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パシャパシャと水が流れる音がする。ミオは深夜の庭園で静かに噴水に座ってぼんやりとあたりを眺めていた。
今日は月の明るい夜で、ランプがなくても目が慣れれば外を出歩いても問題ないほどだった。
イーディスもアルバートも眠っている時間なのでランプを持って外に出てもばれないだろうとは思うが、なんとなくこんな風に深夜に外に出ているのをどうしても見られたくなくてそうしていた。
しかし、なんだか夜の物悲しい気持ちに任せて外に出てきたはいいけれど、来てみると案外暇なもので噴水の水に手を伸ばして触れてみるぐらいしかやることがない。
……でも、部屋に戻ってもなんだか眠れないし。
それしかやることがなくても、眠くもなかったミオはやっぱり動かないままぱちゃぱちゃと水を跳ねさせて、ぼんやりとした。
そういえば、この噴水、少し前にデリックと喧嘩をして大破したはずだが、いつの間にか職人さんが来てぱっぱと新しいものに付け替えて、庭園はいつも通りになっている。
前の世界の学校の設備なんかは壊れたら壊れっぱなし、古いから仕方ないなんて言っていつまでも新しいものに変えられなかったが、イーディスがなんでもスパスパ動いて変えてくれるおかげで、いつだって屋敷はきれいなままだ。
常に忙しくしている原因はそういう所にあると思うのだが、最近のイーディスはそれはもう目まぐるしく働いて、休日にはどこかに出かけていくような生活を送っていた。
しかし、決してミオの事をないがしろにするわけではないし、質問をするとプラスアルファで答えを返してくれるマメさは健在だ。
そんな彼女に先日された話がある。ダイアナと同じ魔法学園に通わないかという提案だ。デリックと一緒に、この世界の多くの人と出会ってミオ自身の加護の使い道や、力の自覚に役立ついい機会だと言われた。
……もちろん、嬉しいし、学校に通えるなら友達もできて、楽しく生活できるかもしれない。
実際イーディスには色の良い返事をしたし、デリックもその気だと言っていて、知っている人と一緒に入れるなら安心できる。
……でも……。
それでも、この世界で人間関係を作って、学園というコミュニティに身を置いて安定した生活を送るということは、ミオにとって元の世界を完全に捨て去ることに近い気がして嬉しいのと同時に苦しかった。
今まで生きてきた世界のすべてをあきらめて、ここで一から新しく始めるのだと認めるのが辛い。あきらめたいわけでもないし、家族にだって会いたい。
でもそんなことは出来ないので、受け入れて助けてくれた人に倣って道を歩くしかない。
……いつかこんな気持ちも忘れて、私は、ダイアナやイーディス姉さんみたいに貴族として生きていくのかな……。
そんな風に悲しくなりながらもぼんやりと考えて空を見上げた。変わらず噴水からはパシャパシャと水が落ちる音がしていたが、ふとぴちゃぴちゃと毛色の違う音がして、気になってそちらを見た。
すると、そこには当たり前の顔をして噴水の水を飲む狼……デリックの姿があって唖然とする。
……何してんのよ……こんな真夜中に……。
そんな言葉が浮かんだがすぐには口にしなかった、だってもしかすると狼違いかもしれない。それに、普通の人がそんな風にいくら狼の姿をしていても野外の噴水の水を飲むわけがないだろう。
だからデリックに似た狼がたまたま屋敷に入ってきた可能性を考えた。しかしそれはそれでピンチだ。目がキラキラしているので魔獣だと思うしそうなると大型の魔獣は人間も食べる危険生物だ。
「……」
警戒して、ダイアナからもらった杖に手を伸ばす。腰にホルダーをつけてぶら下げているのでいつでも使えるようになっていた。
じっと見つめると狼は水分補給を終えて、ぺろりと舌なめずりをした後に噴水の周りの座面に乗ってチャカチャカと足音を鳴らして歩いてきた。
それから、当たり前のように人の姿になってからしゃがんでミオを見つめた。
「何してんの……こんな真夜中に」
丁度、自分が思っていたことをデリックに言われて「貴方に言われたくないんだけど」と取り澄ました態度で返した。
するとデリックはミオを覗き込んで困った顔で返す。
「だって俺は……あんたと違って、夜行性だし」
……夜行性? ああ、狼がそうだから。
聞いてそう納得しかけたが、フルフルと頭を振ってそんな言い訳には騙されないと思う。魔法の力でそう化けているだけでデリックは人間だ。夜に出歩く言い訳を言っているにすぎないだろう。
「何言ってるの。そんな言い訳は通じないわ。言えばいいじゃない、ちょっと夜に外に出て遊びたかったって」
「……違うけど……」
「うそうそ、でも私も見つかっちゃったからイーディス姉さんやアルバート兄さんには言わないでいてあげる」
「……」
そういうとデリックは腑に落ちていない様子だったが、ミオはそんな顔をしても騙されない。狼の姿をして生まれてきて人間になったわけでもあるまいし、普通に生活して一緒に食事を食べて話をできる彼が獣だなんて思わない。
たまに手品のようにくるっと姿を変える普通の男の子だ。
そしてたまにカラスのルチアと話をしている風にしてみたり、狼っぽくしているだけだ。
動物は話をしないし人間と同じように生活もできない。
「それでこんな時間に、何してたの?」
話を切り替えてデリックはミオにそう問いかけてくる。すぐそばにしゃがんで顔を覗き込んできているので近すぎる気がするが、杖を得てからデリックはこんな感じなのでもう慣れてきた。
「……別に……ただ少し……」
悲しくて気分を紛らわせたかっただけ、そう言おうとしたが、そんな風にへこんでいるところを誰にも見られたくなかったから深夜に出てきたのであって彼にわざわざ言うつもりもない。
「夜風に当たりたかっただけ」
「風に当たりたいだけならベランダに出るだけにしとけばいいのに……」
「いいじゃない、別にそういう気分だったってだけ!」
「夜に屋敷から抜け出して噴水で水遊びする気分って……どんな気分?」
まったくわからない事を純粋に疑問に思ったから聞いてる、そんな様子でデリックはフワフワしている白い髪をなびかせて首を傾けた。
「水遊びなんかしてない!」
「してたじゃんか。ぱちゃぱちゃって」
「ただ暇だったからやってたの!」
「暇なら部屋に戻ればいいのに」
「だからっ、私は……」
……本当に話が通じない。察しが悪すぎる。そんなだと一生モテないんじゃない!
心の中で悪態をついてデリックをぎろっと見つめる。しかし、そうして睨んでみても彼はキョトンとしていて出会った時のように怖がっている様子はなかった。




