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第十一話(187) ジジへの指令

「ジジ!」


 ミクロスに名前を呼ばれても、見えている世界が現実か、それとも夢なのか、はっきりとは区別がつかなかった。冷たくなったドラコの手を握っても、次の瞬間には夢から覚めてくれるような、そんな気がするからだ。


「ジジ、引き揚げるぞ」

「ドラコの遺体をここに置き去りにするというの?」

「仕方ねぇだろ。ユリスとデモンの間で話し合いが済んじまったんだから」

「どうして殺したかもしれない男にドラコを預けられるの?」

「荘園地ってのはそういう場所なんだよ。だからユリスを責めてやるな」


 結局、ユリス・デルフィアスはカイドルの国王になったというのに、フェニックス家所縁のマエレオス領では、死体の一つも運び出す力もないということだ。その無力さを痛感しているのは、誰よりもユリス本人かもしれない。


 デモン・マエレオスがアネルエ王妃陛下を誘拐した証拠はなく、ドラコを殺した犯人である確証も得られなかったため、未解決のまま、喪失感だけを抱えてオーヒン国内にある領事館へと引き揚げた。



 翌日、誘拐事件の捜査本部が置かれている会議室に小隊長以上の兵士が集められて、捜査会議が開かれたけど、捜査への割り振りだけ発表されて終わった。当面の方針としては、誘拐事件に関わったとされる絨毯を運んだ運搬業者をしらみ潰しに当たるというものだ。


「ジジ、話がある」


 会議室を出ようとしたところでユリスに呼び止められた。


「ミクロスも聞いてほしい」


 ということで、所定の席に座り直すことにした。


「ジジを今日付でカグマン国へ転属させることにする」

「ええっ?」


 ミクロスが本人である僕よりも驚いた。


「クビにするんですか?」

「いや、そうではない」


 ユリスが疲れ切った顔で続ける。


「デモン・マエレオスが明日にはハクタへ向けてオーヒンを発つというので、それにジジを同行させようと思うんだ。転属させた兵士を一緒に連れて行くように命じれば断られることもないだろう。あの男が約束通りにドラコの遺体を故郷の地に埋葬するか、君が最後まで見届けるんだ。それをドラコも望んでいるだろうからね」


 死者の気持ちまでも汲もうとするのが、ユリスの優しさだ。


「これには別の狙いもあって、ジジは前にオフィウ・フェニックスから引き抜きの話を持ち掛けられたことがあっただろう? その時は断ったけど、もしハクタに寄った際に、もう一度持ち掛けられるようなことがあれば、今度は承諾してほしいんだ。そうすることでハクタの内情を探ることができるからね。どうだろう? やってくれるか?」


「そいつはいい」


 またしても僕よりも先にミクロスが答えた。


「やりますよ。いや、やらせます。なぁ、ジジ、やるよな?」


 僕の人生はドラコが決めていたけど、これからはミクロスに決められるようだ。


「陛下のお望みならば、御意に従うまでにございます」


 その答えを聞いて喜ぶどころか、ユリスは不安げな表情を浮かべた。


「ジジ、命令だからといって、無理をしてはいけないよ? これまでと違って、ハクタに行けば周りは敵だらけになるんだ。そこで嗅ぎ回っていることが知れれば、君の知らないハクタの新しい法律で罰せられるのだからね。カグマン国には力になってくれるフィンスがいるのだから、無理に私と接触を図ろうとすることはないんだ。そのための転属なんだからね」


「大丈夫です」


 またミクロスだ。


「そういうのはドラコ隊が最も得意にしていることですからね。クモの巣のような情報網があって、それが見えないとくれば、何も心配いりませんよ」


 ドラコ隊は百以上の暗号を記憶できる人しか所属できない組織だ。


「そうか、ミクロスがそう言うなら安心だ。ただし、ハクタへ行くまでにも危険があることを知っておいてほしい。デモン・マエレオスからしたら、君の帯同には何か裏があると思っているだろうからね。目障りな存在だと思えば、事故に見せ掛けて殺されることだって考えられるんだ。第三者の目撃者がいなければ、こちらとしても事故の報告をそのまま受け取ることしかできないんだ」


