第7話 朝活が失敗するとか信じたくないんだが?①
昨日は、本当に最悪だった。初めての練習室でピアノを弾こうとるんるんで向かったら、レント王子の行列に巻き込まれて全く練習ができないなんて……。
誰が想像できるんだ。
練習室は、ピアノを練習するための物じゃないのか。
昨日見た夢を思い出して、身震いをしながら、再び悪夢を繰り返さないように考える。
あの行列がいつまで続くか分からない。今後長期間、行列のせいで練習ができないとなると私が発狂してしまう。よし、対策を考えよう。
9割ピアノ。1割その他の脳みそを必死に動かしてみる。
女子は、身支度にとても時間がかかる。メイクと着替え。そして、髪型のセッティング。その身支度を行う時間と言えば朝だ。つまり、朝は、レント様、私の演奏を聞いてくださいと行列ができることもない。
朝活。朝活だったら、ピアノを練習できるんじゃないかなあ。
それに、早起きは三文の徳というけど、本当に3つの徳がある。
1つ目は人がいないので、いつもは人気のグランドピアノがある練習室を使用できること。
2つ目は、他の誰かに演奏を聞かれる心配が少ないので思いっきり練習をすることができること。
3つはレント王子の行列ができないこと。
これしかないなあ。ピアノのためとなると頭が冴えるのは、なぜだろうか。
ということで、さっそく私は、レガート嬢とマリア嬢が寝ているのを横目に私はひっそりと部屋を抜け出して練習室に向かった。
やはり朝が早いのもあってか、どこも人影1つ見当たらないなあ......。
グランドピアノがある練習室は、意外にも直ぐに見つかった。なぜなら、昨日私は並んでいる間にどの練習室にグランドピアノがチェックをしており、2階には1部屋しかグランドピアノがないのは、確認済みだった。ただただ恋しげに見つめていただけじゃないんだ。
ちなみに、2階にある1室は、昨日レント王子が使っていた2階の一番最奥のことである。あそこを使いたいとは思わないので、他の部屋がないか必死に探していた。
グランドピアノがあるのは3階かな。
そう思って、階段を上ると手前の4部屋がその部屋だった。
音が漏れないように分厚く作られた扉を開けると埃の匂いがする。部屋の中に窓が2個備え付けてあったがカーテンが閉まっていたため、とても暗く感じた。
狭い部屋に大きなグランドピアノが押し込まれているせいか、いつも見るよりもピアノが大きく感じる。
換気をするため。そして、朝日を取り込むためにカーテンと窓をあけると朝日がグランドピアノを照らした。まるでピアノを弾いてと私に語り掛けてくるみたいに。
誰にも邪魔されずに、ピアノを弾けるこの空間。ここは、天国?
朝日がこれだけ入れば、照明はいらないなあと思いながら、ピアノの蓋を開けて、上に掛けられていた赤い布を丁寧に畳む。
そして、せっかくならと突き上げ棒を上げて裏屋根の突起に差し込む。ここを開けるとさらに、いつもよりピアノを響かせることができるのだ。
これで準備は完璧かな。あとは私が演奏をするだけかあ。
曲は、ここに来る前から決めていた。
思い出される入学前の演奏会で弾いた人形の⚪︎と目覚め。自分の名前を呼ばれた気がして、途中で弾くのを中断してしまっていたため、もう一度きちんと最初から最後まで弾ききりたいと思っていたのだ。
そうと決まれば話は早い。指を最初の音の位置に添えて、1音。そしてまた1音丁寧に弾いていく。
指が。体全体がどのように動かせばよいのか。染み付いており、脳ではなく、身体が弾いているのを感じる。
私は、この曲が体に馴染んでいる感じが好きだ。
何度も何度も練習をして、体が曲を覚えていくような感覚。
弾くたびに馴染み、そして弾くたびにより良い物へと変化する音。
ピアノと指が一体化するような感覚。
身体が馴染んだら、次は、感情を音に乗せる。
今度は、身体と心がピアノの一部となるような感覚。
望む響き方。望む指の動き。望む感情の音。
楽しい。楽しい。楽しい。
リズムがしっかりと刻まれることに対しての高揚感と、自分の思い通りに音が鳴ることへの優越感。そして、純粋な楽しさ。
もっと。弾きたい。ずっと弾きたい。辞めたくない。
だから私はピアノを辞められない。
だから私はピアノに執着する。
泣きながら練習をしたこともある。辞めたいと思ったこともある。でもこの瞬間のために。長時間の練習も他の人が苦だと思うことが私にとっては苦じゃなかった。
「弾き終わった」
まるで、接着剤で取り付けていたように張り付いていた指を離すと、手汗で両手が少し濡れていることに気づく。
そして、遅れて、最後まで完璧に弾けたことに対する達成感がやってくる。
息が途切れど切れなことから、自分がそれだけ全力で弾くことが出来たのだと感じた。
そろそろ、レガート嬢とマリア嬢が起きる時間かなあ。寮に戻ろう。
「ありがとう。また弾きに来るね」
ピアノの蓋を閉じ、いそいそと部屋を元と同じ状態にする。そして、重いドアを開けた時、少し扉から離れた位置にいた黒髪の少年が口を開いた。
「やっぱり、桜か」
少年から、香る鈴蘭の香りだけがただただ立ち込めていた。




