もう誰も何も托卵でない
がちゃん。扉を開ける。そこには筆舌に尽くしがたいほどの惨状が――
「あら! 来たのね、来たのね!」
――広がっていなかった。
会議場の内装はロヴィーナが見知っている光景そのままだ。中央に一本の道を通し、左側に保守派、右側に革新派の席が並ぶ。普段はそうして顔を突き合わせる形で会議が行われている。
しかし今、その会議場は静寂に包まれている。誰ひとりとしていない。中央に、丸く愛らしい巨大な駒鳥神が鎮座しているだけだ。
大惨事が広がっているかとのロヴィーナの予想に反し、会議場は荒れ果ててはおらず、綺麗なままだ。ペン立てひとつ倒れてはいない。
ただ無人。不気味なほど無人だ。これまでの道中のように、ここにいたはずの人間たちを隣の控室に引き込み、そこで惨劇を繰り広げているというわけでもない。物音一つしない。ぶち破ったのだろう天井の瓦礫や窓のガラスが散乱しているくらいで、そこを除けば何もない。
だからこそ恐怖が湧き上がる。本能的に理解してしまう。
ここにいたはずの貴族たち、ディアデム卿をはじめとした議会員たち。彼らは逃亡したわけではない。『喰われた』のだ。この神に。
どうやってかはわからない。だが被捕食者の生存本能が結論だけを叩きつける。ここにいた人間たちは捕食者に喰われたのだ。その生の痕跡を欠片も残さず、丸ごとさらうようにして腹の中に飲み込まれたのだ。
「ふふっ。みんなたべちゃった! ごちそうさま!」
けぷっ。駒鳥神が可愛らしく息を吐いたことで、その確信は確定的になる。喰ったのだ。血一滴も漏らさず、全部、丸ごと。
駒鳥神はその気になれば、こうして痕跡一つ残さず複数の人間を殺してしまえるのだ。神と人間の圧倒的な差を前にして、ひくりとロヴィーナの喉が鳴る。
「忌々しいカッコウも、みんな! みんなたべちゃった! ふふっ、よかったわね、もうこれで安心よ、ロヴィーナ!」
忌々しいカッコウも、神をないがしろにする不敬な連中も。都合が悪いものは全部喰らった。
もうこれで安心だ。駒鳥姫に危害を加えようと考える人間は皆もう腹の中だ。つまり、ロヴィーナはもう殺されることはない。命を狙われる心配から解放され、のびのびと暮らせるのだ。死と蘇生は12回で終わり、13回目はない。
「『こまどり飲み込むわるいひと』なんてもういないのよ! ねぇどうしたの? 嬉しいでしょう?」
こまどり、こまどり。誰が殺した。そんなフレーズで始まるわらべうたの話だ。
こまどり飲み込むわるいひと、次は何を企んだと締められるその歌にもう続きは綴られない。歌自体もそのうち廃れていくだろう。
得意げに語る駒鳥神は大きく丸い腹を揺らす。愛らしい羽毛が揺れる。冬毛でもないのに大きく膨らんでいる腹はそれだけ喰った証拠。
「最初からこうすればよかったの! ね、やっぱり、そうだったんだわ! そうなんだわ!」
巣を整えるのは親鳥の役目。それを雛鳥に任せていたからこうなったのだ。
最初からこうすればよかった。外敵がいるとわかった時点で牙を剥けばよかった。不敬な連中に罰を与えればよかった。そうせず、人間社会の尺度に合わせていたからこんな風になってしまったのだ。
巣を捨てる判断をさせたのも、飛び立つ前にすべて更地にしてしまおうと決めさせたのも、ぜんぶ人間のせい。人間がそんな愚かになったのは親鳥である自分のせい。うん、だからこうしてすべて更地にすることは責任を取っていることと同義だ。
人間はよく言う。行動に責任を持てと。だから『責任を取った』。うん、人間の尺度に合わせて考えても、何も間違ってはいない。
「何を言って……」
何を。何を言っているのだ。愕然とロヴィーナは呟く。ここまで思考が隔たっているのか。
駒鳥神の言うことがわからない。言葉としては理解できる。だがわからない、わかりたくもない。わかってはいけない。
ここからどうすればいいのか。自分は駒鳥姫としてどうすれば。ここから立て直すなんてできるだろうか。
いや、状況としてはまだフリューゲル卿の屋敷と会議場の貴族たちが消えただけ。国としての体裁はまだ壊れてはいない。議員など新たに招集すればいいし、この顛末は神による粛清として恐怖をもって語り継がれるだけになるだろう。
だからここから立て直して、と高速で巡る思考に理性が否を叩きつける。そうやって考えるのはもはや現実逃避だ。駒鳥神の言葉を理解したくないからと無視して目の前の現実を見ていない。事態はもはやそんなことでは立て直せない。
神は人間を見捨てたのだ。だからすべて手放そうとしている。脆弱な雛鳥は親鳥の判断に逆らうことなどできないのだと。




