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普通に社交界で出会ったなら一度引こうと考える、そのぐらいリスキーな相手だ。
「……単刀直入に言います。獣の女神に関する文献を渡してください。その文献はデリックのような子供が生まれた時に使われるための貴重なものです」
しかし、引けない理由がこちらにもある。守るべき人がいる、ここでイーディスが踏ん張らなければ彼らの生活が立ち行かない。
「決して、生まれた聖者を使って私腹を肥やす為の道具ではありません。貴方だって暇ではないでしょう。もうすでに婚約を破棄した男性とその兄弟の事など忘れて、前に進んではいかがですか」
毅然とした態度でイーディスは要求を伝えた。彼らフェルトン侯爵家に対する懐柔策は王家も何度も打ち出している。
それでも金銭をかすめ取っていくばかりで下手に出ていてはいつまでたっても成果は得られない。
対等に直接、こちらの要求を頷かせるしかない。彼女は今年に成人したばかりのイーディスと歳が同じうら若い令嬢だ。やってやれないことは無い。
しかし、パンッと音がして、重たい衝撃が走る。
「っ、」
軽く扇でたたかれた程度だと思ったが、痺れるように鋭い痛みで口の中に血の味が広がった。
「不愉快ですわ。偉そうに、お前、わたくしのペットを攫っておきながら、どの口でそんなことをおっしゃるの?」
「彼らは立派な人間です。ジェーンのペットではありません」
この扇にもしかすると何か仕込んであるのかもしれない。そんな風に思いながら、イーディスは動揺を悟られないように続けた。
「あら、ペットも同然ですわ。片方は人間ではありませんし、アルバートはいまだにわたくしに逆らうのが怖くて、会いに来られないのでしょう?」
「……」
「愚かで頭の悪いペットですわ。それに今はただ、甘い話に騙されてお前の元にいるだけで、あれはわたくしの元に戻ってきますわ」
そういってジェーンは、うっそりと微笑む。ぞっとするような恐ろしい笑みだった。
「馬鹿な男ですもの。都合のいい話に騙されてわたくしから逃れられたつもりでいるのでしょうけど、現にお前はあれらの所有を続けるために、この場所にやってきた」
扇の端をイーディスに向けて、イーディスを馬鹿にするように笑う。
「結局すべてわたくしの掌の上。そんなことぐらいアルバートはわかっているはずだわ。頭の悪いペットなりに主人に愛情を向けているはずですもの、ちゃんと帰ってくるとわたくしは知っていますのよ」
「アルバートはジェーンを恐れてはいても愛してなどいません」
「あら、ではお前を愛しているとでもいうの? そんなことはお前は言えないでしょう? だって恐れている人間に黙って、大切な人を会いに行かせる男がありますか」
……嫌な切り口ね。
絶妙に突かれたくないところをジェーンはしたり顔で突いてきて、イーディスは流石に表情が引きつった。
「所詮はお前はただの宿主に過ぎないんですのよ? なにを勘違いなさてるのかしら、滑稽だわ」
……ただの宿主……。
気にしているつもりはない、イーディスとアルバートはそもそも契約結婚だ。愛情などその間にないのはわかっている。
「それに比べてわたくしはアルバートのすべてを知っている。あれのすべてを手中に収めてきた。今更しゃしゃり出てきた泥棒猫とは比べ物にならないつながりがありますのよ」
言葉を否定することが出来ずにいると、ジェーンはさらに勢いづいていう。
「獣の聖者についても、どうやら一般貴族と同じように魔法学園に入れるつもりらしいけれど、そうはいかないわ。どんなに安全性を説いたって偏見はなくなりませんわ。上手くいくはずない事を思い知ることになりますのよ」
「……やってみなければわかりません」
「何を馬鹿なことを、うまくいかないとわたくしが言っているんですのよ。上手くいきませんわ」
「……」
「勝気で、可愛げのない女ねお前、本当に忌々しい、今すぐお前を焼き殺してやりたいぐらいですわ」
じっとりとした恨みがにじんだような声がイーディスに向けられて、ドンッと押しのけられて数歩下がった。
「まあ、構いませんわ。どうせわたくしの望むようにうまくいく、お前と話をするだけ時間の無駄。わたくしも暇ではありませんからね。もう行きますけれと、一つだけ」
言いながらジェーンは扉の方まで向かい、それから振り返った。
