第二十五話(113) 公子の素養
翌日、目を覚ますと客室で一緒に眠っていたランバとジンタの姿がなかった。二人を捜しに階下へ降りると、応接間でデモン・マエレオスの私兵を集めて打ち合わせをしているランバの姿があった。ハクタ国へ行く意思が固まったようである。
「それでは先にアンナお嬢様をお迎えに上がるように。私は後から参る」
「はっ」
ランバの指示に従って私兵がその場を後にした。デモンからランバの下につくように命令を受けたようだ。他の者ならば不満に思う人も出るだろうが、ランバは実績が充分なので問題は起こらないだろう。
「すみません。すっかり寝入ってしまいました」
「公子はまだ新兵の年齢に達していないということを、ご自分で忘れてはなりませんぞ」
少年兵が戦場で使えないのは睡眠欲が大敵となるからだと聞いたことがある。
「ところで、マエレオス閣下の姿がありませんが、どこに行かれたのですか?」
「閣下は夜明けと共にオーヒン国の領事館へ向かわれました。通行証を発行してもらう手続きがありますからな。それで後からアンナお嬢様をお連れするようにと頼まれたわけです」
「それでは、ハクタへ行くと決心されたわけですね?」
そこでランバが頷いた。
「しかし――」
僕の言葉を手で制した。
「場所を変えた方がよさそうですな」
ブドウ畑の中を分け入って話をすることにした。見張りはジンタに頼んである。聞かれてはならない話になりそうだったので大いに助かった。家人が留守であろうと、それを自分でしっかと確かめなければいけないというわけだ。
「こんなことを言わなくても、ランバは全部分かっていると思います。それでも、どうしてデモン・マエレオスと一緒にハクタへ行かなければならないのか、僕には分からないのです。だって、ドラコが誰に殺されたのか、まだ分かっていないじゃありませんか。デモン・マエレオスの可能性もゼロではないのですよ? そんな人にノコノコついて行って、オフィウ・フェニックスに会いに行くなんて危険すぎますよ。証拠不十分でも逮捕拘禁されることもありますし、それよりも残ってドラコの仕事を引き継いだ方がいいんじゃないですか?」
ランバにとっては予想していた質問だったようだ。
「公子の仰る通りではございますが、これも一つのチャンスと捉えることもできるのです。つまり、ムサカ法務官の背後にオフィウ・フェニックス王妃陛下がいたのではないかと、その確たる証拠が得られるかもしれないという機会ですな。我々には、パヴァン王妃陛下とパナス王太子殿下を救出したという絶対の切り札がございます。身柄を確保し、安全な場所へ移したので、これ以上は隠しておく必要はございません。事情を知って、それでも私の口を封じるつもりならば、オフィウ王妃陛下が暗殺計画に関わっていたと見て、まず間違いないでしょう。それを確かめる絶好の機会でもあるというわけでございます」
「それはつまり――」
ランバが僕の言葉を制した。
「もしも私の身に何か起きたならば、それはオフィウ・フェニックスとデモン・マエレオスが暗殺計画に関与していたという証拠になりますので、後のことは頼みますぞ。ハドラ神祇官を通じて、デルフィアス陛下にお伝えすれば、然るべき罰を与えて下さるでしょう。ハクタの魔女と呼ばれているオフィウ・フェニックスを、この身と引き換えに永久追放できるのならば、死に際に価値のある一生を送れたと思うこともできますからな」
剣に誓うということは、この身を捧げて陛下にお仕えするということである。しかし、すべての兵士に強い信念が備わっているわけではないというのも現実で、ランバのように命懸けの選択をしてきた者がいるから平和が保たれてきたというわけだ。
「しかし、僕は不安なのです。それはデモン・マエレオスが油断ならない男だからです。ドラコはハンスを信頼していましたが、父親の方には計画を打ち明けていなかった。それはつまり信用していなかったということではありませんか。ドラコですら警戒する男を、信用してよいのか、迷っているというのが正直な気持ちです。彼は救出作戦やドラコの死ですら、己の利益に変えてしまうのではないでしょうか?」
