信長の外交手腕〈織田信長と徳川家康 第二話〉
【地獄安土城にて 織田信長と徳川家康】
「おう、家康」
「お久しぶり…だね」
「神君 自ら、遠くまでよく来てくれたな」
「大して遠くはなかったよ。それに地獄じゃ時間は無限だし、近いも遠いもないしね」
「そうだな。駿河からは、今川義元も ときどきフラッと現れる」
「ああ つい最近、俺のところにも来たよ」
「もう半世紀以上、こっちにいるからな。暇で暇で仕方がないんだろう。だが神君は、こっちでも忙しそうだな」
「おい、神君って言うの、やめてくれよ」
「嫌なのか?」
「あんたは、神なんて呼ばれたいの?」
「ああ…そんなの、ごめんだな。で、忙しい徳川家康が俺のところに来て、何の話だ?」
「まあ、そう急かさないでよ。別に俺は忙しくもないしね。
しかし、何の話…か。あんたとなら、話すことはいくらでもあると思っていたんだけね。こうして いざ会ってみると、何から話せば良いんだか、よく分からん。
ちなみに、あんたは暇なの?」
「見ての通り、大忙しだ」
「暇なんだね。じゃあ まずは、お気楽な話からということで、若い頃の思い出でも語ろうか」
「お前が、人質として今川家に送られるはずが、護送役が道に迷って、真反対の俺の家に来ちゃった話からか?」
「いくら暇だって言っても、そこまで若い頃の話からする?
俺はガキの頃、あんたにあったような記憶が、微かにあるだけだし。あんただって、俺のことなんかロクに覚えてないでしょ」
「まったく覚えてねえ。桶狭間の時だって、大高城に兵糧を運び入れた松平元康ってやつが、以前うちにいた人質のガキだったなんて、気づきもしなかった。色々と後で聞いて分かったけどな」
「じゃあ 俺のことをはっきり覚えているのは、あんたに同盟を申し込んだあたりから?」
「そうだ。三河の松平広忠の息子が岡崎城にいて、俺と手を組み、今川家から独立したがっているって聞いたときからだな。
あのとき俺は、お前と組むことを直感的に決めていた。だが同時に、松平元康っていうのは、随分とおかしな男だとも思っていた」
「おかしな男か。俺にも事情があったんだけどさ。でも確かに普通じゃあないね」
「お前の事情な。今川家は、太原雪斎と今川義元と、立て続けに有能な人間を失ったせいで、混乱した家中を束ねられるやつが、一人もいなかったんだろうな。
だから、西三河のお前が元の領地に留まり、今川家と手を切ろうとしたのも分かる。でも織田家と松平家だって、かなり険悪だったんだ。なのにお前は、普通に同盟なんか求めてきた」
「そうだね。生まれたばかりだった信康を、あんたに人質として預けることもできた。だけど、よそに従属するのは、もう懲り懲りだったからさ。かと言って、単独じゃとても生き残れなかった。
確かに織田家と松平家の因縁はあったけど、それは親同士の話だ。織田信長と俺には、何の因縁もない。おそらく あんたも、そう考えるような気がしたんだよ。だから、同盟は成立すると思っていた」
「お前はやっぱり賢いな。皮肉じゃねえぞ。
俺も親同士の因縁なんか、ちっとも気にしちゃいなかった。ただ、今川家に付いていたやつとの同盟に、グダグダと否定的なことを言うやつもいたから、すぐに返答はできなかったけどな」
「俺の家臣にも、あんたとの同盟を危ぶむやつがいたから、似たようなもんだね」
「馬鹿は、どこにでもいるからな。
同盟に最も重要なのは、過去のことじゃなくて、未来に向けて良い関係が築けるかどうかだ。もっと端的に言ってしまえば、利害が一致しているかだな」
「そうだね。利害はほぼ完璧に一致していた」
「相手の人間性なんてもんより、そのほうがよっぽど信用できる」
「でも、あれが二十年も続くとは、思っていなかったよ」
「そうだな。だが、あと何年続いていたかは、分からなかった……という話は、もう少し後にするか」
「メインは後のほうが盛り上がるよ」
「同盟したとき、俺とお前の利害は完全に一致していた。
今川家に、まともな戦略眼を持ったやつはいなかったから、まず、お前と今川家が、本格的に敵対するのは目に見えていた。そんな中でお前が、尾張にまで兵を出せるはずがない。
俺は、三河にお前がいれば、今川家からの防壁になり、美濃侵攻に集中できる。ごく簡単で単純なことだ」
「単純なのに、単純に見ようとしないやつがいるから困る。俺と今川家の亀裂は明白で、選択肢は織田家との同盟しかないのにね。
でも、言っちゃ悪いけど、織田信長の外交手腕にも、怪しいもんがあった」
「ああ 多分、俺は外交向きじゃなかったんだろうな。唯我独尊タイプだしな」
「そのタイプについては、作られたっていうか……江戸幕府が作ったイメージでもあるから、意見が分かれると思うけどね」
「そうだ。江戸幕府のイメージ操作のせいで、俺はイケイケオラオラ系になっちまったんだぞ。敵には容赦ないだけで、結構 気遣い上手なのによ」
「ごめんよ。でも国をまとめるためには、悪役がいたほうが都合が良いって、分かるでしょ?
