食事の流儀〈北条氏康と北条氏政 第二話〉
【地獄小田原城にて 北条氏康と北条氏政】
「おお、氏政ではないか。久しぶりだな」
「親父…すまん」
「おい、いきなり何がすまんのだ」
「それは…まあ色々とだ。会いに来るのが遅くなったし…現世では色々あって…」
「そうか。確かに色々とあったな。しかしよく来てくれた」
「遅くなって、すまん」
「お前、すまんとばかり言っているぞ。別に謝ることなどない。ゆっくりしていけ。そうだ、腹は減っていないか?」
「ああ、さっき飯は食ったが、親父が何か振る舞ってくれるなら、ありがたく戴くよ」
「そうか。お前 これを食ってみるか?」
「なんだこれ。ずいぶん塩辛そうな食い物だな。死んで味覚が変わったのか?」
「味覚は変わっていない。これは上杉謙信が置いていったものだ」
「上杉謙信殿が?」
「そうだ。ときどき勝手に来て酒に付き合わされる」
「よく分からん関係になっているな…。でも まあ謙信殿なら、こういう塩辛そうなものを好んで食いそうだが、親父の好みではないよな。
俺も、これを食うにはちょっと勇気が要る。でも捨てるわけにはいかないし、食ってみよう」
「そうなのだ。試しに食ってみてくれ」
「辛い。味が濃過ぎて、材料が何かも分からない。食えなくはないが、正直 あまりたくさん食いたいとは思えない」
「実はこれがまだ、一ヶ月は籠城できるほどあるのだ」
「地獄では食い物は腐らないから、いつかは食い終わるだろうが、なんでそんな大量に作ったんだ」
「だから、作って持って来たのは謙信だ。二人で何日か一緒に飲んで食っていたが、しつこいから帰らせた。そのときに これを置いていったのだ」
「たった二人で、どれだけ飲んで食うんだ」
「謙信はいつも、尋常ではない量の酒と食い物を持って来る。それを置いていかれたから、一人で食おうかと思っていたところにお前が来た。丁度良いから、お前も食ってくれ」
「それは良いが、こんな塩辛いもんを、こんな大量に食ったら、舌と内臓がおかしくなる。血圧も上がりそうだ。地獄で高血圧を心配することになるとは思わなかったぞ」
「お前、それに薄い味噌汁をかけたら、どうなると思う?」
「親父がそれを言い出すとは思わなかったが、汁をかければ、丁度良い味になるかも知れない」
「いや私は別に、飯に汁をかけるのが いかんと言ったわけではないぞ」
「ああ、それは分かっている。かけるなら一回で適量をかけろってことだろう。親父が死んでしばらくして、幻庵から聞かされたよ。
親父が言いたかったことは、よく分かった。なんだか自分が情けなく感じたから、それからは飯に汁をかけること そのものをやめたけどな」
「だがお前の考えも、分かる気がしてきたのだ」
「そうなのか。でも俺の考えって言っても、あれはただ、味を少しずつ変えて食事を楽しんでいただけだぞ。まあ そんなことしなくても、十分 美味い食事だったけどな」
「私は、食事を単に栄養を摂ることだとしか考えていなかった。味にはほとんど関心を持っていなかったのだ」
「そうか。でも俺たちが食っていたものは、味付けもしっかりしていたぞ。素材本来の味をよく引き立てていて、とても美味かった」
「そうか。現世では私は、そういうことにすら気づいていなかった。適度に塩が振ってある程度にしか思っていなかったよ」
「親父には食事中でさえ、料理の味以外のことを色々と考える必要があったからだろう。食い物の栄養のことだってそうだ」
「確かに、栄養のことはいつも考えていたな。どうすれば、農作物が不作の年でも領民が飢えて痩せ細らないかと、食いながら毎回悩んでもいた」
「そうだろう。俺は大名の家に生まれたおかげで、飢えることがないのが良かったってくらいのことしか考えていなかった。
俺や氏直(氏政の長男)は、苦労知らずのボンボンだからな。俺にとっては、食事は出てくるのが当たり前だったんだ。だから贅沢にも、味のことまで気にしていたんだよ」
「なるほどな。確かに親の私から見ても、お前はボンボン体質だった。だがそれを自覚していたとは、思っていなかったぞ。お前にはもっと苦労をさせて、厳しく育てれば良かったのだな」
「そうできなかったのは、兄貴のことがあったからだろう?」
「やはり、お前にも伝わってしまっていたのだな。確かに氏親に家督を継がせる気だったから、お前やその弟たちよりも、氏親の教育に私は力を入れていたよ。だがあいつは、早くに死んでしまった」
「兄貴は、俺と一歳しか違わないのに、すげえ厳しくされていた。俺は、長男じゃなくて良かったなんて、呑気なことを考えていたよ。そんな俺を急に厳しく育てるなんて、とてもできなかったんだろう?」
「すまなかったな」
「親父が謝ることじゃないよ。俺も、自分が親になったから言えることなんだ」
「そうだな。当たり前だが、子もいつか親になる。厳しくしようが甘やかそうが、子は勝手に自分の人生を歩む」
「そうだ。俺の人生は、他人に誇れたもんではなかったけどな」
「お前がそう思っているだけだ」
「そうかな」
「しかし、お前のあの味噌汁のかけ方は、直接 言えば良かったのだ。それをどう捉えるのかも、お前次第だったしな」
「ああ、あれは直接 言ってもらったほうが良かったかもな」
「ずっと気づいていたのに、お前は次男だからという思いで、見過ごしてきたのだ。それを氏親が死んだ途端に言い出すことはできなかたのだ」
「幻庵に言われてから何年も経ってやっと、そうだったんだろうって気づいたよ」
「そうか」
「親父は、周りが思うよりずっと、繊細な性格だったんだよな」
「か細くて気弱だった」
「本当はそうなのかも知れない。でも、そういうところも長所にしてしまえるから、親父は名君といわれた」
「よく分かったな。他人の評価なんて曖昧なんだ。だから、良い意味で騙すための演出力も、重要な資質なのだと思う。だが、それをお前に教えることはできなかった」
「仕方ないだろう」
「…そうだろうか」
「だって親父は、それを、親から教わったのか?」
「いや、親から教わったことではないな」
「そうだろう。子がどう育つかには当然、親の影響が大きい。でも、誰の子として生まれようが、いつか人は自分で生き方を決めるものなんだ」
「…そうだな」
「親父が言いたかったことに、自分で気づけなかった俺はやはり…」
「やはり、なんだ?」
「やはり、北条家を守れる器ではなかった」
「そうかも知れないし、そうではないかも知れない。しかし、私でも秀吉を相手に北条家を守れたかは分からない。だから自分を責めるな」
「すまん」
「だから、謝ることではないと言っているだろう」
「そうだな」
「話を戻すが、私は食事とは栄養を摂るためのもので、時間はかけないほうが良いと考えていた。だが お前はそうではなかった」
「俺は、栄養も大事だが、食事は愉しむものだと考えていた。だから時間は気にしていなかった。戦の時は違うけどな」
「やはりな。今 思えば、お前の考え方は必要なものだったのだ。現世でしっかり話し合っておくべきだった。北条を滅ぼしたのは、私の責任でもあるな」
「親父の責任…それは、どういうことだ?」
【第三話 北条家の誇り】に続く