「重要な文献のある書庫の鍵はわたくしたちフェルトン侯爵家貴族しか持っていませんのよ。ですから、教会内を探っても無駄ですわ。わかったらさっさとこの領地から出ていきなさい、バカ女」
そう捨てセリフを吐いてジェーンはかつかつとヒールの音を鳴らしながら、応接室からでていき、イーディスもダライアスに話したいことがあったのだが、それをできるほどの気力は残っておらず、少し挨拶をして、帰路についた。
馬車の中で揺られながら、念のためにもってきていた水の魔法道具を使って頬の傷を癒す。連れてきて外に放っておいたルチアは、物珍しそうにイーディスの傷を横からじっと見て「かぁ」と一度鳴いた。
その鳴き声がなんだか心配している様子で、もしかすると窓がある応接室だったので外から見ていたのかもしれないなんて思う。
「気にしないで、想定はしていたことだわ」
ルチアを腕に乗せてそのままイーディスは彼に語り掛けた。気持ちの整理をするときに、こうして彼に話をすることは割と多く、かぁとしか鳴かない彼だからこそ、自分と向き合える気がする。
「……目の敵にされるのも当然ね。まさか叩かれるとまでは思っていなかったのだけど、この程度の怪我では問題にもできないし、他に証人がいる場合にはやらない可能性が高い」
「かー」
「でもジェーンの本音を知ることが出来たのは、収穫だった。彼女は単純な人間だわ。あれなら騙すこともできるのではないかと思うのよ。例えば……金銭を送り付けて、アルバートからだと思いこませて使わせてから、その金銭の出所が公共事業に使う予定だったお金を横領していたなんて筋書きはどうかしら」
「かぁ」
「アルバートからの愛情を絶対のものだと疑わない彼女はアルバートが情に負けてまた金銭を送ってきたと勘違いするのではないかしら」
頭の中を整理しつつ、イーディスは作戦を考えた。
しかし今言った作戦には、少なくとも一人彼女とともに、処罰を受ける人間が必要になり、それができる立場の人間はイーディス以外にいない。
それにジェーンを排除したところで元凶は彼女ではなくフェルトン侯爵だ、彼らの手札を削ることになるのは確かだがそれでは、割に合わない。
……それに自己犠牲では結局アルバートもデリックもミオも放り出してしまうことになる。それだけは避けなければならない。
「……あまり、現実的ではない案ね。かといって強硬策に出れば、オルコット侯爵家がフェルトン侯爵家領地を侵略しているなんていわれる可能性もある」
「かー」
……結局のところ、現実的な案はジェーンを懐柔してフェルトン侯爵家の思惑とは別に動いてもらうという事。
あの状態の彼女がイーディスに懐柔されるわけがないとは思うが、平和的に要求を呑んでもらうというのが重要なのであって、和解しようというわけではない。
ジェーンは権力を誇示して、自分を傷つけた相手には必ずやり返したいタイプだ。
きっとまたリンツバーク教会にイーディスが足を運ぶことがあれば、今日のようにイーディスをなじるためにやってくるだろう。
そこで、彼女が満足するまで謝るなり、同情を誘うようなことを言ったりして、満足させて反省してアルバート達を彼女の元に返そうと思っているなんて言う。
アルバートを個人的に助けたかったから彼を手に入れたのではなく、王族の従者として役目として彼を迎え入れたことにして……でも愛のない結婚なんて耐えられないと涙を流して見せて、アルバートを開放するから、イーディスが王族に怒られないように、文献だけどうか見せてほしいなんてお願いする。
結果的には騙すことになるが、信じてもらえさえすれば上手く事が運ぶ。
……平和的な解決策はこのぐらいしか思い浮かばないけれどこれなら、私一人でできるし、何とかなる。
「よし、決めた。ルチア、ここから忙しくなるわよ」
「かー」
まずは彼女に何度か会ってきちんと筋書きを考えるところからだ、あと次第に元気がなくなって、やつれている様子も見せて、満足させることが大事だろう。
そんな風にやることを考えたが、考え事がひと段落ついたあたりで、イーディスははぁ、とため息をついた。
たくさん魔力を注いだので頬の傷はもう治っている。水の魔法道具を頬から外して、片付けるが叩かれた衝撃はいまだに感じている。
……想像よりもずっと、邪悪な人だわ。
アルバートを思い浮かべながら、そう思った。彼がああなったのも納得がいく。それを自分がうまくいなせるか、騙せるか。不安ではあったがやる以外ない。
決意を新たにしながらイーディスはごとごと馬車に揺られて、帰路を進んでいった。




