夢見がちな人〈徳川家康と今川義元〉
【地獄駿府城にて 徳川家康と今川義元】
「おい、竹千代」
「えっ…誰だ?」
「竹千代」
「俺はもう竹千代ではない。幼名なんかで呼ぶな」
「では元信…いや元康。待っていたぞ」
「おお。氏真のお父さんじゃないか」
「おい、それも間違ってはいないが、普通もっと違う言い方をしないか?俺はお前の元の主なんだぞ」
「ああ そうですね、今川義元様。それにしても お久しぶりですね。お元気でしたか?」
「うむ、死んではいるが…元気ではあるな」
「死んだ俺に、真っ先に会いに来てくれたのは、やっぱり あんただったんだね」
「おい お前、歳を食ったせいなのか、天下を取ったせいなのか知らんが、なんだか態度がふてぶてしくなっていないか?」
「ああ ごめんよ。これは歳のせいだと思うよ。70年以上も生きてみれば、あんたも分かるよ」
「まったく 忌々しいやつになったな。しかし俺の享年は、比較的若い42歳だから、地獄での年齢逆転現象には慣れている。70過ぎのお前でも、俺から見れば、三河の国衆の小僧だからな」
「分かってますよ。義元様が、一応は俺の元の主君だっていうのも、忘れたわけじゃないから、機嫌を直してよ」
「忘れたわけじゃなくとも、特に思い出しもしなくなっているのだろう」
「あれ、よく分かったね。でも仕方がないよ。義元様、俺が二十歳にもならないうちに死んじゃったんだからさ」
「お前といい信長といい、まったく腹が立つ小僧ばかりだ。まあ お前のその態度だけは、寛大な心で許してやらんでもないが…。
だが、元康。お前には言いたいことが、他にも色々あるのだ」
「あのさあ…」
「なんだ?」
「わざと言ってるでしょ。俺はもう、元康じゃないって知ってるくせに…」
「そうだ。わざとだ。まず言いたいのはそれだ。お前、この俺が与えた〈元〉の字を、あっさり捨てやがってよ」
「だってさあ、俺にも色々と都合があるし、イメージも悪いしさ…」
「いや、都合は分かるが、イメージ悪いとかは言うな」
「あっ ごめんよ。でも、都合は分かってくれるんだね」
「まあ…それもどうかと思わんこともないが…。俺が死んだ後の氏真の対応にも、多少は問題はあった。だから、お前の都合もギリギリだが認めてやろう。
だが、俺の名のイメージが悪いなどと、しれっと本音を言うな」
「ああ…だから、ごめんって言ってるじゃない。死んだら、本音がポロポロ出ちゃうようになったらしいんだ。
オブラートに包んで言い直すよ。ええと…元康だと、信長に負けた人って感じで、どうしても嫌だっただけなんだよ」
「今 どこを包んだんだよ。ちっとも変わらねえ…っていうか、余計に酷くなったじゃねえか」
「バレちゃった?」
「ああ、もうそれはいい。家康、まだ言いたいことはあるぞ」
「何ですか?」
「俺が桶狭間で信長に敗れたのは、実はお前のせいだったのだぞ」
「えっ、そんなはずはないよ。あんたの指示通りに、大高城に兵糧を運んだじゃないか」
「それがダメだったのだ。なぜ失敗しなかった」
「はあ?」
「あの指示は、若いお前に戦の本当の厳しさを教えてやるために、あえて困難なものにしたのだぞ。それをあっさりと成功させられたせいで、俺の予定が狂ってしまったのだ」
「あの…義元様。何を言ってんのか、さっっっぱり分かりません」
「そうか。お前には理解できなかったか。しかし これは、当事者同士の最新の研究から浮上した、桶狭間の戦いの新説なのだぞ。詳しくは、この連載の第一話を読め」
「はあ?当事者同士の研究……桶狭間の戦いの珍説ですか?」
「うるさい。とにかく読んでみろ」
「ああ 分かりましたよ。俺からも、ちょっと言って良い?」
「なんだ。聞いてやる」
「俺はね、ちゃんと義元様のことを尊敬もしてるんだよ。俺の親父が今川家に臣従したのは、正解だったと思っているんだ。ちょっと内輪揉めみたいなのもあったけど、やっぱり さすがは名門だと、何度も思ったしね」
「俺を討った信長と組んで、今川家を裏切っておいて、何を今さら…」
「それはさっき、あんたも言ってたでしょ。今川家の対応にも、問題があったってさ。
あんたが討たれたのは不運だったけど、それでも国力では、依然として信長を大きく上回っていた。すぐ氏真が二度目の遠征をして、あんたの仇を討てば、尾張を取れていたはずだよ。
なのに、領内ではいつまでも混乱が続き、古巣の岡崎城に入っただけの俺に、西三河の統治と信長との戦いを丸投げだ。
あれじゃ、生き残るためには、信長と組むしかないでしょ?」
「うむ…確かに、氏真がトロかったせいでもあるな」
「さらに数年後には、武田信玄が今川家との同盟を破って南下しようとした。北条家の援軍だけが恃みの今川家では、領地を守り切れない。
あの武田信玄に、遠江まで取られるよりはマシだったから、俺が遠江を取ったんだ」
「ああ そうだな…分かった。もう そのくらいで良い。実は俺も、そんなことは分かっている」
「だよね。あんたが、そんなこと分からないはずがない」
「うむ、すまんな。ちょっとだけ、恨み言も言ってやりたくてな。軽いジェラシーだ。
では最後に、もう一つ言って良いか?」
「どうぞ」
「氏真の命を救ってくれたこと、感謝している」
「良いよ、そんなこと。あいつは兄貴みたいなもんだからね。
それに俺には、今川家の当主のあいつを、上手く利用できるかもっていう魂胆もあったんだ」
「子供の頃は、お前より かなり優秀だと思っていたのだがな」
「優秀だったよ。武芸に学問、和歌、蹴鞠…何をやっても一流だった。ただ、殺し合いや騙し合いには向かない性格だっただけだよ」
「そうかもな」
「田舎者 丸出しの俺は、公家の文化とか教えてもらえて助かったよ。好きなことをやって生きていく才能は、抜群だったんだと思うよ。今川氏真を嫌っていたやつなんか、一人もいなかった。
今川家は、あんたと氏真 二代続けて、ちょっと不運だっただけだよ」
「天下人にそう言って頂けるとは光栄だ」
「桶狭間で死ななかったら、天下人はあんただったかも知れないね」
「そうだな。俺だったら、将軍を駿府に迎えて、駿河幕府を作っていたぞ。そしてお前より、二十年は早く戦乱を終わらせていただろう」
「義元様…」
「なんだ」
「ちょっと持ち上げただけで、あんまり調子に乗り過ぎないでよ」
「うるさい。せめて夢くらいは見させろよ」
「それは良いけど…。夢を見るのがちょっと早過ぎる性質だから、信長の突撃を食らったんだよ。
負けたのを……勝手に俺のせいにしないでよ」




