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第1話:死んだら元婚約者(限界オタク)の侍女に転生しました

ーーー私、死んだはずなんですけど。


気がついたら、下働きの侍女になってました。


いや、意味がわからない。

つい先日まで、私はこの国の王太子であるルシアン殿下の婚約者だった。

名前はセリア・フォン・アルバーン。

由緒正しき公爵令嬢だ。


それが、馬車に乗っていたら崖崩れに巻き込まれてあっけなく死亡。

……したはずなのに、目が覚めたら王宮の下働きであるソフィーという地味な侍女の体に入っていたのだ。


「ソフィー! ぼーっとしてないで早く王太子殿下の執務室の掃除に行ってちょうだい!」


「あ、はい! ただいま!」


侍女長に怒鳴られ、私は慌ててはたきと雑巾を手に走る。


(うぅぅ。侍女長、生前はあんなに優しかったのに...)


それにしても、王太子ルシアン殿下。

私の元婚約者であり、『氷の暴君』と恐れられる冷酷無比な男。

私への態度も、それはもう酷いものだった。

いつも眉間にシワを寄せ、目を合わせようともせず、口を開けば「ふん」か「……分かった」だけ。

文字通りの塩対応である。


(まあ、愛されてないのは分かってたけどね!)


政略結婚なんてそんなものだ。

だから死んだ私のことなんて、三秒で忘れて新しい婚約者を探しているに違いない。

ちょっと悔しいけど、今は下働きとして生き延びるのが先決だ。

そんなことを考えながら、誰もいないはずのルシアン殿下の私室へ足を踏み入れた。


「失礼しまーす……って、あれ?」


誰もいないはずの部屋に、人影があった。

銀色の美しい髪。長身で、鍛え上げられた背中。

間違いない、ルシアン殿下だ。


なぜか部屋の隅っこで、壁に向かって膝をついている。

恐る恐る覗き込むと、殿下の前には大きな額縁が飾られていた。

あれは……私の肖像画?


その瞬間、ルシアン殿下の口から、信じられない言葉が飛び出した。


「あああああセリアぁぁぁぁぁぁっ!!!」


……はい?


「今日も可愛い! 可愛いよセリア! どうして死んでしまったんだあああ!!」


えぇぇっ?!


「君のいない世界なんて……! ああっ、この微笑み、最高に尊い! 前髪の絶妙な分け目も、少しだけ釣り上がった気丈な瞳も、全部、全部愛してるううううっ!!」


すりすり。

すりすりすりすり。


ルシアン殿下が、私の肖像画に頬ずりをしている。

あの、氷の暴君が。

いつも私をゴミを見るような目で見ていた、あの男が。


「ああ神よ! 俺の命と引き換えに彼女を返してくれ! 俺が……俺がもっと素直に『好きだ』と言えていれば……! 恥ずかしすぎて目も合わせられなかった俺のバカ! クズ! コミュ障野郎!!」


ドゴォッ!


殿下が自らの頭を壁に打ち付けた。

痛い痛い痛い。見てるこっちが痛い。


(……えっと?)


処理落ちする私の脳内。

状況を整理しよう。


冷酷無比な王太子殿下は、実は私のことが大好きだった。

だが好きすぎて逆に塩対応になっていた(いわゆる限界オタク)。

そして現在、死んだ私の肖像画に向かって頬ずりしながら泣き叫んでいる。


「ウボァァァァァ! セリアぁぁぁぁっ!!」


(……ひ、引くわー)


ドン引きである。

ものすごい勢いでドン引きである。

純度100%の引いた目で、私は震える限界オタク(元婚約者)の背中を見つめていた。


「(どうしよう……これ、絶対に見ちゃいけないやつだ……)」


私はそっと、足音を殺して後ずさる。

しかし。


カチャンッ。


あ。


手が滑って、持っていたバケツを落としてしまった。

静寂な部屋に、絶望的な金属音が響き渡る。


ピタリと、殿下の動きが止まった。

ゆっくりと、般若のような顔でこちらを振り向く氷の暴君。

目にはうっすら涙が浮かび、頬には肖像画の絵の具が少しついている。


「…………貴様、今の……見たな?」


「み、見てないです。ワタシハナニモミテマセン」


あまりの恐怖に、口から出たのは見事な片言だった。

ガタガタと震えながら後ずさる私に、ルシアン殿下はゆっくりと近づいてくる。

その整った顔に浮かんでいるのは、絶対零度の……見事な冷笑だった。


「ほう? 何も見ていない、と?」


「ハ、ハイ! モチロンデス!」


「嘘をつくな。貴様の目はしっかり俺を捉えていたはずだが?」


ひぃぃぃ! 顔が怖い! 声も低い!

