿下の、元婚約者(私)への激重な愛の語りを聞き続けるという、羞恥心で精神が崩壊しそうな拷問タイムである。
今日も今日とて、私は執務机を挟んで殿下の正面に座らされていた。
専属侍女という名の、プロのサンドバッグ(精神的)だ。
しかし、今日の私はいつも以上に心臓をバクバクさせていた。
なぜなら、殿下がうやうやしく両手で包み込んでいる物体が、私の目に飛び込んできたからだ。
(……あれって、私の日記帳じゃない!?)
見間違えるはずもない。
公爵邸の私の部屋の、さらに鍵付きの引き出しの奥底に隠していたはずの、秘密の革張り手帳。
なぜそれが王宮にあるのか。いや、遺品として届けられたのだろうか。
「ああ、セリア……」
殿下は愛おしそうに、その手帳に頬ずりをし始めた。
「彼女が日々、何を思い、何を感じていたのか。これが彼女の生きた証……彼女の魂の欠片だ」
(やめて! 物理的に私の黒歴史に頬ずりしないで!)
「俺はまだ、このページを開くことができないでいる。彼女の尊い言葉の数々を直視する勇気が、この未熟な俺にはまだ無いのだ……」
(開くな! 絶対に開くな!!)
私は表面上は「さようでございますか」と神妙な顔を作りつつ、机の下でドレスの裾をギリギリと握りしめていた。
中身は知っている。だって私が書いたのだから。
そこに書かれているのは、殿下が期待するような『尊い言葉の数々』なんかではない。
『本日のルシアン殿下。挨拶しても無視。マジで腹立つ。いつかあの氷面を引っ叩きたい』
『殿下のバカ! 氷の暴君? ただのコミュ障じゃないの!?』
『むしゃくしゃしたので、殿下の似顔絵を描いてヒゲとシワを書き足した。少しスッキリした』
……などという、王太子への不敬罪ギリギリ(というかアウト)の暴言のオンパレードである。
もし読まれたら、限界オタクの殿下はショックで泡を吹いて倒れるか、あるいは私の処刑が確定するかの二択だ。
(なんとしても、あの手帳を回収しなきゃ……!)
私はゴクリと唾を飲み込み、決死の覚悟で口を開いた。
「で、殿下」
「なんだ、ソフィー。今、俺はセリアとの精神的な対話を楽しんでいるところだが」
「そ、そのように大切な品を、無造作に机に置いておくのはいかがなものかと! 私めが、厳重に保管できる金庫へとお運びいたしましょうか!?」
我ながら完璧な提案だ。
侍女としての気遣いを見せつつ、日記を自然に奪取する作戦。
しかし、殿下は私の言葉を聞くや否や、サッと日記帳を胸に抱き込んだ。
まるで、おもちゃを取られそうになった子供のように。
「馬鹿なことを言うな! これは俺の肌身離さず持っているべきものだ! 金庫などという冷たい場所に、セリアの魂を閉じ込めろと言うのか!」
「い、いえ! しかし、万が一汚れてしまったり、紛失してしまったりしては……っ!」
「ならば、俺が自ら専用の祭壇を作るしかあるまい。そうだ、純金でケースを作らせよう。いや、いっそ俺の心臓の近くに縫い付けるか……?」
(サイコパスかな!?)
発想が重すぎて引く。
そもそも、その日記帳の中身は殿下の悪口(と落書き)なのだ。
それを純金のケースに飾って毎日拝む気か。滑稽すぎて私が死にそうだ。
「で、殿下! それでは殿下のお体が休まりません! どうか、どうかこのソフィーにお任せを!」
私は思わず身を乗り出し、机越しに日記帳へ手を伸ばした。
あと少しで届く……!
「ええい、控えろ! これは俺のセリアだ!!」
「いいえ、それは私(の黒歴史)です!!」
「なんだと!?」
「ああっ、いえ、私にお任せくださいという意味で……っ!」
執務室の中心で、王太子と下働きの侍女が、一冊の日記帳を巡って謎の攻防戦を繰り広げる。
端から見れば完全に異常な光景だ。
(神様……この男が日記を開く前に、どうか私に日記帳を燃やすチャンスをください……!)
胃をキリキリと痛めながら、私の王宮サバイバルは今日も続いていくのだった。




