014 餌付けの意味
「ねえねえ、聞いた?月の巫女様が、太陽の神官レアンドロ様の餌付けを受け入れたそうよ」
月の神殿の女官達が噂する。
「信じられない。それってーー」
月の神官ルシオの姿が見えると、女官達は解散。
静かな空気が神殿を包む。
早朝の神殿は空気が澄んでいて、ルシオは好きだ。
月の神官は天体観測が主な仕事であるため、夜勤が多い。
「月の巫女様は大丈夫なのですか?」
朝方、月の神殿にルシオを迎えに来たエリアス神官見習いが、師を見上げてそっと耳打ちする。
「ああ。醜聞は広まるだろうが、月の巫女の解任は免れた。太陽の神官レアンドロをルナに近づけないように」
「承りました」
ルシオは白い布を足で捌きながら、月のピラミッドを降りる。
小柄な体のエリアスは、よいしょと階段を一段ずつ降りる。
「くれぐれも、ルナからレアンドロに餌付け返しをしないように注意してくれ」
「はい」
「接触しないように、ルナの周囲を護ること」
「宮殿内に周知し、警備を強化します」
* * *
月の神官は月を司り、天文学を研究する。
農耕に依存する都市のため、豊穣を祈る祭事が重要だ。種々の祭事を決めるための高度な数学と天文学の知識を操る。
多民族から成る都市のためか、階級での区別はあるが差別はほとんどない。
神官を頂点に、戦士、商人、職人、農民の順に階級がある。役割を分担している意味合いが強い。
神官には、農民からの報告が直接くることもある。水路が壊れたという土木的なものから、雨が例年よりも遅いという気象に至るまで、幅広い内容の報告が神殿に集まる。
月のピラミッドの階段から月の広場に降りると、顔馴染みの商人が月の神官ルシオに気さくに話しかけてきた。
「月の巫女さんはお元気かい?今度、月の巫女の館に、衣や装飾品を届けてもいいですかな?」
「いや、いらない」
「なら、珍しい異国の果物はどうですかい」
「不要」
「そうですか・・・・・・つれないねえ」
太陽の巫女が派手で浪費家のため、巫女はいい商売相手だと思われている。
「抹茶、宇治金時、白玉が欲しい。もどきでも良いが」
「なんだいそれ?聞いたことがない。・・・・・・食べ物かい?」
「無いならいい。ただ、できたら探しておいて欲しい。今度、特徴や材料を知らせるから宮殿に来て欲しい」
ルシオは商人と話し終わると、月の宮殿に足早に帰った。
太陽のピラミッドよりも月のピラミッドは小さいが、大きな祭事は月の神殿が主催する事が多い。
そのため、月のピラミッド前には、太陽の広場よりも広い月の広場がある。ここに祭事時には民が集う。
月の広場には、雨の神の巨大な像が立つ。
祭事には巫女が必要である。
豊穣を祈る際、月の巫女は、祭事前に月の神官から食を与えられる。
これを餌付けと呼び、お清め的な儀礼である。
餌付けにはもう一つの意味がある。
結婚式で新郎新婦が互いに食を与え合う餌付け。
太陽の神官レアンドロが月の巫女ルナにした餌付け行為は、求婚をすっ飛ばし、一方的に婚姻を結ぼうとしたことになる。
(起きたことは仕方がない)
寝室のベッドに横になりながら、月の神官ルシオは軽く息を吐く。
(めんどくさい。厄介ごとが一つ増えた)
危機一髪のところでルナを連れ帰ったので、良しとしたい。
太陽の神官レアンドロの宮殿から帰宅した日、ついルナに怒鳴ってしまった。
冷静沈着を保てなかった自分を悔やむルシオであった。
夜勤明けの月の神官ルシオは、うとうとと深い眠りに落ちた。




