第二十二話(154) マークス・ブルドン
私たち三人がオーヒン村の村長に選んだのはマークス・ブルドンという三十代半ばの北方系アステア人だった。明るい茶色い目と、全体は赤毛だけれど、前髪の一部に灰色が混ざっている典型的な、この島では二つ子と呼ばれる混血だ。
カグマン王国が半島での戦争に勝利して、クルダナ国との間に経済協定が結ばれて交易が盛んになったけれど、マークスの父親は就航許可を持つ船乗りや交易権を持つ商人ではなく、ただの密航者だったらしい。
その父親もゴヤ町で大工職人に弟子入りしたところまでは順調だったようだが、高所作業中の事故で寝たきりの身体になった途端に借家から追い出されてしまったようだ。家計は北方系先住民の妻が支えたが、マークスが成人を迎える前に両親とは他界したそうだ。
その後、天涯孤独の身となったマークスも大工職人に弟子入りして父親と同じ道を進んだ。幼少時から見よう見まねで技術を習得していたということもあり、二十歳になる前には棟梁を任されていたという。
息子のマークスと父親の違いは、彼が親の失敗から教訓を得ていた点だ。工期が遅れようとも、天候に不安があれば、貴族街の仕事でも断固拒否していたという話だ。何度もクビになったが、腕が良かったので職に困ることはなかったという。
母親と同じ北方系先住民の女と結婚して男児を授かり、順風満帆な生涯を送っていたが、十五年前のカグマン王国による大遠征の際に転機が訪れたようだ。その時に先住民というだけで灰色の髪をした妻が暴行された挙句に殺されてしまったという。
ゴヤ町では停戦協定締結後にカグマン王国の司令部が駐留して、王都やハクタ町のように戸籍管理を行った結果、マークスは不法移民として、それまでの財産をすべて没収されたのだった。残されたのは着ている服一枚だけだったそうだ。
しかし、その時の戸籍作りも曖昧で、証明書などあるはずもなく、前髪に灰色の髪が混じっていたというだけで借家と仕事道具を奪われてしまったようだ。すべては先住民の血を持つ者たちを以北へと追い払うのが目的だったのだろう。
ただ、ゴヤ町で仕事ができなくなっても彼は困らなかった。造船業に目を付けて、それを市場に流さず、闇販売で交易商に買い取ってもらっていたからだ。マークス父子が目立たぬように生活しているのは、製造中の船が見つかれば没収されると考えてのことだろう。
ゴヤ町から遠く離れたオーヒンの、そのまた外れにある岸辺に、マークス父子が暮らしている粗末な小屋があった。腕のいい大工職人なのだから、もっと立派な家屋を建てられるが、そうしないで貧相に見せているマークスは、やはり賢い男だ。
「あまり他人と交流する男ではないようね」
人目を避けるように海岸近くの林の中で黙々と木造船を作っているマークス父子を見ながら、ミルヴァが呟いた。子どもの方はオークスという名の十五歳の少年だ。父親の髪よりも灰色の割合が多く、先住民に近い顔をしていた。
「どうやってマークス・ブルドンをオーヒンの村長にしたらいいのかしら?」
最近のミルヴァは参謀役のビーナに意見を求めることが多かった。
「マークスは若い頃に財産を没収されたという経験があるから、わざわざ自分から村営に関わるようなことはしないと思う。国家というものが理不尽極まりない暴力装置であることは身に染みているものね。でも、そんな男だからこそ、不当な扱いを受けている人に救いの手を差し伸べることができると思うんだ。彼のような賢い男ならば、国家には個人ではどうすることもできない問題を解決する力があることも理解できるはず。そのためには、お願いに上がるのではなく、自分から立ち上がってもらわないといけないのよね」
そこでミルヴァの方を向いた。
「マークスに接触することなく、魔法を掛けることってできる?」