 やっぱりユリスはデモンが誘拐事件の黒幕だと考えているのかもしれない。


「オレなら逆にデモンの野郎を途中でぶっ殺しちゃいますけどね」


 だから僕が選ばれたわけか。


「書状作りに時間が掛かるので出発は明日になる。それまでに旅の支度をしておくように」


 僕はいつ命令を受けてもいいように準備しているので、その必要はなかった。



 時間があったのでアキラのいるリング領に行くことにした。カグマン王国の所属になると、仮に兵役が終わっても自由に他国領を行き来できなくなるので、今日を最後に二度と会えなくなるかもしれないと思ったからだ。


 リング邸に到着すると門兵のハッチが悲し気な顔で出迎えた。こちらから説明せずとも、すでにドラコが死んだことを知っていたようである。昨日の今日で知り得ることができるのはリング領の人たちくらいだ。


 そこで簡単に経緯を説明して、それから邸の中に入れてもらった。しかしマザーは気分が優れないということで挨拶することは叶わなかった。夜中に訪問しても、お腹が空いていないか気に掛けてくれるほど親切な人が姿を見せないのだから、彼女もつらいのだ。


「ジジ」


 客室に現れたアキラも悲しみに暮れていた。


「アキラ」


 そう言うと、泣き腫らした顔で僕の胸に飛び込んでくるのだった。

 しばらく二人で悲しみごと抱き合った。


 しばらくしてから、アキラが口を開いた。


「ドラコが死んじゃったのはオラのせい?」

「そんなはずがないだろう?」


 そこでベッドの縁に並んで腰掛けることにした。


「でも、ドラコはオラのためにマクチ村の悪い奴をやっつけてくれて、それで恨みをかって殺されたんじゃないのか?」


 確かに見せしめ目的の拷問を受けたような殺され方だ。


「違う。無理なんだよ、ドラコを殺すなんて。報復しようと思っても殺せる相手じゃない」

「でも、殺されちゃったんだろう?」

「うん」

「だったら、殺した奴がどこかにいるってことだ」

「それでもアキラとは無関係だよ」


 マクチ村とか、そんなレベルの話ではない。


「たぶん、ドラコにとっても予想できなかった相手なんだ。剣を構えても問題ない相手だけど、斬るという判断ができなかった。邸の応接間で死んでいたから、会話ができる相手だったのは間違いない。いや、それだと全身火傷の説明がつかないか……。ともかく、知られてはいけないことをドラコに知られたから、それで殺したんだ。案外と近くにいる人物なのかもしれないけどね」


 それからアキラがドラコの話を聞きたいというので、話してあげることにした。といっても思い出すのは、当番で作ってくれた食事が不味いとか、髭を剃っただけで風邪を引いた話とか、道を間違えたのに認めようとしなかった話とか、そんなくだらない話ばかりだ。


 気がつくと、アキラと二人で涙を流していた。ミクロスにイタズラされて激怒した話を、笑いながら泣いて、泣きながら笑った。そうして分かったことがある。僕が生きている限り、ドラコ・キルギアスも生き続けると。



 夜になって、『また会える』と約束してからアキラと別れた。生きている限り、二度と会えないなんてことはないからだ。だったら相手を必要以上に悲しませる別れ方なんてしない方がいい。それに、なんとなくまた会えると思ったのだ。


「ジジ」


 門を出ようとした時、後ろから声を掛けられた。

 振り返ると、赤ちゃんを抱いたマザー・リングが見送りのために来てくれた。


「突然の訪問お許しください。お邪魔しました」

「断ることはありません。これからもいらしてくださいね」


 月下のマザーはとても美しかった。


「あなたがドラコの埋葬を行うと聞いたのですが、それは本当ですか?」

「はい。明日、ドラコと一緒に故郷へ帰ります」

「それでは」


 マザーがボロボロの布を差し出した。


「これを一緒に埋葬してあげてくれませんか?」

「いいですけど、これは?」

「この子の産着です」


 いい雰囲気だったのは知っていたけど、二人に子どもが授かっていたことまでは知らなかった。ドラコが話してくれなかった理由は、指名手配されるような事態を想定していたからなのかもしれない。


