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子不語堂志怪録 星なき夜に影は踊る  作者: 悠井すみれ
第四章 悪しき凶星は後宮に輝く
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3.立太子争いの趨勢

 当代の皇后(とう)氏は、慈悲深く貞淑な賢婦人――しょう司獄しごくでさえも信じる評判を、辰蘭しんらんはこれまでも信じ切ってはいなかった。ゆえに、梓媚の告発それ自体には、さほど驚きはしなかった。


「主上は、世間で言われるとおりの御方と信じていらっしゃることでしょう。わたくしにも、たいそう優しくお声をかけてくださいましたもの……!」


 それでも、皇后をよく知る妹の語気と視線の鋭さ険しさには、白刃を突き付けられる思いがした。

 触れるだけで害を思わせる毒花を思わせる、美しくもひどく剣呑な笑みを浮かべて、梓媚は語った。


 入宮に際して、彼女が皇后に拝謁した時のことだ。皇帝はもちろん、主だった妃嬪が新参者を品定めすべく目を光らせる中で、後宮の女主人はこう述べた。


『婚約者が亡くなったばかりだそうね。お気の毒に。主上の性急さも困ったこと――悪く言う者もいるでしょうけれど、わたくしだけは守ってあげる。ただの()()()()()だったのですものねえ?』


 皇帝は、それを聞いて安心したのだろうか。新たな寵妃を、正妻は寛大に迎えてくれた。夫の強引さに苦言を呈しつつも、虐めることはないようだ、と。


(だとしたら、何という――)


 自国の主君、天より玉座を預かる御方への罵倒は、心の中でさえ形にするのは憚られた。だから辰蘭は溜息と共に額を押さえ、皇后の空恐ろしいほどの悪意に意識を集中させた。


 事情に疎かったり鈍かったりする妃嬪でも、さすがに了解しただろう。


 新しい妃は、皇帝の目に留まったのを幸いに、邪魔な婚約者を始末した上で、その死を悼むことさえなく皇帝の閨に侍るつもりなのだ、と――あり得ぬことだと知っているのは当の梓媚だけだ。つい先日、礼部れいぶがそのように企んだように、傍目には非常に説得力がある筋書きなのだ。


(多くの妃嬪は、義憤に駆られて梓媚を虐める……それを庇えば皇帝は皇后への信頼を深める。梓媚も、皇后につかざるを得なくなる、というわけか)


 さらには、皇后は梓媚に対しても仄めかしていたのだろう。

 婚約者が都合良く死ぬなどあり得ない。そのような「僥倖」は、何者かの――つまりは皇后自らの作為によるものだ、と。


(『良いこと』をしてやった、と言っていたな。恩に着せたつもりだったのか)


 皇帝の目に留まった幸運を逃さずに済んだことに感謝して尽くせ、ということだ。

 それに、釘を刺す意味合いもあっただろう。梓媚の潔白を知っているのも信じるのも彼女自身だけ、皇后の胸ひとつで、桂磊けいらいの死の咎を擦り付けることもできるのだ、と。


 皇后は、恩義と脅迫で梓媚に首輪を嵌めたつもりだったのだろう。


(おそらく、思い違いをしているが……)


 梓媚のほうでは、感謝どころか怒りと憎しみを募らせ、報復と反撃の機を窺っていたのだ。あるいは、小娘と侮って気に留めてもいなかったのかもしれないが。


「――主上は、まだ皇太子を定めていらっしゃいません。まだまだお若いお気持ちなのでしょうし、何より、誰かや何かを退けるということが苦手な御方なのです。皇子様がたの優劣も、母君様がたのおねだりも、臣下の方々の進言も――採らなかったほうをお気の毒に思われるのですわね」


 優柔不断、という言葉を使わずに、梓媚はより痛烈に皇帝の性格を評した。明確な後継者の不在は、極国が抱える内憂でもあるし、皇后の振舞いの動機にもなる。


 皇太子の有力候補となっている皇子は、ふたり。


 第一皇子俊瑜(しゅんゆ)、生母は貴妃きひ

 第二皇子暁燕(ぎょうえん)、生母は陶皇后。


 兄弟といっても、俊瑜皇子と暁燕皇子は同じ年の生まれだった。


 皇族同士で血で血を洗う争いが演じられた過去の王朝を戒めとして、資質を問わず長子を後継者に据えるのが極国の習い。だが、ややこしいことに暁燕皇子は幼いながらに聡明との評判が高い。そこで、ほんの数か月の違いなどないも同然、皇后を生母とする御子こそが皇太子に相応しい、と主張する者も多く、外朝も後宮も派閥に分かれて陰に陽に相争っているのだという。


(……そんなところに、妹と姪を放っておいたのか)


 実家からの説教も苦言も泣き落としも、すべて聞き流していたのが悔やまれた。少しでも耳を傾けていたなら、後宮の状況も説明されていただろうに。父たちが受験をせっついたのは、何も家の栄達のためだけではなく、梓媚たちの安全を確保するためでもあったのだろうに。


「……礼部尚書のご息女も、皇子を儲けられたと聞いているが」

さい淑妃しゅくひ様ですわね。今回のことで勝手に自滅なさったので、韋貴妃様はお慶びだと思います」


 つまりは、礼部尚書、ひいては柴淑妃は、劣勢からの起死回生を計ってあえなく失敗したということらしい。


(あの稚拙さも強引さも、このままでは勝てない、という焦りがあればこそ、か……?)