だから、織田信長と織田信雄と、豊臣秀吉と豊臣秀頼と、石田三成と毛利輝元と今川氏真と…」
「そんなに悪役を作ったのに、徳川家康が不人気投票で常に上位なのは、なんでなんだよ」
「知らないよ。〈信長の野望〉と〈太閤立志伝〉はあるのに〈家康の天下泰平〉はない」
「お前がセコいからだ」
「ああ 多分そうだよ。で、ええと…何の話をしてたんだっけ?」
「俺の外交の腕前についてだ」
「そうだったね。よくも、あんなに裏切られたもんだよね」
「だから、向いていなかったんだよ。外交ではないが、若い頃は身内の裏切りも よくあったしな。
その後も、斯波義銀、浅井長政、三好義継、松永久秀、荒木村重、明智光秀…」
「荒木村重と明智光秀も外交ではないよね」
「とにかく、色々なやつに裏切られた」
「武田信玄とも同盟してなかった?」
「していたな。信忠(信長の長男)と信玄の娘を婚約させたし」
「その武田信玄にも裏切られ、信忠は後に、元婚約者の実家を滅ぼしたんだよな」
「武田信玄と険悪になったのは、間にお前がいたせいでもあるぞ」
「ああ そうでした」
「いずれにしても、酷い話だがな。でもお前も、秀吉の妹と結婚していたぞ。お前も嫁の実家を滅ぼしたじゃないか」
「その時はもう、秀吉の妹は死んでいたから良いんだよ」
「つまり、同盟や婚姻なんて、まるで当てにならんということだった」
「そうかもね。あとは、これも外交じゃないけど、足利義昭にも裏切られたよね?」
「我ながら凄いな。どうして、あんなに裏切られたのだ…」
「織田信長はおそらく、早すぎたんだよ。早すぎて、速すぎた。
だから、それに付いていけないやつや、付いていくのが不安だったやつが、裏切ったんじゃないかな。先に行き過ぎると、人は時として糾弾されるものなんだろう」
「ガリレオ=ガリレイの気持ちがよく分かるぞ」
「それにしても、あんたのおかげで将軍になったような、足利義昭にまで裏切られたのは、驚きだよ」
「俺が将軍を傀儡にしようとしたせいだ、という意見もあるな」
「兄の足利義輝が、あっさり家臣に殺されたばかりだったんだ。将軍だっていうだけで実権を握れるような、甘い時代じゃなかった。
官職より実力が優先だったんだよ。だから実力のない足利義昭は、将軍位だけでも満足するべきだったんだ。それがたとえ傀儡でもね。
いや むしろ、足利義昭を擁立していたあんたが実力を伸ばせば、勝手に将軍の権威も上がるんだ。だから何もしなけりゃ良いのに、将軍位に就いて たったの数年で、あんたを排除しようとするなんて、頭の構造を疑いたくなったよ」
「所詮 あの男は、将軍の器じゃなかったんだ。身の程を弁えて、じっとしていることすらできなかった。
室町幕府の15代将軍と、江戸幕府の15代将軍を比べると……ああ これ以上 言ってはいかんかな」
「俺もときどき口が滑りそうになるよ。
まあ そういう器だったから、足利義昭もあんたに付いていくのが不安だったんだろうね」
「だが、こんな裏切られ人生の俺と、二十年も同盟し続けた変人もいたよな」
「ああ そいつはただの天才だ」
「仲良しだったから、続いたわけじゃねえがな」
「それは分かってるよ。俺はあんたが大嫌いだった。感謝も信用もしていたけどね」
「俺も同じだ。だが、絶対的な信頼とまではいかなかった。信用と信頼は違うからな」
「そうだね。それに、利害も一致しなくなりかけていた」
「共通の敵だった武田を滅ぼしたからな。互いに同盟を破棄するタイミングを測っていたが、その前に俺が死んでしまった。
だから結果的に、同盟は続いたままになっただけなんだ」
「その通りだよ」
「じゃあ…。もしもあの時、俺が死ななかったら、どうなっていたのかな」
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