「あっ、そういえば」


 懐から銀のリングを取り出して見せてあげることにした。


「それでドラコはこの指輪を首からぶら下げていたわけですね」

「どうしてあなたがそれを?」

「遺体を運ぶ人に盗まれるといけないからって、ユリスが僕に預けてくれたんです」

「そうでしたか。それを聞いて安心しました」


 そう言うと、首飾りの先から銀の指輪を外して、指に嵌めるのだった。


「これでやっと夫婦になれました」


 指に嵌めることができなかったから、首にぶら下げていたわけだ。


「僕が責任を持ってドラコの指に指輪を嵌めてから埋葬しますので任せてください」

「お願いいたします」


 身分違いなので、ドラコが生きていたとしても一生結婚できなかっただろう。皮肉な話だけれど、死んだから正式に結婚できたわけだ。こんな世の中が、一体いつまで続くのだろうか? 僕には先の見えない未来のように感じられた。



 翌朝、会議室に籠っているユリスの元へ最後の挨拶をしに行った。用意された書状を渡されて、昨日受けた任務の確認をして、最後に立ち上がって、出会った時と同じように僕の身体を強く抱きしめるのだった。出会いと別れが一緒なのは、ユリスだけかもしれない。


「ジジ、何度も言わせてもらうけど、任務のために命を落とすようなことがあっても、命を落としてまで任務を遂行しようと思ってはいけないよ。この違いが分かるね? 君の覚悟の上での犠牲は、君が思う以上に損失を与えることがあるんだ。それは神様にしか分からないようなことだけど、ドラコが君やミクロスを生かそうとした意味を、ここで立ち止まって、じっくりと考えてみてほしい。私はね、まだ、ドラコの立てた計画は生きているんじゃないかと思うんだ。私たちが生きることで、ドラコの立てた本当の作戦、それを成功させることができるのかもしれない。だから、君は最後まで生き残るんだ」


 会議室を出た後、どうしても最後の言葉に引っ掛かりを覚えてしまった。『君は最後まで生き残るんだ』の『君は』の部分。まるで自分のことはどうでもいいような、そんな言い回しだ。いや、いやいや、気にしすぎだろう。



 ミクロスと別れの挨拶を交わす前に、ペガスに会いに行くことにした。彼はケンタスの幼なじみなので、僕にとっても友だちのようなものだ。さらに僕の年がはっきりしないため、年齢による上下関係も存在しなかった。


「何しているの?」


 部屋を訪れると、ペガスが机に向かって何かを書いていた。新兵で文字が書けるのは、下級貴族の子ども以外ではケンタスとぺガスの二人くらいなものだ。それ以上に紙と筆を手に入れる難しさもあった。


「ああ、ジジか、うん? いや、ケンに手紙を書いていたんだ、『帰ってこい』ってさ」

「ケンタスとは六週間以上前に別れたばかりでしょう?」

「うん。それでも国の一大事だからさ、ドラコの兄ちゃんも死んだわけだし」

「よく手紙を出すお金があったね?」

「ああ、お金はミクロスにもらったんだ」


 ミクロス・リプスという男は、昔から後輩にだけは気前がよかった。


「でも、無事に配達されるか分からないよ? ほら、お金だけ取って、手紙を海に捨てちゃう人がいるっていうじゃないか? 他にも雨でダメになるっていうし、ハハ島までだと半分どころか、十通に一通も渡らないっていう話だよ」


 それでもぺガスは文字を書く。


「だったら返事がくるまで書いてみるよ」


 それは本来ならば家族同然の僕がやらなければならないことなのかもしれない。でも、手紙でドラコの死を伝えるのがどうしてもできなかった。返事がくるまで何度も書き続けるなんて、できないのだ。ケンタスにぺガスという友だちがいてくれて良かったと思った。