「どんな魔法を掛ければいいの?」
「ほら、スパビア王女の時のように、夢の中に語り掛けてほしいんだ」
「ああ、あれね」
ミルヴァは睡眠中の意識に直接言葉を聞かせることができる。それを聞いた人は、神の啓示を受けたかのように受け取ってしまうのだ。彼女にとっては簡単な暗示魔法だけど、私やビーナにはできないことだ。
「でも、命令はよくないんだよね」
ビーナが悩みながら答える。
「マークス・ブルドンには長生きしてもらわないといけないでしょ? 暗示が強すぎると身体を壊すまで働き続ける恐れがあるもんね。だから無理せず村民のために働いてくれるように声を掛けないとダメだと思うんだ」
劇作家志望のビーナでも適切なセリフが思いつかないようだ。
「長生きか」
そこでミルヴァが何やら思いついたようだ。
「そうだ。オーヒンの人たちには長生きしてもらいましょうよ。マークスには医者になってもらうの。オーヒンに移り住めば身体が元気になるような、そんな現象をわたしたちの魔法でサポートするのよ」
ビーナが何度も頷く。
「いいね。じゃあ、手始めに村の真ん中に病院を建てさせようよ」
「いや」
ミルヴァが首を捻る。
「ちょっと待って。あからさまに効果を見せつけるのは止しましょう」
「ああ、確かに、特殊な力を持たせると拷問に掛けられるかもしれないもんね」
「そうそう、医者を名乗らせたら、患者からの逆恨みで殺されちゃうよ」
「それと、マークス本人にも傲りを抱かせるといけないもんね」
「ふぅ」
ミルヴァが息を吐いた。
「人間をリーダーにさせるって大変ね」
「自惚れさせないためには、決して野望を抱かせてはいけないんだよ」
「だったら、神に奉仕させればいい」
「信仰心があるように見えないけど?」
「神を信じさせることができればいいのよね?」
「彼は神のように崇められている王族を恨んでいるんだよ?」
そこでミルヴァが思案を巡らす。
「だったら、ちょっと可哀想だけど、強引な手を使いましょう」
「何する気?」
「息子のオークスを魔法で眠らせる」
「それで?」
「病気を治す方法があるって、夢の中で教えてあげるの」
「ああ、それで神を信じさせるわけね」
「村の真ん中に大きな大聖堂を造らせる」
「そこでお祈りすれば子どもの病気は治るって?」
「そう。完成させたら魔法を解いてあげましょう」
「まずは井戸を掘らせるというのはどう?」
「オーヒンは水源が確かだから、急ぐ必要はないけど?」
ビーナが首を振る。
「そうじゃなくて、その大聖堂の中庭の井戸水を飲めば病気が治るって魔法を掛けるんだよ。強力な魔法じゃなくていいの。一時的にでも痛みが和らぐような、そんな効いたか効かないか微妙な魔法でいい。でも、信じる人が増えれば、そこを守ろうする人も増えるでしょう? オーヒンの土地を守ろうとする気持ちを持ってくれさえすればそれでいいの」
ミルヴァは慎重だった。
「でも、それだと奪い合うことにならないかな?」
ビーナが残念そうな顔をする。
「ああ、そうだった。形にした途端、醜い争いが始まるんだっけ」
人間社会にいる時間も長いので、人間の行動予測が分かるようになっていた。
「人を増やすには別の方法を考えた方がいいかもしれないわね」
それがミルヴァの出した結論だ。
「そうだね。まずは欲張らずに、あの男に神を信じさせることから始めましょ」
それからマークスが息子から目を離した隙に、ミルヴァが少年に近づいて一瞬で眠らせるのだった。小屋の横で倒れている息子を発見した父親の悲痛な叫びに胸が痛んだけど、解ける魔法でもあるので、すぐに切り替えることができた。
その夜、マークスが眠りに就いたのは明け方近くだった。小屋の外で聞き耳を立てて、マークスの寝息を確認したところで、ミルヴァが魔法で夢の中へ語り掛けた。聞こえているのか聞こえていないのかは、本人以外には分からないことだ。
