愚直すぎた男〈豊臣秀吉と石田三成〉
【地獄聚楽第にて 豊臣秀吉と石田三成】
「秀吉様」
「おお、三成。待っていたぞ。
まずは、俺が死んだ後も豊臣家に忠義を尽くしてくれたことに、心から礼を言う」
「有難いお言葉ですが、私では知恵も力も足りず、豊臣家を守り切れませんでした。申し訳ありません」
「ああ そんなことは良いんだ。そもそも、無意味な外征で、豊臣政権の屋台骨を傾かせてしまったのは俺なんだ。
だから俺は死の間際、豊臣家…いや、秀頼(秀吉の子)のことを、家康と利家に頼むしかなかった。ああ、お前が頼りにならんという意味ではないぞ」
「もちろん分かっています。私は、実戦では役に立ちませんから、国を束ねられるほどの武力を、持ち合わせてはいませんでした」
「お前の真価は、政事と兵站にあった。そんなお前を、矢面に立たざるを得なくしてしまった。
病だった利家が死んでしまえば、海を渡った武将たちの反感を抑えられる者はいなくなる。その反感がお前に向いたのも、本を正せば俺の責任なんだ」
「いえ、私が武将たちと もっと対話をしていれば良かったのです」
「すべて、済んだことだ。お互い、謝るのも悔いるのも もうやめようか。
そんなことより、喉が乾いてねえか。茶を点てたから飲んでくれ」
「頂きます」
「…………」
「さっぱりして飲み易い茶でした。…秀吉様、もう一杯頂けますか?」
「もちろんだ」
「二杯目は、茶碗が一回り小さくなりましたね」
「遠慮せず、もう一杯どうだ?」
「頂きます。……今度は熱くて、味わい深いです。
ありがとうございます。秀吉様に初めて会ったとき、私がやった茶の淹れ方ですね。懐かしいです」
「そうだ。喉が乾いている俺に、一杯目は温めの薄茶を多めに。すぐ飲み干した俺に、二杯目はちょっと熱い茶を適度な量。三杯目は、熱く濃い茶を少なめに淹れた。それで俺は、お前には将来性があると見抜き、側仕えさせたんだ」
「そうでしたね。しかもなんと、三杯目のこの茶には、茶柱が立っています」
「抹茶に茶柱が立ったか。臼で碾かれた茶なのに、奇跡的に茎が残っていたのかな。それはすげえ縁起が良いぞ。その茶も、お前の地獄入りを歓迎しているのだろう」
「そうですか。地獄で縁起が良いとは不思議ですが、なぜか悪い気はしませんね。
でも秀吉様は将来性と言われましたが、あのとき私は、ただ同じ茶でも、こうすればより美味く飲んでもらえると思っただけなのです」
「そうだよ。だから同じ兵糧でも、お前が運び込む時期と量は、いつも絶妙だったじゃないか」
「あの半島では、それに武将たちから不平を鳴らされましたがね」
「それは俺の責任だと言ってるだろう。あのとき、物資は絶対に十分とは言い切れなかった。
無計画に運んで、船が嵐で転覆でもしたら大変なことになる。そんで万が一、国内の食料まで不足したら元も子もねえんだ」
「分かっていたんですね」
「分かっていた…と思うが、あのときの自分が何だったのかは、今でも上手く説明できねえんだ。苦労をかけて済まなかった」
「謝るのはやめようって言われましたよ」
「そうだったな」
「今 気づきましたが、いっそのこと、本当に船を沈めるか、もしくは沈んだと偽るかして、兵糧の欠乏で兵を退かざるを得なくすれば良かったです」
「それを聞いたら俺は、お前にどんな処分を下しただろうな」
「打首だったかも知れませんね。まあ でもどうせ、数年後には本当にそうなったのですから、打首も覚悟でやってみても良かったですね」
「こんな話ができるのも、お互い地獄にいるからだな」
「ああ 確かにそうですね。現世でなら、兵糧を海に沈めるなんて考えもしなかったし、仮に考えたとしても、絶対に口に出せませんでしたね」
「そうだ。お前は適応能力が高いから、早くも地獄の環境に切替えられているんだ。
俺はちょっとアレでな。現世に後悔っていうか未練っていうか、立ち切れないもんもあって、すぐには切替えられなかった。
でも信長様と話して、やっとすっきりした。地獄には布武も統一もない。死にもしない。現世でのことは、ただの結果に過ぎないって話をされてな」
「地獄には、成功も失敗もないのですね。勝者も敗者もいません」
「そうだ。ただ時間だけが延々とある。だから、何の壁も作らず、あるがままの自分でいられる」
「現世で大谷善継に、お前は愚直すぎると、五万回くらい言われた気がします。しかし地獄であるがままになれた私は、実はそこまで愚直でもなかったのですかね」