仮説。
「つまり可能性だけでいえば、デモン・マエレオスはドラコが死ぬ前に計画の全貌を掴んでいて、なおかつ王妃陛下と王太子様の居所まで知っていて、それを逆利用するような行動を取っているとも考えられるのです。その場合は、もうすでに王妃陛下と王太子様の命はなく、その死の罪をドラコやランバに着せようとしているわけです。そうなると切り札となるお命が失われているので、オフィウ・フェニックスを追い込む形勢に持ち込めません。暗殺計画の実行犯に仕立てられて、無駄死にすることも考えられるのですよ?」
ランバが僕の両肩をがっしりと掴んだ。
「公子殿、その時は隊長の仇を討ってくだされ」
彼の目的は、暗殺計画の黒幕捜しからドラコを殺した犯人を見つけることに切り替わったのかもしれない。ドラコはマエレオス邸で死んでいたのだから、デモンが第一容疑者ではあるが、いかんせん決定的な証拠がなかった。
その証拠を掴むためにランバは、ドラコの計画になかった、デモンに救出作戦の全貌を明かすという行動に出たのだろう。彼を仲間に引き入れることで、調べやすいポジションを獲得したというわけだ。谷底に咲く花は、谷底に下りなければ摘むことはできないのだから。
「公子には、私が隊長から預かっている隊士たちをお預けします。今度の旅は長くなりそうですからな。もう、二度と戻ってくることができないかもしれませぬ。そう言っていたと、ジャンジャジにお伝えくだされ。さすれば、みな公子の命に従って動くでしょうからな。目的さえ見失うことがなければ、これまでと同じ働きを見せてくれることでしょう」
これはつまり死を覚悟しているということだ。生きて帰ることができないかもしれないから僕に隊を預けたのだ。見失ってはいけない目的というのは、ドラコの仇討ちをするということだろう。
「ドラコとランバのいない僕に一体なにが出来るというのですか?」
「公子殿、あなたはどんなことも出来ますぞ」
そこでランバが腰に差した大剣を抜いた。
「公子は隊長や我々隊士と違って、実に恵まれた環境でお生まれになった。幼い頃から剣術を仕込まれ、乗馬の手解きも受けております。読み書きもこなして、多くの知識も蓄えておられる。つまり誰よりも教育に恵まれてきたわけですな。もちろん大貴族の子どもなど、公子よりも更に恵まれた者はたくさんおります。しかし公子は貴族社会の競争や個人の利益追求よりも、公人としての道を歩まれた」
そこで頭を振る。
「いや、個人が己の利益を追求するのは決して悪くはありません。悪いどころか、税収が増え、それが公益にも繋がるので推奨すべきことでしょう。しかし、すべての人間が己の利益を追求すれば、国家よりも尊大な人間を生み出すやもしれません。そんな人間を生み出さないためにも、国に仕える貴族、つまりは公人の力が必要となるのです」
一部の悪しき貴族だけを取り上げて社会を批判しないのがランバの柔軟性だ。
「歴史を振り返れば、暴君の登場を許さないというのは容易いことではございませんな。それほど遠くない未来、たった一人の暴君の存在が社会のシステムを変えてしまうキッカケになることもありましょう。それでも現在の我々にとって、王政や、貴族や、宗教や、徴兵や、それに伴う連帯責任や、無認可の村を認めない法律など、どれも必要なものばかりなのです。古い時代を批判することは誰にでも出来ます。また、我々の時代の価値観や法律や因習によって苦しむ子孫もおるでしょう。ですが、古い時代の者たちも、苦しんでいる者に救済の手を必死に差し伸ばしていたことを忘れてはなりません。その者たちとは、まさに公子のようなお方だったと思うのです」
公人の務めを果たせる者は限られており、それが我が国では生まれた時点で決まっているのだから、きちんと職務を全うしなさいというのが父上の教えだ。それが我が一族に利益が還元される唯一の選択だとも言っていた。