「マークスや、よく聞くのです。
息子を助けたければ、私の言葉を信じなさい。
そうすれば、必ずやオークスは目覚めるでしょう。
それには、お前にしてもらわなければならない仕事があります。
私の家を建てなさい。
オーヒンの村の真ん中に、大きな聖堂を建てるのです。
私の望みを叶えたら、お前の望みを叶えてあげましょう。
完成させて、祈りを捧げるのです」
語り掛けるセリフはビーナが考えたものの、ミルヴァから添削指導を受けて、結局はシンプルなものになった。練習の時にビーナが芝居をつけたが、それもミルヴァにことごとく却下されたのだった。
翌日、早速魔法の効果を確かめることができた。すぐに目を覚ましたマークスが大工道具を持って、オーヒンの村へ向かったからだ。その様子を確かめるべく、ミルヴァとビーナの二人は彼の後について行った。
私はというと、父親がいない間、眠っているオークスのお世話をするようにと二人から命令を受けた。水や流動食を与えねばならず、下のお世話までしなければいけなかった。それが一年間も休みなく続いたのだった。
十六歳の少年の看護をして、すっかりお母さんのような気持ちになっていたところに、久し振りにミルヴァとビーナが二人揃って小屋へやって来た。最初のひと月は頻繁に顔を出していたけど、問題ないことが分かると近況報告すらしてくれなくなったのだ。
「元気そうね」
それが久し振りに小屋を訪れたミルヴァの挨拶だった。
「ミルヴァも元気そうで良かった」
普通に返しただけなのに、なぜか不機嫌になる。
「見た目じゃ分からないでしょうけど、こっちは大変なのよ」
まるで私が楽をしているかのような言い草だ。
「まぁ、いいわ。時間もないようだし、早速オークスを起こしましょう」
「じゃあ、聖堂は完成したの?」
「そうよ。大聖堂とまではいかないけど、釣り鐘だけは島で一番大きいといえるかしら」
そこでビーナがミルヴァを急かす。
「早くしないと村長が帰ってきちゃうよ」
いつの頃からかマークスを『村長』と呼んでいた。
「そうね。それでは起こしましょうか」
ミルヴァがベッドで眠っているオークスの枕元に屈んだ。
それから耳元に囁く。
「オークス、目を覚ましなさい」
そう呟いて、立ち上がった。
「姿を見られるといけないので行きましょうか」
ビーナが驚く。
「今の一言で魔法を解くことができたの?」
「そうよ」
そう言って小屋を出るので、私たちもミルヴァの後に従った。
小屋から離れて、林の中からオークスの目覚めを待った。
すると、不思議そうな顔をしたオークスが小屋から出てくるのだった。
その姿を見て、喜びが込み上げてきた。
ビーナが無感動に呟く。
「大丈夫そうね」
「当たり前でしょう」
ミルヴァの言葉には、オークスの貴重な時間を奪ったという意識は感じられなかった。
「普通に立って歩けるんだ」
「リハビリは必要なさそうね」
オークスの筋力が衰えないように、私が運動させていたことを二人は知らない。といっても、意識がないだけで、誘導してあげれば普通に歩くことができたので、そこは魔法を掛けたミルヴァの匙加減が上手かったのだろう。
オークスが私の声にだけ反応するように魔法を掛け直したから、ミルヴァとビーナも安心して他の仕事をすることができたわけで、そこの調整ができない魔法使いならば、死なせていたということも充分考えられるわけだ。
「あっ、村長だ」
ビーナが最初に気がついた。
「落成式が終わったようね」
マークス・ブルドンが五十人以上いる弟子を引き連れて浜辺を歩いてきた。
その中の一人が、小屋の前にいるオークスに気がついたようだ。
歓声が上がり、一斉に駆け出していた。
弟子たちが師匠の息子を取り囲む。
当のオークスは当惑していた。
父親と対面しても、戸惑ったままだった。