これぞまさに『氷の暴君』! 国中の貴族を震え上がらせる冷酷無比な王太子の姿そのものだ。


……ただし。


(ほっぺたに青い絵の具、ついてますけどね!!)


そう、先ほど私の肖像画にすりすりしたせいで、殿下の美しい頬にはべったりと青い絵の具が付着しているのだ。

さっきまでの「セリアぁぁぁぁっ!」という奇声とのギャップが凄まじすぎて、恐怖よりも笑いが込み上げてきそうになる。

いや、笑ったら即刻打ち首だ。耐えろ私。

必死に奥歯を噛み締め、私は床に平伏した。


「お、恐れ多くて、殿下のお姿など直視できませぬゆえ……っ! 私のような下働きの目には、殿下はただの眩しい光にしか見えませんでした! 光が壁にぶつかっているようにしか見えませんでした!」


しかし、ルシアン殿下は私の前にしゃがみ込み、冷たい指先で私の顎をガシッと掴み、強引に上を向かせた。


「……俺の秘密を知ったからには、生かしてはおけないな」


(うわぁ……。この人、必死に『暴君』ぶってるけど、心の中では『ヤバいヤバいヤバい!俺のキモい秘密見られたあああ!』って大パニックになってるんだよね……?)


そう思うと、なんだか目の前の恐ろしい暴君が、必死に虚勢を張るチワワに見えてきた。


「で、殿下……一つだけ、よろしいでしょうか」


「……遺言なら聞いてやろう」


「遺言の前に、その……お顔に、絵の具が」


ピシリ。

殿下が氷のように固まった。


「……なっ」


慌てて頬を手の甲で擦る殿下。

その肌には、見事に青い絵の具がべったりと伸びた。


「あ……あ……ち、違う! これはその……っ、自ら絵画の修復作業を行っていた名残であって、決してセリアの肖像画に頬ずりしていたわけでは……っ!」


(誰もそこまで言ってないのに自白した!!)


限界オタク、痛恨の自爆である。

さっきまでの暴君オーラはどこへやら、顔を真っ赤にして狼狽える姿は完全に不審者だった。


「……コホン」


わざとらしい咳払いが、部屋に響いた。

数秒前まで顔を真っ赤にして狼狽えていたルシアン殿下は、スッと表情を消し、瞬時に『氷の暴君』の仮面を被り直した。


「……俺の秘密を知ったからには、今までと同じ生活は送れないと思え」


「ヒッ……!」


「覚悟しておくんだな」


バサァッ! と無駄にスタイリッシュにマントを翻し、殿下は私室の奥へと消えていった。

残された私は、絶望のままに冷たい床に崩れ落ちる。


(終わった……! 完全に死刑宣告だこれ!)


秘密を知った口封じ。暗殺か、毒殺か。

その夜、私は粗末なベッドで震えながら、一睡もできずに朝を迎えた。


◆ ◆ ◆


そして、運命の翌日。


「ソフィー! 早く荷物をまとめなさい!」


バンッ! と部屋の扉が開かれ、侍女長がものすごい剣幕で飛び込んできた。


「ひぃぃぃ! お命だけは! 私、何も見てません! 肖像画にスリスリしてるミジンコ殿下なんて見てません!」


「何を寝ぼけたことを言っているの! 配属先が変わったのよ!」


「はい?」


処刑人ではなく、配属先変更?

首を傾げる私に、侍女長は信じられない言葉を放った。


「今日からあなたは、ルシアン殿下の『専属侍女』よ!」


「…………はい?」


「殿下ご指名の大抜擢よ! さあ早く行きなさい!」


侍女長は有無を言わさず私の背中を押し、荷物と一緒に私を部屋から叩き出した。


王太子殿下の、専属侍女。

下働きの私が?


(……なんで!?)


いや、理由は明白だ。

目の届く場所に置いて、いつでも口封じできるようにするためだろう。

どんだけ自分のオタクっぷりを知られたくないのよ、あの男!


「……どうしよう、絶対胃に穴が空く」


暴君と恐れられる王太子。

しかしその中身は、私の肖像画に頬ずりする超・限界オタク。


「神様……どうか私を、もう一度殺さないでください……」


私は重すぎる足取りで、再びあの執務室へと向かうのだった。




転生侍女ソフィー(中身は元婚約者)の、胃薬必須なドタバタ王宮ライフが、今、幕を開ける――!

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