第二十四話(112) デモンの交渉
「マエレオス閣下!」
玄関ホールの方からデモンを呼ぶ声が聞こえた。
その後の静寂。
気配を確かめているのだろう。
足音が近づいてくる。
かなりの大人数だ。
近い。
「おい! しっかりしろ!」
真上で声がした。
「どうして全身に火傷を負っているんだ?」
誰が話しているのか判別できなかった。
「でも着ている服に焼けた跡がないぞ」
「誰の死体だ?」
「ドラコです」
判別不能の遺体を見て、それがドラコであると分かる人がいたようだ。
沈黙が続いた。
「陛下を連れてきてくれ。他の者は外で待て」
「はっ」
多くの者が外に出たようだ。
「ジジ、ドラコで間違いないのか?」
「うん。足の指が、ドラコのだから」
「ドラコが殺されたというのか?」
ジジは答えなかった。
「オレ様以外に誰がドラコを殺せるっていうんだよ!」
ものすごい音がした。
所持していた武器を壁にぶん投げたようだ。
もう一人はミクロスなのかもしれない。
「ドラコが死んでいるというのは本当か?」
ユリスの声だ。
「この変わり果てた姿がドラコだというのか?」
頭上の床に崩れる音がした。
泣いている。
ユリス・デルフィアスが声を上げて泣いている。
「ご報告申し上げます」
部下が入ってきた。
「デモン・マエレオス閣下が二階の寝室で立て籠もっている模様です」
「よしっ、オレが行く。ジジ、陛下を頼んだぞ」
ミクロスが部屋から出ると、二人の泣き声しか聞こえなくなった。
ジジも泣いているのだろう。
「私がお前より悲しんではいけないね。ジジ、君にとっては兄であり、父であり、そして何より、友だったんだ。これには何か裏がある。私たちが知らない何かがあるのだろう。ほら、これで涙を拭くんだ。私がドラコの仇を討つと君に約束しよう。だから、もうお互い、泣くのはよそう」
隣で息を潜めているランバの身体が震えていた。
それからしばらくして外から足音が聞こえてきた。
「陛下、マエレオスを連れてきました」
ミクロスの声だ。
「陛下、どうか、この無作法な男に礼儀を教えてくださらんか」
デモンは拘束されているのかもしれない。
「ミクロス、縄を解いてやれ」
「陛下、いいんですか?」
「ああ、手ではなく、この男には縛り首こそ相応しいのだからな」
「陛下、ご冗談を」
「何が冗談なのだ? 貴様にはアネルエを誘拐した罪があるのだぞ?」
「とんでもございません」
「弁解は無用だ」
「ちょっと待ってくだされ」
「貴様が疑いを晴らすにはアネルエを今すぐ連れてくることだけなのだからな」
「そんなご無体な」
「貴様にはドラコを殺した責任も取ってもらうぞ」
「陛下、どうか、お聞きくだされ。罰するべきはドラコにございます」
「ドラコに罪をなすりつけようという腹か?」
「陛下は大事な点をお忘れのようだ」
「余を侮辱するか?」
「ドラコに逮捕命令を出したのは陛下御自身ではございませぬか」
一瞬だけ間ができた。
潮目が変わったのを感じた。
「私奴は陛下のご命令に従い、ドラコを捕縛したのです。アネルエ王妃が誘拐されたことも知っておりました。それが私奴の商取引を利用したことを知り、それで私を陥れる罠であることを看破し、この邸に犯行に使われた荷馬車を運んでくるところを、先に待ち伏せして捕縛することに成功したのです」
「それで、この死に様は、何をしたというのだ?」
「ここは国の裁きが及ばぬ土地柄でございまして、裁きは領主が直接するものと決まっております。古くから手前どもには拷問風呂というのがございましてな。釜に罪人を入れて、そこに水を入れ、湯を沸かして、熱湯になるまでに自白を引き出すというやり方が存在しております。それを、この罪人に使ったのです。なにしろアネルエ王妃陛下の行方を掴むには、それしか方法がありませんでしたからな」
時系列は間違っていると分かるが、まったくの作り話とは思えなかった。他に黒幕がいて、ドラコを消したい何者かが、デモンと結託して、裏切った可能性がある。ドラコの知らないところで別のシナリオが進行していても不思議ではない。
