それぞれの天下〈織田信長と徳川家康 第五話〉
【地獄安土城にて 織田信長と徳川家康】
「それ、聞かれると思ったよ。でも実は、大した理由はないんだよね」
「大した理由もなく、戦えば負けると分かっていたのに、臣従は拒否したってことか」
「そうだね」
「じゃあ、俺が本能寺で死ななかったら、お前は後世に、大馬鹿として名を遺したかもな」
「なんで織田信長に、素直に臣従しなかったんだって言われるんだろうね。まあ 途中からは、従っていたようなもんだったけどね」
「表面的にはな。本心からではなかっただろう?」
「あんたも、それを分かっていたよな」
「根拠はないが、お前だけは絶対に、俺に完全に臣従しないと分かっていた。戦力の差も明白だった。
だが、俺はお前と戦うのを、躊躇したかも知れない。勝つとしても、苦しい戦いを強いられただろうからな。そんなふうに感じさせたのは、お前だけだった」
「俺は、戦うのを躊躇するやつばかりだった。中でも あんたとは、一番戦いたくなかった。そんなこと、考えただけでも背筋が凍ったよ」
「つまり、長く同盟していたうえ、互いに戦いたくなかったのに、俺が死ななければ、戦いは避けられなかったわけだな」
「そうなった理由を聞きたいんだよな?」
「そうだ」
「俺が、あんたに心から臣従する気になれなかったのは、あんたの〈天下布武〉ってやつのせいだ」
「俺が使っていた朱印だな。あれが気に入らなかったのか?」
「強いて言えば、そうだね。ほら、大した理由じゃなかったでしょ」
「もう少し、詳しく説明しろ。天下に武を布くなんて、あの時代なら当たり前のことだ。あれの、どこが気に入らなかったんだ?」
「ああ、俺も当たり前だと思うよ。形骸化した官位やら官職やらは、何の役にも立たなかった。金とコネがあれば、官位なんて簡単に買えたしね。
むしろ、武力が全てに優先すると割り切って考えたほうが、よっぽど良い。
あんたは、愚かな将軍を追放することで、そのことを国中に示した。あれは、とても分かり易い意志表示だった」
「分かり易いというのは、非常に重要なことなんだよ」
「そうだよ。あんたのやることは、勉強になることばかりだった」
「神君のお褒めの言葉、感に堪えないが…」
「そうなんだ。〈布武〉には、何の反論もないよ。それに、あんたが使っていた布武という言葉は、武力で征服するという意味じゃなかった」
「武力とは、世の秩序を保つために必要なだけだ。そして秩序を保てば、経済が加速する」
「まったく、考えれば考えるほど、織田信長という人は強くて優しくて頭が良いよ。天下布武という理念にも、それが表れている。
でも俺には、あんたが見ていた〈天下〉が、ちょっと物足りなかった。ただ、それだけだよ」
「そうか。では、お前が見ていた天下とは何だ?」
「俺が思う天下は、日本人が生活を営んでいる、すべての土地だ。具体的には、東北から九州までだ。蝦夷の一部も含まれる」
「なるほど。それで俺が見ていた天下が、お前には、取るに足らんもんだったのか」
「ちょっと物足りなかったって言ったんだ。本当に、ちょっとだよ」
「俺にとっては、山城・大和・河内・和泉・摂津の五畿内が天下だった。だから天下布武とは、畿内に武力と経済で、安定した秩序をもたらすという意志表示だ。
だが、畿内だけ平和で栄えていれば、他は知らんという意味ではないぞ」
「分かっている。あんたが天下布武の朱印を使い始めたのは、岐阜に本拠地を移した頃からだ。
その後 建立した安土城だって、近江だった。畿内にも あんたの直轄領はあったが、本拠地を京に置こうとはしなかった。
それどころか、足利義昭のために二条御所を修復までしてやった」
「まだ、話がよく分からんな。俺はまず、畿内の秩序と、将軍の権威を回復させるところから始めようとした。だが、さっきも言ったように、その他の地域はどうでも良いと思っていたわけではない。
お前も言ったが、俺の本拠地は近江や美濃だったし、畿内の秩序を守るためには、隣接する地域にだって、武力による安定をもたらす必要がある。つまり中国や四国、あと美濃に隣接する東海・甲信越もそうだ。
足利義昭が、俺の予想以上に愚かだったせいで、御所から追い出さざるを得なかったのは、誤算だったがな」
「あんたは、幕府も朝廷も保護していた。天下布武というのは、そういう意志の表れだよな。
まあ その後の将軍との対立や、保身しか考えない廷臣らの影響もあって、自分が、なりたくもない王になって、この国を根本から改革するしかないと、考えるようになったんだろうけどね」
「そうだ。ままならんことが多かった」
「そういうのもあったから、俺は朝廷がある京から、なるべく遠いところに政権を置きたかったんだ。
でも、あんたが考える天下は畿内だった。そこから初めて、隣接する土地にも布武を進める計画だったのも分かる。
ただ俺には、京に、権威も権力も、武力も経済力も、さらには文化も人も集中するという国の姿が、どうしても悍ましく感じられたんだ。
そして、織田信長ほどの男が見ている天下が、既存の範疇に収まっているのが、ちょっと物足りなくも思えた。
言葉で表現するのは、とても難しかったけど、上手く伝わっているかな」
「十分 伝わっている。お前は大した理由はないとか言ったが、それは、俺には重大な理由だと思えるぞ。お前が俺に従っていたら、畿内が天下だと、認めることにもなっていたんだ。
その後、俺が光秀に殺されたのは、結果論だからな」
「だから、上手く言えないのが、自分でも歯痒いんだ。悍ましいけど、それが間違いだと言える明確な根拠もない。
だから、あんたに完全に臣従してしまい、天下布武に全面協力したほうが良いのかと、何度も悩んだんだよ。田舎者の俺の、京に対する憧憬と嫌悪でしか なかったのかも知れないしね」
「分かった。とにかく結果的には、京から遠く離れた江戸に、お前が幕府を作った。
だから天下は、畿内だけではなく、日本中を指す言葉に変わりつつある。俺が目指した天下と、お前が作った〈新しい天下〉、どちらが良かったのかは、もう分からないがな。
しかし、あの天下布武が、そういう結果に繋がるなんて、考えもしなかった」
「だから、大した理由じゃないって言ったんだよ」
「あの朱印のせいなら、確かに大した理由じゃなかったかもな。だが、お前が見ていた天下が、俺のより何倍もでかかったとは、恐れ入った」
「ああそう。もっと反論されるかと思っていたよ」
「幕府を江戸に置いたのに、自分は駿府で、重臣らも江戸から遠ざけた意味が、分かった気がする」
「ああ、あれはただ、近くにいると鬱陶しいからだよ」
「あっそ。ところで…話が随分と長くなったな」
「そうだね。あんたとの会話は面白いけど、気が抜けなくて疲れたよ」
「俺もだ。立合いみたいだな」
「ここらで一度、帰らせてもらうことにするよ」
「ああそうか。だが、せっかく安土まで来たんだから、ついでに堺でも見物して行けよ。案内も付けてやるからよ」
「お気遣いは嬉しいが、お断りするよ」
「遠慮するなよ。もし何かあっても、伊賀の山道には、詳しいんだろう?」
「おかげさまでね。
だが……あんなの、もう懲り懲りだよ」
信長や家康は、今後の色々な作品に登場します。誰と対話するのか楽しみにお待ちください。