「ペガ、あのさ」

「うん、どうしたの?」


 僕の声のトーンで事情を察したのか、ぺガスが筆を置いた。


「いや、昨日ユリスから転属命令を受けてさ、それで、もうすぐ出発なんだ」

「えっ? 転属って、どこに?」

「カグマン王国だよ」

「えっ? いいな」

「栄転っていうわけでもないんだ」

「でも、いつでも家に帰れるんだし」

「う~ん、それもどうかな? 一からの出直しだからね」

「これから寒い所へ行かされる俺たちよりマシじゃないか」

「凍傷には気をつけないとダメだよ」

「そんな心配されたくなかったな」


 ぺガスはグチグチ言いながらも頑張る男だ。


「それでペガにさ、頼みがあるんだけど」

「ジジが頼み事をするなんて珍しいね」

「ああ、いや、その、ミクロスのことなんだけど」


 何て説明すればいいのか悩むところだ。


「つまり、その、ミクロスとケンカせずに、仲良くしてあげてほしいんだ。ほら、ミクロスにとってドラコや僕がいない状況は初めてだし、ランバを始めとしたドラコ隊の隊員たちとも連絡がつかないだろう? 気にしていないように見えて、誰よりも一番の寂しがり屋だからさ、本当はつまらなくて、それでイライラしていると思うんだ。そんなミクロスを一人にしないであげてほしい」


 ぺガスが微笑む。


「ジジは本当に優しいな。俺を一人にしたケンのバカに聞かせてやりたいよ」


 本来のぺガスは口が悪いけど、それは僕の前だけなので心配は無用だろう。


「それと重要な役目が他にもあるんだ。それは絶対にミクロスを暴走させないこと。ミクロスは何かあったらすぐに過激な行動を起こそうとするから、それを上手に抑えてほしいんだ。これまではドラコやランバがいたから何とかなっていたけど、僕もそばにいてあげることができないんじゃ、何をしでかすか分からないからね。案外と、それがカイドル王国の未来を左右させるかもしれないような気もするし、つまりペガス、未来は君の手に握られているっていうことなんだよ」


 ぺガスが笑う。


「相変わらずジジは大袈裟だなぁ。退役したら劇作家にでもなったらいいんじゃないかな? ほら、『モンクルス伝』を書いた作家に憧れていただろう?」


 これは大袈裟な話ではない。


「ミクロスのこと、頼まれてくれるね? 絶対にミクロスを組織の中で孤立させないでほしい。ドラコがどれだけ優秀な戦略家でも、ランバがどれだけ優秀な参謀でも、それを実行できる者がいなければ無意味なんだ。ミクロスほど優秀な切込み隊長は存在しない。これまで成功した作戦のすべてはミクロスの絶妙な飛び出しによる一歩から始まっている。だからミクロスを無駄死にさせてはいけないよ? すべてはぺガスに懸かっているんだ。どんなことがあっても、ミクロスの味方になってあげてね」


 ぺガスが真顔になったので、どうやら真意が伝わったようだ。


「分かった。ミクロスは嫌な奴だけど、ジジの頼みなら仕方ないさ、我慢してみるよ。ああ、今の言葉はミクロスには内緒だけどね」


 ミクロスと付き合うには、それくらいの稚気が必要だ。ペガスならば何も心配はなさそうだ。それから立ち上がって、旅の無事を祈ってくれた後に、ユリスの真似をして、抱きしめてくれたのだった。



 最後にミクロスに挨拶をしようと思ったけど、兵舎の中を捜し回っても見つけることができなかった。そこで外へ出て、馬車蔵へ行ったところでようやく見つけることができた。どうやら小隊長らとその日の捜査に関する打ち合わせをしていたようだ。


「ねぇ、ミクロス、ちょっといい?」

「何の用だ?」

「いや、別れの挨拶をしようと思って」


 そう言うと、いきなり胸倉を掴まれた。


「何が『別れ』だ、バカヤロー!」

「でも」

「『でも』じゃねぇ。ドラコ隊に『別れの挨拶』なんてねぇんだよ」


 そう言って、小突かれるように身体を押された。


「ったく、辛気臭い顔しやがって」

「ごめん」

「ほら、さっさとどっかに行けよ、縁起でもねぇ」


 ミクロスがシッシッと追い払う。


「いいか? これは『別れ』じゃねぇからな。テメェもそのつもりでいろよな」


 そう言うと、打ち合わせを再開させるのだった。

 ミクロスらしい別れに、少しだけ気分が楽になった。

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