「それでドラコは自白したのか?」
「最期まで口の堅い男でございました」
「貴様はアネルエの行方を知らぬと申すのだな?」
「神懸けてお誓い申し上げます」
ユリスの決断を待つ時間ができた。
「よし、分かった。これから貴様の身柄をしばらく預かる。その間に領土内を隈なく調べさせてもらおう。処遇は追って報せるので、それまではオーヒンの領事館で過ごされるがよい」
「ちょっとお待ちくだされ」
「ならん」
「陛下、我が領土を侵犯するということは、フェニックス家の御旗に背くことになるのですぞ? それでも陛下は私奴を逮捕拘禁なさるおつもりか? これは王家に対する背信行為ではございませぬか。どうか、頭を冷やしなされ」
大きな音がした。
格闘があったようだ。
「よせ、ミクロス、その男を放すのだ」
「陛下、私にはこの無礼な男を逮捕する権利があるのですぞ? いや、それだけではなく、フェニックス家の領地に許可なく軍隊を送り込んだのですから、陛下御自身も反乱者として告発することも可能にございます」
「それは脅しか?」
「まさか! とんでもございません。陛下に盾突こうなどと、あるはずがございませぬ」
完全にデモン・マエレオスのペースだ。
「しかし、貴様が余を軽んじたのも、また事実ではないか? こちらには捜査権を行使する権限もあるのだ。アネルエが誘拐されたことを知りつつ、ドラコを捕縛したのだから、私のところに報告するのが優先されるべきことなのだからな。それを怠った時点で、余が貴様を疑っても仕方あるまい」
ユリスは劣勢だが、冷静さは保っているようだ。
「なぜ余に報告しなかったのだ?」
「それは手前にも都合というものがあるからでございます」
「それはどんな都合があるというのだ?」
「ドラコの死体をハクタ国へ運ぶ予定がございます」
それを今朝方、事情を知ったばかりの男が思いつくだろうか?
「ハクタへ?」
ユリスが確認した。
「左様でございます。ドラコはハクタ国からも逮捕命令が出ているのは陛下もご存じかと思われます。失礼ながら、陛下にドラコの死体を引き渡すより、ハクタ国のオフィウ・フェニックス王妃陛下に引き渡した方が、手前どもに利があると考えました。それで陛下へのご報告を、あえて控えたのです。いや、それについては深謝いたしますので、どうか、ご容赦願いたい」
これがたった今、この場で思いついた閃きならば天才だ。
「ハクタ国へは私から報告しよう」
「陛下」
デモンの語気が強まる。
「それはなりませぬ。ドラコの逮捕は手前どもの手柄でございます故、ここはどうか一つ、お引き下がりくださいますよう、お願い申し上げます。まさか、カイドル国を建国したばかりの国王陛下御大自らが、他人の功績をねじ伏せたなどと、言の葉にのって広まってはいけませんからな。そこは私奴も誤解を招くことがなきよう、ご協力させていただく所存であります。早速ではありますが、王妃陛下を攫った賊は、この私に罪を着せようとしていますので、全力を挙げて、領土内を調べてから、都度、ご報告に伺うことをお約束いたします。もちろん、一刻も早く見つけ出さなければなりません故、陛下が任命された捜査官が領内を自由に捜索することを重ねて許可いたします。いや、これは妻の許可ですがね」
デモンはフェニックス家の領地が法的に島で一番安全だということを熟知している。だからこそ、ハドラ神祇官とドラコは超法規的な方法で荘園をぶっ壊したのだ。それ以外に罪を裁く方法がなかったからだ。
「領内にいる私兵を聴取するが、構わぬな?」
ユリスはデモンの逮捕拘禁を諦めたようだ。
「名簿がございますので、自由にお使いくださいませ」
「貴様の容疑が晴れたわけではない。分かっておるな?」
「この手で晴らしてお見せします」
デモンの勝利だ。今よりも三十歳若かったとはいえ、どうしてこれほど知略に長けた男がいて、カイドル帝国は滅亡してしまったのだろうか? 繁栄させたオーヒン国からも追放されているし、彼はカイドル国の復活に何を思うだろう?
