第7話 コーヒーマシンは蜃気楼
六月下旬。嵐の週が明けて、現場に新顔が来た。
「今日からお世話になります! よろしくお願いします!」
協力会社から来た若手だ。歳は二十歳そこそこ。派遣歴二年で、現場はここが二つ目らしい。
つまり、まだ知らないのだ。この現場の「不文律」というものを。
「先輩も派遣なんですよね? 何年目ですか?」
「十六年」
「じゅう……えっ?」
そんなに驚くことはないだろう。
彼はよく動いた。解体はまだ拙いが、素直で覚えが早い。荷物置き場の整理のコツを教えたら、目を輝かせてメモを取っていた。メモを取られるようなことを言った覚えはない。
◇◇◇
事件は昼休みに起きた。
詰め所の隅に、魔導コーヒーマシンがある。豆を挽くところから全自動でやってくれる、ご立派な魔道具だ。
二年目は実に自然な足取りでそこへ歩いていき、実に自然にカップを置いた。
——あ。
止める間も、なかった。
「おい! 派遣が使うな!」
通りかかった正団員の怒鳴り声が、詰め所に響いた。
昼休みの視線が一斉に集まる。二年目がカップを持ったまま固まっている。
「す、すみません。知らなくて……」
「知らなくて、じゃないんだよ。だいたい派遣ごときに月六十万以上も払ってるんだぞ。高すぎるくらいだ。コーヒーまでたかるな」
月六十万。
レートが4,000レンだとすると、八時間かける二十日。確かにそのくらいになる。
もっとも、彼の手取りがいくらかは知らない。世間の相場ならマージンは三割ほどと聞くから、まともな会社なら四十万前後が彼に渡っている計算だ。
ちなみに俺は月六十七万で、手取りは十九万そこそこである。
……まともな会社なら、な。
「申し訳ありません。自分からよく言っておきますので」
俺は間に入って頭を下げた。十六年物の、よく撓る《 しなる》腰である。
正団員は鼻を鳴らして去っていった。
◇◇◇
午後、しょげ返った二年目に小声で教えた。
「覚えとけ。あのマシンは、俺たちには蜃気楼だ」
「……見えてるのに、無いんですか」
「そうだ。見えてるのに、無いんだ」
「先輩、それ悲しすぎません?」
彼は少し笑って、それから真顔になった。
「でも、前の現場では飲めたんですよ。コーヒー」
「だろうな」
扱いは派遣先による。
この業界の数少ない真理の一つだ。当たりの現場もある。ここが外れなだけで。
『参考までに、【珈琲抽出Lv1】の取り扱いがございます。2ptです』
そういう問題じゃないんだよ。「飲ませてもらえるかどうか」の話なんだ。
『左様でございますか』
分かってないなこの板。
◇◇◇
仕事終わり、しょげたままの彼を酒場に誘った。
先輩風というやつを一度くらい吹かせてみたかったのもある。
メニューを開く。ビール一杯、六百レン。
俺の時給の、ほぼ半分。
……さんざん迷って、二杯注文した。今日は後輩の分も俺が持つ。先輩風は高くつく。
「うまいっすねえ……」
「そうだな」
嵐のあとの酒場は混んでいた。
と、隣の席の若い男が上機嫌でこちらに身を乗り出してきた。
「お兄さんたちも冒険者ですか? いやあ実は今日、初ボーナスが出まして!」
聞いてもいないのに教えてくれた。二十万レンだそうだ。
別の東証プライム認定クランの若手正団員らしい。頬が赤い。相当飲んでいる。
「あ、これ僕の名刺です! よろしくお願いします!」
差し出された白い紙片を、反射的に受け取ってしまった。
クラン名。部署。名前。きちんと箔押しまで入った、立派な名刺だった。
さて。
返すものが、無い。
派遣に名刺は無いのだ。俺が出せるものといえば首から下げた認識票の木札くらいである。名前が焼き印で入った犬の鑑札みたいなやつだ。
……最悪だ。こっちが出せるのは木札だけって。
「……どうも。いろいろやってる者です」
我ながら、怪しさの塊みたいな自己紹介だった。
「いろいろ! かっこいいですね! あ、よかったらこれ、僕のおごりです!」
若者はそう言って、俺たちの卓にビールを二杯追加した。
悪気がない。一片も、ない。
いい奴なのが、逆に沁みる。
二年目と顔を見合わせて、俺たちは黙って乾杯した。
おごりのビールは、自腹の一杯より少しだけ苦かった。
◇◇◇
帰り道。夜風に当たりながら、ふと気づいた。
そういえば最近、体が妙に軽くないか。
……心当たりが、なくもない。
『いつも継続的なご利用、誠にありがとうございます』
言うな。
◇◇◇
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【スキルボード】
氏名 :レント
レベル :999/999(MAX)
スキルP:999,887pt
取得済み:身体強化Lv4/解体Lv2
気配察知Lv3/珈琲抽出Lv1
ほか十一件
備考 :【珈琲抽出Lv1】お買い上げありがとうございます
(豆は別売りです)
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