「あるがままのお前も、現世でのお前も、愚直そのものだよ。
打首も覚悟で兵糧を海に沈めてまで、戦をやめさせようかなんて考えるやつを、愚直以外に何て言えば良いんだ」
「そうですか」
「沈んだということにして、兵糧を着服してましたっていうなら、小悪党だがな。
地獄で見えてきた、お前のあるがままの姿は、型に嵌らなくなったところじゃないのかな」
「型に嵌らなくなったところ…」
「そうだ。それに大胆さも にじみ出ている」
「確かに私には、大胆さは欠けていましたね」
「俺は、歳とともに、どんどん大胆というか、大雑把になっていった。だがお前は、どこまでも愚直で繊細なままだった。だから俺とお前は、良い組合わせだったんだよ」
「そうですね。歳を取ってからの秀吉様は、本当に大雑把でした。四十代の頃と同一人物なのかと、時々疑いましたよ。
全盛期の秀吉様は、それこそ繊細かつ大胆でしたからね」
「俺は、ピークを迎えるのが早過ぎたんだ。でも仕方がねえよ。
生まれも育ちも良くねえ俺は、若い頃からアクセル全開で飛ばさなきゃ、他のやつらに追い付けなかったからな。
その俺が関白なんかになったら、ふっと気が緩んでよ。いつの間にか、燃料が空気に変わってしまっていたんだ。
家康とは真逆だな。家康は若い頃、どこかしら鈍臭いところがあったが、歳を取るほどに明晰さと狡猾さを増していったからな。歳を食って衰えた俺が、敵うはずがなかった」
「私は、どちらだったのでしょうね」
「そうか。晩成型は、自覚がないんだな。お前は完全に家康タイプだよ。
もっと長生きしていれば、さっき言ったみたいな大胆さや、家康みたいな狡猾さを身に着けて、国を大改革させていたはずだ」
「そうでしょうか。自分に、それほど伸びしろが残っているとは、思えませんでしたが…」
「おい、お前には伸びしろだらけだよ。実は若い頃のお前に、教えておけば良かったと思うことがあるんだよ。
当時、教えようかどうか迷って、結局はやめておいたんだけどな」
「教えておけば良かったかも知れないこと…それは何ですか?」
「さっきの、あの茶柱だ」
「茶柱ですか」
「そうだ。あれは俺が、こっそり指で立てておいたんだ」
「なるほど、してやられました」
「ちょっと良い気分になっただろう?」
「なりました」
「嘘でも良いんだ。誰も損していねえだろう?
初対面で、ちょっとでも人を良い気分にさせてやると、その後 長く味方になってくれることも よくあるんだよ。だから、アクセル全開だった頃の俺なら、同じ茶でも、そこまでやっただろう」
「どうして、教えてくれなかったんですか?」
「若いお前に変な小細工を教えると、不純物が混じる気がしたんだよ。だから、酸いも甘いも噛み分けた頃に言ってやろうと思っていたら、タイミングを失ってしまったんだ」
「同じ茶でも、それだけのことで、気分まで良くさせられるのですね。私には、茶の温度や量しか見えていませんでした」
「お前の検地や国分けは、正確そのものだった。物資の輸送には遺漏も不正もなかった。十分に良い仕事をしていたんだから、別に後悔するほどのことじゃねえぞ」
「いえ、大事なことを見落としていた気がします。誰も損をしないなら、嘘でも良い。それで気分を良くしておけば、人が味方をしてくれる…。
それに死んでから気づくとは、ちょっと悔やまれます」
「今のは一つの例だが、そういうのが、お前の伸びしろだったんだよ。でも やっぱり、若い頃に教えなくて良かったんだよ。歳を食ったお前だから、真意が分かるんだ」
「私は、とても秀吉様には敵いませんね」
「そう思っているのはお前だけだよ。俺はお前に比べたら、ちょっと小細工に長けているだけなんだ。
ついでだから言ってしまうと、本当は、教えるタイミングを失ったんじゃない。お前ほどのやつが、味方を増やすコツを知ったら無敵だ。もし そうなったら俺を…」
「絶対に、裏切りませんでしたよ」
「ああ…そうだよな。家臣を疑うのが自分の悪い癖だって、俺も死んでから気づかされたよ」
「誰もが、死ぬまで本当の自分に気づかないなら、どんなに無様でも、死ぬまで懸命に生きるしかないのですね」
「ほら…やっぱりそうだ」
「何ですか?」
「言っただろ?
お前は現世でも地獄でも……愚直そのものじゃないか」
石田三成の再登場にも、ぜひご期待ください。