「我々にも古い時代があったように、これから新しい時代に変わるやもしれませぬ。しかし現時点では、公人は生まれた時点で決まっているものでございますな。ですが、せっかく持ち合わせた素質も、素養を身に付けなければ、我々が手を下したように、首が飛んでしまうことになるのです。公子のように恵まれた環境にお生まれになっても、慢心せず、鍛錬を積み、資質を磨かなければ、公人の道を堂々と歩いていくこともできないということでございます。それが公共に従事する者の務めではございませぬか」
そこで手にしている大剣の柄を差し出すのだった。
「隊長のご遺志を継いでくださる覚悟がおありならば、この剣を受け取りなされ。我々隊士は、みな隊長の剣に誓いを立てた者ばかりでございます。この剣に恥じぬ決断を下せる自信がおありならば、公子こそ剣の所有者に相応しい」
ドラコの大剣を譲るということは、ランバはドラコの仇を討ち、本来の目的である暗殺事件の黒幕捜しを僕に託したということだ。隊士を預けたというのは、ドラコが立てた計画を遂行してくれ、という意味に違いない。
「しかと受け取りました」
ドラコの大剣を譲り受けるということは、対人戦での負けは許されないということだ。
「ダンナ」
そこでジンタが急に現れた。
「マエレオスの兵士が教官を捜していますぜ」
「問題が起こったようですな」
ランバにとって予定外のことが起きたようだ。
邸に戻ると、入り口の前に馬車が停めてあった。どうやら、それで迎えに行くようにハンスから命令を受けたようである。そこで邸を閉門するということで、僕も一緒に乗り込むこととなった。ジンタはお尻が痛くなるからと言って、徒歩での移動を選択した。
別邸に行くと、わざわざハンスが玄関ホールまで出迎えてくれて、ランバと固い握手を交わすのだった。そこでの会話からハンスは父親に同行せず、領地に残って仕事を続けるように命じられていることが分かった。大事な収穫の時期というのが主な理由のようである。
「それでハンス殿、問題とは何ですかな?」
「妹のアンナのことです。今朝から塞ぎ込んでしまって」
「体調を崩されたということですかな?」
「いいえ。昨日までピンピンしていましたし、まだ、朝晩冷え込む時期でもありませんしね」
「それでは、ハクタへ行きたくない理由があると?」
「そうですね、旅の支度をしようとしないのです」
「それは困りましたな、お父上から連れて来るようにと命じられておりますので」
「まずは会って話してみてはいかがでしょう?」
「妹君はどちらへ?」
「案内します」
そこでハンスに邸内にある礼拝室へと案内された。
部屋の前まで来ると、扉の前で困り果てている召使いの姿が見えた。
ハンスが召使いに声を掛ける。
「ミルン、アンナにキグス教官を連れてきたと伝えてくれないか?」
「はい。畏まりました」
実の兄妹なのに直接会話をしないのは、皇族生活の名残りなのかもしれない。
召使いが戻ってきた。
「お会いになってもよいとのことです」
「よし。其の方は旅の支度に取り掛かってくれ。後は私の方で何とかしよう」
「はい。承知いたしました」
ハンスとランバの後から礼拝室に入ると、礼服姿のアンナお嬢様が六列ある椅子の最前列に座って肩を小さくすぼめていた。手には真っ白なハンカチが握り締められており、時折目元を押さえて、悲しんでいることを分かりやすく伝えるのだった。
「アンナ、キグス教官を連れてきたよ」
耳に届いているはずだが、兄の言葉に一切反応を見せなかった。
「教官、お願いします」
ハンスがランバに任せた。
その言葉を受けて、ゆっくりとアンナの元に歩を進めるのだった。
僕たちはそれを入り口から見守ることしかできなかった。
「アンナお嬢様、お久し振りでございます」
アンナが顔を隠すように俯いた。
召使いが言っていた『会ってもよい』とは何だったのだろう?
