格好の得物
「うぅ…………ごめんなさいぃ……」
ひえっと涙声になりつつ、彼女は肩を落とす。早朝、泣いて逃げ戻ったせいで石鹸を取り忘れてメイド長に叱責を食らったせいで、薪をまとめる前に今すぐ立ち去ることはできない。どんなに針の筵の気分でも薪を3束まとめ終えるまではここから離れられない。
なんとかして怒りを解こうと、彼女は必死に言葉を続ける。
「で、でも、それだけ怒るんですもん。ラディウスさんってお兄さん思いなんですね」
この話を聞くものがいるなら、こいつは迂闊に地雷原に突っ込んでいったぞと思うだろう。当人であるラディウス自身そう思う。そこから一歩先、言葉を間違えたらこの研ぎたての斧が振り下ろされるぞ、と。
無礼な噂話をこちらに聞かせた軽率さは見逃せても、兄のことに言及する不用意さは見逃せない。必死にフォローしようと掘り下げた言葉は、そのまま自身の墓穴になることもあるのだ。
穏便に続くか剣呑に終わるかは次の言葉次第。言葉によっては、と斧に砥石を滑らせる。
「やっぱり、お兄さんをあんな運命に落とした世界が憎いですよね……」
大地雷に踏み込んだ。この会話を聞く観客がいたら頭を抱えていただろう。修羅場が見たくてポップコーンを抱えていた野次馬だって、おいそれはさすがに、と冷静に止めにかかるだろう。
ラディウスが斧を振り下ろさなかったのは動けなかったからだ。人間、怒りが沸点を大きく飛び越えると気が遠くなるようだ。そんなこと知りたくなかったことだが。
瞬間沸騰した怒りが表出しないようどうにか鉄面皮の下に抑え込みつつ、ラディウスはあえてゆっくりとした動きで首を振る。緩慢な動作で動くことを心がけなければ感情のままに素早く手をひらめかせていただろう。ゆっくりとした動きは自制心が全力稼働していることのあらわれ。
「…………そう思わない」
静かに、それだけを絞り出す。
カッコウのことを彼女は知らない。真相から遠いから的外れなことを言うのも仕方ない。ただ噂話を迂闊に口にしているだけ。理性でぎりぎり踏みとどまりつつ、彼女が3束の薪をまとめ終わってくれと願う。早く薪をまとめて立ち去ってくれ。でなければ本当にこの斧を振り下ろしかねない。
「そうですか? でも、どうしてって思う気持ちはあるんじゃないですか?」
「………………」
地雷原を無防備に直進するな。もうやめてくれとさえ思う。そんなラディウスの願いが通じたのか、呑気な声が割り込んでくる。
「あら? またラディウスがいじめてるの?」
「ロヴィーナ様」
いじめられているのはむしろこちらだと言いたい。
ともかくよかった。ロヴィーナがやってきたことで話は流れただろう。ここでさらに踏み込むほど彼女だって馬鹿じゃないだろう。ロヴィーナが来たことをいいことに話題を転換するはず。
ある種ほっとするラディウスをよそに、ロヴィーナは彼女と言葉を交わす。何話してたの、他愛もない話ですよと流している。
「ところでロヴィーナ様、レース編みはどうしたんですか? 刺繍職人さんに教えてもらいながらやってたんじゃ?」
「休憩してこいって言われてね」
成程。あまりに『独特』な編みっぷりに横で指導していた職人が白旗をあげたと。つまり体よく追い出されたと。
やはり仕立て屋として生計を立てるのは難しそうだ。その冗談をラディウスがまた口にしようとした時、ぱたぱたと軽快な羽ばたきが聞こえてきた。
「あぁいた! いたわ! ねぇ聞いて! 聞いてったら!」
ぴぃぴぃと鳴きながらロヴィーナの肩にとまったのは駒鳥神だ。また散歩の折に革新派の貴族にぞんざいな態度を取られ、立腹中らしい。
そのことについての愚痴が始まる――とロヴィーナもラディウスもそう思った。
しかし駒鳥神はその場でぴぃと跳ねた。失礼な態度を取られた怒りなんて吹き飛んだかのように驚いた様子で。愛らしい丸い目が眼窩からこぼれ落ちそうなほど目を見開いて。
「こいつ、わたしのにおいがしない!!」
駒鳥神はこの神域を作り上げた。大地に息を吹き込み、空気を循環させて水を浄化して。親鳥が巣の手入れをするように丁寧に営んできた。
そんな神域で暮らしていれば、思想が何であろうと必ず駒鳥神の力を受ける。雛鳥が親鳥のにおいを帯びるように。
それなのに、この行儀見習いのメイドからはそのにおいがしない。自身の力の残滓を感じない。
異質。外来種。巣の外から来たもの。そんなものがなぜ、何のために。決まっている。
「こいつよ! こいつがカッコウよ!」




