信長が死ななかったら?〈織田信長と徳川家康 第三話〉
【地獄安土城にて 織田信長と徳川家康】
「あのとき、あんたが死ななかったら…か」
「興味はないか?」
「大いにある。おそらく、俺の天下取りはなかった…という結論だろうけどね」
「初めに、はっきり言っておこうか。俺が死ななかったら、お前の天下なんてなかった」
「それでも、面白そうな話だ」
「よし、だが その話をするには、前提条件を決める必要があるな」
「例えば?」
「まず俺が、光秀に襲撃されたのかどうかだな」
「そうか。襲撃はされていたとしても、あんたは事前に察知したなんかで、難を逃れた可能性もあるね。
でも、俺とあんたの関係に話を絞りたいから、起こったことは出来る限り、そのままが良いんじゃないかな」
「じゃあ、光秀は本能寺を襲撃したが、俺は超人的な洞察力で見破り、事前に脱出していたことにしよう」
「本当は、超人的な鈍感力で眠りこけていて…」
「うるさい。で、妙覚寺にいた信忠は自害したが、翌日には俺が安土の軍を率いて京に戻り、光秀を捕らえて打ち首にした」
「明智光秀生存説は、なしってことだね」
「そうだ。それから、俺が無事だったという報せは、すぐに各軍団長に届いたから、北陸・中国の戦線は維持され、四国への出兵も、間もなく開始される。甲斐と信濃も、俺の統治下のままだ」
「あのさあ……。一つ、言っても良い?」
「なんだ」
「既に、絶望的じゃないか」
「知らねえよ。起こったことは出来る限り、そのままが良いとか言ったのはお前だ」
「記憶にございません」
「あとは、お前の状況確認だけだぞ」
「ああ そうだね。明智殿は、あんたに命じられて、堺で俺を暗殺する任務に就いていた。だが その裏で、その任務を逆手に取って、あんたを討つ計画を立てていた」*諸説あります
「光秀にお前の暗殺を命じたのは、失策だったと思っているが…。まあ それで良い」
「俺じゃなく、あんたを討つつもりだった明智殿は、堺で俺を襲撃せず、その代わりに協力を求めてきた。俺は明智殿の計画に乗り、本能寺襲撃の前夜、堺から三河への帰途に付いていた。
だから俺は、あんたに消されそうになっていたことを認識し、あんたも、そのことを知っている」
「つまり事実上、同盟は消滅したわけだな」
「そうなるね。でも表面的には、明智殿の謀叛が失敗しただけで、俺とあんたの間には、何もなかったことになっている」
「よし、前提条件は決まったな」
「それは良いけど…」
「良いけど、なんだ」
「前提条件を確認したら、ますます絶望的になった」
「話が始まる前に投了はできんぞ」
「ああ そう。だが軍事的にも政事的にも経済的にも、あんたに付け入る隙がまったくない」
「そうは言っても、お前が一手目を指さないと始まらん」
「俺は、たった一枚の切り札を、どこでどう使うかだな。いきなり使うか、いや…」
「お前は、政事でも軍事でもない切り札に、やっぱり気づいているんだな」
「当然だよ。それがなければ、手も足も出ないよ。
たったひとつ……精神的にだけは、俺が優位なんだ。あんたは、俺を殺そうとして失敗したからね。それが切り札だよ」
「やっぱり、それに気づかないはずがないよな」
「この精神的優位っていうのが、実はあんたには効き目がある。
俺は安土城に、甲州征伐の戦勝祝いと、駿河拝領の返礼のために行ったんだ。あんたも、その名目で迎えてくれただろう」
「そうだ。内心は鬱陶しかったが、普通にもてなして帰すつもりだった。
しかし お前の滞在中に、タイミングが良いのか悪いのか知らんが、毛利の本隊と戦う絶好のチャンスが訪れた。だから俺はすぐ、自ら備中に出兵することを決めた」
「そのとき、つい魔が差したんじゃないの?」
「そうとしか言いようがないな。備中に行く前に、お前と あの汗臭い軍団を殲滅してしまえば、膨大な時間と手間が省ける。
一度 上手い考えだと思うと、どうしても、それに囚われてしまうもんなんだな。ロクに深読みもしないまま、光秀にあれを命じてしまった」
「珍しく、ハイリスク・ハイリターンなことをやったよね。あんたが あのとき何もしなくても、俺は さっきの前提条件通りの、絶望的な局面で為す術がなかったのにさ」
「本当に、ハイリスクだった。失敗の代償が、俺の命だったからな。
仮に俺が死ななかったとしても、謀叛の引鉄になり、さらにお前を騙し討ちしようとしたせいで、弱みを握られることにもなった」
「どんなに心の中で警戒し合っていても、俺とあんたはまだ、同盟していたんだからね。
織田信長ともあろう者が、徳川家康ごときを接待するふりをしつつ、暗殺を目論んでいただなんて、絶対に表沙汰にしたくなかっただろう?織田信長の天下に汚点を遺すからね」
「その通りだ。だから俺は、軍事・政事・経済すべてで圧倒的優位なのに、お前の一手目を待つしかできない」
「俺もそれを知っているから、あんたへの精神的優位を保ちながら、切り札の使い方をじっくり考えられる」
「ということは、情勢は すぐには動かないな。だが お前の精神的優位は、永久ではないし、俺にとって致命傷にまではならない」
「…ええと、どうしたら良い?」
「知るか。だが、地味な展開だな」
「結局ジリ貧か。じゃあ前言を撤回する。
じっくり考えていてはダメだ。全部ぶちまけて、同盟の破棄を宣言する。あんたの非道を国中に喧伝し、激怒して大騒ぎして見せる。俺と明智殿が手を組んだことは、伏せたままでね」
「それが俺にとっては、最もダメージが大きかっただろうな。事実に則しているから、反論にも大して説得力がない。
だが それでも、俺の面子が潰れるだけで、戦力差が縮まったわけではない。そこからの戦略はあるのか?」
「あんたが いかに強大だったとはいえ、明智殿を失い、毛利・上杉・長宗我部と戦いながら、簡単に俺を討てたかな。甲斐・信濃はまだ、あんたに心服してはいなかったしね」
「確かに簡単ではないが、大騒ぎしているお前の口を、最優先で塞ぐ必要がある。俺の本隊と、尾張・美濃の兵で三河に侵攻する。
同時に、北条氏政に命じ、東から駿河を攻めさせる。これでどうだ?」
「やっぱりね」
「何がだ?」
「忘れたのか。あんたが、外交向きじゃなかったってことを」
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