それから家捜しが行われ、誘拐に使われた荷台を押収し、ユリスらは連れてきた軍隊と共にオーヒン国の領事館へと引き揚げて行った。その間、僕とランバとジンタは応接間の床で息を潜めて隠れ続けていた。
「工場にいた兵士も引き揚げていきました」
「ご苦労。引き続き警備を続けてくれ。しばらく警戒を怠るな」
「はっ」
足音が遠ざかっていった。
絨毯が捲れる音がしたが、太陽の光ではなく、ランプの明かりに変わっていた。
天上の床板が外される。
「さあ、公子、手を貸しましょう」
デモンに引っ張ってもらって、隠し部屋から出た。
「すみませんが、不浄へ行かせてください」
デモンが笑う。
「そうでしょうな」
と言って、朗らかに笑うのだった。
でも僕は笑えなかった。
布で巻かれたドラコの遺体が目に入ってしまったからだ。
三人で外にある厠へ行き、邸に戻ると食堂へと呼ばれ、そこで食事をいただいた。神様にお祈りをして、感謝しながら、黙っていただいた。外で食事をいただく時は、家主のマナーや食事スタイルに合わせるのが礼儀である。
「蜜入りの花茶でございます」
食後に甘いお茶が運ばれてきた。
「客人に寝台を用意しておくように」
「はい。かしこまりました」
この日はここで休ませてもらうこととなった。邸を留守にしているということで、盗難防止のために調度品の類は一切置かれておらず、おそらく寝具なども別の場所から運んでこなければならないのだろう。
「さぁ、冷めないうちにお召し上がりくだされ」
「いただきます」
なめらかで上質な蜜が使われていた。
「公子、よくぞ、ご決断くださいました。改めて、感謝いたします」
正面に座る僕に真剣な眼差しで頷いて見せた。
僕の隣に座っているランバとジンタには一言もなかった。
「ハクタ国へ行かれるというのは真ですか?」
「はい。明日にでも発つ予定です」
「また急な話ですね」
「どんなに急いでも四日から五日は掛かりますからな」
そこでデモンがランバの方を見た。
「そこでランバ、貴君にお願いしたいことがある」
「なんでございましょう?」
「貴君にハクタまでの護衛を頼みたい。引き受けてくれるな?」
「拙にはハドラ神祇官に命じられた任務がございます」
「他の者に引き継ぐがよい」
有無を言わさぬ感じだ。
「わしは貴君を誰よりも頼りにしておる。ハンスとアンナをカイドル州へ行かせたのも、貴君の同行があってのことだ。アンナはお前を気に入っておる。ワシはな、娘をお前にもらってほしいと思っておるのだ。アンナの一生を守るつもりで、ハクタまで護衛してくれぬか?」
ランバがデモン・マエレオスの義理の息子になるというのか?
「しかし閣下」
ランバの言葉を制したのはデモンだ。
「父と呼べ」
自分よりも身分が下の者には強引だ。
「拙はドラコと共に追われている可能性がございます。峠を越えることは可能でしょうが、そこから先は検問所で捕まる可能性がございます」
「公子を連れて峠を越えたではないか」
「現在は人相を知る者を配置していると考えられます」
「しかしな、貴君には、そもそも逮捕命令自体が出ておらんではないか」
「今は出ておりませぬが、これから出ることも考えられましょう」
デモンが笑う。
「用心深い男だ。ますます気に入ったぞ」
すぐに笑顔を引っ込めた。
「しかし、断らぬということは、腹は決まっているということだな?」
ランバが苦悶の表情を浮かべる。
「娘をくれてやると言っておるのだ。このわしが娘の伴侶を悪いようにするはずがないではないか。アンナだけではなく、ドラコの遺体を手厚く葬ることも約束しよう。カグマン州の生まれ故郷へドラコの遺体を運んでやれ。それこそが、ランバ・キグスよ、お前にしかできぬ仕事ではないか」
ランバはまだ不安があるようだ。
「しかし、閣下は隊長のご遺体を罪人として利用すると仰いました。また、実際にデルフィアス陛下にも真実を話そうとなさらなかった。それでどうしてハクタの王妃陛下から埋葬の許可を得られるというのでございましょう?」
デモンが頷く。
「ハンスと違って、お前はしっかりと腹のうちを見せてくれる男よのう。これではどちらが実の子か分からぬな。心配するでない。今は夏の一番暑い時期だ。ハクタに着く頃には見分けなどつかなくなっているであろう。そのためにデルフィアス陛下と身内も同然のジジから死体証明書を頂戴しておるのだ。装備品は失うが、交換した遺体があれば文句はあるまい」
ランバはまだまだ不安があるようだ。
「しかし閣下」
「まだ何かあると申すか?」
デモンがランバの言葉を遮った。
「ご息女のことでございますが」
「気に入らぬと申すのか?」
「いいえ、とんでもございません」
「何が不満なのだ?」
ランバの顔には滝のような汗が流れていた。
「アンナお嬢様には、親の決めた結婚はしてほしくないのです」
「娘と結婚させてやると言っておるのだぞ?」
「アンナお嬢様の御心は、ここにございません」
「娘には土地も財産もあるのだぞ?」
「それは閣下のお持ち物でございましょう」
「わしの勧める縁談を断ると申すか?」
「閣下との縁談ならばお断りさせていただきます」
「わしに二度はないのだぞ?」
「臣に二言はございません」
そこでデモンが大笑いした。
「わしの頼みを断ったのは、ランバ・キグスよ、お前が初めてだ。これほど手に入れたいと思った男は他にない。やはり、わしの目に狂いはなかった」