 梓媚を狙えば皇后の派閥を崩せる、と考えたなら、浅はかとしか言いようがない。だが、結果として、後宮の勢力図は確かに変わったのだろう。


 柴淑妃の派閥が消えたことで、皇太子争いは一歩進んだ。皇后にしてみれば、あとは韋貴妃をどうにかすれば良いだけ、梓媚を飼っておく必要性は減じた、というわけだ。


 否、それだけではない。梓媚を始末すべき積極的な理由もできたのだろう。


「柴淑妃の失脚を、皇后のほうは喜ばなかったのだな。歓迎すべからざる事態も、同時に起きたから……?」

「ええ。さすがお兄様、察しが良くていらっしゃる」


 褒められたところで、喜ぶことはできなかった。何も誇るようなことではなく、己のしでかしを認めるだけのことなのだから。辰蘭は、深い穴の中にどこまでも落ちていくような気分で、重い舌を動かした。


「不思議に思ってはいたのだ。桂磊を死に至らしめた蟲毒を、どうして三年も放っておいたのか。呪詛の証拠など、残しておくものではないだろうに」


 礼部の企みは、思わぬ「おまけ」を掘り起こした。もちろん陰謀に携わった者の誰も知らず、意図しなかったことだろうが。

 辰蘭が巻き込まれなければ、鏈瑣のお陰で軟禁から逃れることができなければ、あの老受験生の鬼が現れなければ――「もしも」はいくらでも考えられた。


 たが、それでもあの事態は起きた。桂磊の死は呪詛によるものだと、ほかならぬ辰蘭の手によって明かされた。それが、意味するところは――


「あれは、お前を脅すための手札だったのだな。蟲毒があの部屋にあり、皇后の望む時に公表できる限り、桂磊を呪殺したのはお前だと世の者に信じさせることができる。だが、私が見つけてしまったから――」


 桂磊殺しの咎を梓媚に着せることは、もはや不可能になった。兄が妹の罪を暴くなど、誰も考えないだろうから。皇后にとって、梓媚は首輪を嵌めた手駒から、油断できない敵手に変わったことになる。

 刑部が死んだ胥吏の身元を調べたことも、どうせ耳に入っているのだろう。皇后は、梓媚が命じたと考えたのかもしれない。やられる前にやれ、先手必勝、とは、何も戦場に限った流儀ではあるまい。


「公主が呪詛されたのは私のせいだったのだな。お前には何と詫びれば良いのか。これまでのことも――」


 心の重さに耐えきれず、辰蘭は梓媚の前に額ずこうとした。麗玉公主の弱った様子を思い浮かべれば、言葉での謝罪などとうてい足りぬと思ったから。


「あら。お兄様は、良い切っ掛けをくださいましたのよ」


 だが、妹の声は思いのほかに明るく軽く、驚いて見開いた辰蘭の目に映る笑みも晴れやかだった。白く細い手が伸びて、床につこうとしていた彼の手を取り、立ち上がらせる。


「皇后様に切り札がおありなのは察していました。でも、それが何かは分からなかった。だから、ずっともどかしく手をこまねいていたのですわ」

「梓媚。何を……?」


 瞬く辰蘭の手を、梓媚のそれが強く握りしめた。軽やかな声とは裏腹に、そこに込められた思いは深く重く激しいのが伝わってくる。


「こうも直截に攻撃してくださるなんて、よほど焦っていらっしゃるのかしら。なんて分かりやすい。今なら隙を見つけるのも容易いことだと思いますの」


 辰蘭は、どうやらまだ妹のことを見誤っていたようだ。陰謀の標的となり、娘ともども脅かされたからといって、怯えるだけの女であるはずはなかったのだ。


(守ってやらねば、と思っていたが。傲慢な考えだったようだな?)


 皓君こうくんの事件の時しかり、不肖の兄は妹に命じられて奔走するのが似合いのようだ。


「お前の仇は、私の仇でもある。算段があるのだな? 私に、できることが」


 三年の時と、互いの婚約者の死を越えて、兄妹の心がようやく重なった、と思った。梓媚の胸にも万感が込み上げたのだろうか、紅い唇が、一瞬だけ固く結ばれた。


「ええ、お兄様――」

「言わずとも分かるぞ」


 と、梓媚が続ける前に、ずっと黙っていた鏈瑣がおもむろに口を開いた。見れば、込み入った話に飽いて、菓子を積んでは崩して遊んでいたらしい。


 じゃらじゃらと鎖を鳴らし、得意げな笑みを浮かべた化物が、何をどう諒解したのか――嫌な予感はしたが、辰蘭が遮るよりも、鏈瑣が喰いつくような勢いで身を乗り出すほうが早かった。


「つまり、皇后を喰えば良いのだな!?」

「違います」


 間髪入れずに否定されて、よほど落胆したのだろう。ひどく悲しげな、傷ついた表情を見せた鏈瑣に、梓媚はごみを見るような目つきで報いた。

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