全員が泣いている。
オークスだけ状況が飲み込めない様子だった。
「ミルヴァ、そろそろ帰ろう」
「そうね」
オークスに対して思い入れのない二人が父子の抱擁に背を向けて歩き出した。私にとってはお芝居よりも胸に迫る光景だったけど、考えてみれば、この奇跡も私たちが演出したものだということを思い出した。
「え? これはなに? ここはどこ?」
驚く私を見て、ミルヴァとビーナが嬉しそうに笑っている。
「オーヒン村よ」
ミルヴァの言葉が信じられなかった。小高い丘から見下ろすそれは、私が知っているオーヒン村ではなかった。まず目についたのが、立派な石造りの聖堂だけど、それよりも驚くのはびっしりと新築の木造家屋が建ち並んでいたことだ。
「そろそろオーヒン町と呼ばれることになるでしょうけどね」
ビーナが訊ねる。
「何人ぐらい住んでるんだっけ?」
「三千戸で一万人くらいかな?」
一年で一万人増やすという当初の計画を成功させたようだ。
「たった一年でどうやってここまで村を大きくしたの?」
私の疑問にビーナが意地悪な顔をして問い返す。
「どうやって家と人を増やしたと思う?」
考えても答えが見つからなかった。
「分からないよ。だって千人にも満たなかったんだよ? 魔法を使ったにしても、一万人に魔法を掛けることができたというの? それができたとしても、たった一年でこれほど村を大きくすることなんて出来ないと思う。まるで幻を見せられている気分だよ」
私の言葉に二人とも満足気だ。
「これは魔法でも何でもないの」
ミルヴァが説明する。
「わたしたちの選択は正しかったみたい。マークス・ブルドンはオーヒン国の国王に相応しい人物だったのよ。彼は何もない土地に聖堂を建てると決めた時、手始めにゴヤ町にいる父親の仕事仲間や、かつての弟子たちに声を掛けたの。それでも最初はまともに話を聞いてくれる人はいなかった。結局、協力が得られたのは四人だけだったものね。しかも身体を壊して満足には動けないような人たちばかりで、手先の器用さで何とか食い繋いでいる人たちだったのよ。それでもマークスが誰にも頼らないような男だったら、一年で聖堂を建てることなど叶わなかったでしょう」
息子のためということで、それまでの生き方を変えることができたのかもしれない。
「何もない土地に聖堂を建てる時、必要なのは建築資材よね? 石材なんて運ぶだけでも大変なんですもの。それで五人で話し合っていたけど、しばらくは解決策を見出すことはできなかった。それでも話し合いと並行して地質調査を始めていたんだけど、オーヒンが想像した以上に住環境に適した場所だと分かったのね。それはそうよ、わたしたちが目を付けた土地なんだから。オーヒンが寒村だったのは、そこが鉱山地ではなかったというだけですもの」
確かに人間は鉱脈に沿って移動するものだ。
「石材がなければ聖堂は建てられないということで、マークスらが目をつけたのは、フェニックス家の荘園にある教会だったの。それを解体して、加工済みの石材を運搬して、移築するのが最も現実的だと考えたわけね。でも口を利くどころか、領地に忍び込むだけで精一杯なのよ。しかも見つかればその場で処刑されるでしょう? そこで考えたのが、交易品の搬入を請け負っている出入り業者として邸の裏門から潜入することだったというわけ」
マークスはゴヤ町の貴族街で仕事をしていたので思いつくことができたのだろう。
「でも、出入り業者に化けたからといって、仮に領主と話すことができても、それで教会の移築なんて認めてもらえるはずがないわよね。ところが、マークスには当てがあったのよ。それがゴヤ町の貴族街で知り合ったカイケル・フェニックス・ベントーラという男に会うことだった。マークスは彼を『コルピアス』と呼んでいたけどね」