「周りの者を困らせるとは、お嬢様らしくありませんな」
「貴方に私の何が分かるというのです」
そう言うと、アンナは身体の向きを変えて、ランバにそっぽを向けた。これも怒っているという分かりやすい表現だ。二十歳をとうに過ぎていると聞いているが、子どもっぽい態度といい、表情からして可憐な少女そのものだった。
ランバがアンナの正面に回り込み、その場で立膝をついた。
「この私奴に、旅に出たくない理由をお聞かせ願えませんかな?」
「旅に出たくないわけではないのです」
悲しいし、怒ってもいるのに、ランバとの会話には素直に応じるのだった。
「それだけでは、さっぱり分かりませんぞ?」
「もう二度と、自分の足で、歩いて行く、その気力が持てなくなったのです」
「気力ですか……、それは一体なにがあったというのですかな?」
アンナがハンカチで目元を拭った。
「お慕いしている方に、嫌われてしまいました」
「まさか!」
ランバが驚くということは、本当に信じがたいことなのだろう。
「アンナお嬢様を厭う者など、この世に存在するはずがないではありませぬか!」
「事実なのです」
「それはありえませんぞ。そのような者は大バカ者に決まっております」
「いいえ。とても立派な方なのですよ」
「お嬢様を悲しませる戯け者ではございませぬか」
そこで立ち上がり、怒りの矛先をどこに向けていいのか分からず右往左往するのだった。
「そやつが、どこのどいつか存じませぬが、私奴が行って、懲らしめて参りましょう」
「そのお方に、私が何をされたのか聞かぬのですか?」
「ああ、そうでしたな。訳を知らねば問い質すこともできませんからな」
ランバらしくない取り乱しようだ。
「それで、そやつはアンナお嬢様に何をしたというのですかな?」
アンナが真っ直ぐランバを見つめた。
「昨日のことだと聞きましたが、その方に縁談を断られたというのです」
それを聞いて、ランバは両手で白髪頭を抱えるのだった。仕事は有能でも、恋愛に関しては愚鈍な男が、やっとアンナが自分のことで悩んでいたと気がついたようである。女というのは、男を勇敢な者にも愚か者にもしてしまう存在のようだ。
「私奴が縁談を断ったのは、お嬢様を思ってのこと」
「私は深く傷ついたのです」
「どうして私奴が縁談を断ったことで、お嬢様が傷つくのですか?」
「それを私に言わせるおつもりですか? つい先ほど恥ずかしいことを申したのですよ」
「あっ、まさか、お慕いしているというのは、いや、そんなはずは……」
確かに、考えてみれば、ランバがアンナの恋心を理解できないのも当然かもしれない。アンナの兄はザザ家との戦いの時に一緒に死んでいて、その死にランバも関わっているからである。次兄のハンスもそうだが、よく分からない一族だ。
大陸の小国がひしめく紛争地域では、通常では理解できないおかしな縁組が発生しやすいと聞くが、デモン・マエレオスも有事に備えて、兄妹の結束よりも、縁組の重要性を説いてきたのかもしれない。
「お父様に『いい人はいないのか?』と訊ねられたことがあるのです。それで貴方様のお名前を申し上げました。その時、お父様はとてもよく褒めてくださいましたの。それでずっとお会いできる日を待ちわびていたのに、今日になって、嫌われていたことを知ったのです」
どうやら見掛けによらず、アンナの方が積極的だったようだ。
ランバがアンナの前で片膝をついて頭を下げた。
「それはまったくの誤解であります。どこの誰が、アンナお嬢様のような美しい女性から好かれていると思うことができましょうか? 島一番の自惚れ屋でも、そんな幸運が自分の人生に起こるだなどと思うはずがありませぬ。アンナお嬢様から好意を抱かれるというのは、あまりに恐れ多いことでございます。たとえ気の迷いであっても、私ごときがアンナお嬢様の御心を勝手に推し量ってはならぬのです。断じて、貴女様を傷つける意図はなかったとご理解ください」
アンナが幼子のような顔でニコニコしている。
「それでは、嫌われたわけではないのですね?」
「もちろんでございます」
「それでは結婚を申し込んでくださいますね?」
「結婚でございますか?」
「あっ、すみません。婚約が先でしたね」
アンナはまるでママゴトに興じる小さな女の子のようだった。
ランバが戸惑っている。
隣にいるハンスが僕の方を見た。
「『欲しい物は自分で手に入れる』というのが我が家の家訓なのです」
まさにアンナはそれを実践しているというわけだ。
「アンナお嬢様、私は現在、予断を許さぬ状況下におりまして、十日後の未来も見えない状態にあるのです。そんな先行き不安な私が、大切な貴女様の人生をお預かりするわけには参りません。どうか、今日のところは、返事を待っていただけないでしょうか?」
アンナが首を振った。
「十日後も生きていると保証されている人間がどこにいるというのですか?」
少女が急に老女のようなことを言い出した。
「私は十日後の未来を好きになったわけではないのですよ?」
父親に負けないくらいの交渉術だ。
「十日後に限らず、十年後も二十年後もお気持ちが変わらないとお思いなら、今ここで結婚を申し込んでいただけますか?」
ランバが喉の調子を整える。
「私と結婚していただけますか?」
「謹んでお受けいたします」
アンナは父親が手に入れることができなかったランバをあっさりと手に入れてしまった。




