第2話 未払い、三十一年ぶん
『ただいま計算中です……』
スキルボードは、あれからずっとこの調子だ。
視界の隅で数字がカチカチと回り続けている。解体の間も運搬の間も、「派遣さ~ん、袋もう一つね」と追加の仕事を振られている間もずっと。
定時で上がって家路を急ぐ。
安アパートの扉を閉めて、ようやく正面からボードと向き合った。
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【スキルボード】
氏名 :レント
レベル :999/999(MAX)
スキルP:ただいま計算中です……
(現在:842,107)
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八十四万。
まだ回っている。
……落ち着け。相場を思い出せ。
この世界では、レベルが一つ上がるとスキルポイントが5ポイントもらえる。
ただしレベルは簡単には上がらない。二十を超えたあたりから急に渋くなって、大人は年に一つか二つ。
新卒でだいたい二十。三十歳で三十前後。〈ガレオン〉の部長クラスで六十と聞いたことがある。
ついでに言うと、レベルはギルドカードが勝手に測って勝手に刻む。ボードが出ない俺でも、レベルだけは筒抜けだ。おかげで「レベルだけは高いらしい」と、陰口の精度だけは高い職場である。
つまりポイントというのは、年に5か10もらえれば御の字というシロモノだ。
それが今、目の前で八十四万。
夕食を作る気にはなれなかった。
テーブルに肘をついて、回り続ける数字をただ見ていた。瞬きするのも忘れて。
そして日付が変わる頃――数字は止まった。
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【スキルボード】
氏名 :レント
レベル :999/999(MAX)
スキルP:999,999pt
備考 :精算が完了しました
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『長らくのお勤め、誠にありがとうございました』
ボードがやけに慇懃に告げた。
……いや、待て。
しゃべるのか、お前。
ダンジョンでは定型文の通知だけだったくせに、急に流暢にしゃべりやがって。誰だよお前。
「あんた……何者だ?」
『スキルボードでございます』
「それは見れば分かる」
『スキルボードでございます』
だめだ。会話が成立しているようで、していない。
『続けてよろしいでしょうか。——未払い分のスキルポイントを全額一括支給いたします。なお、利息は付きません』
「利息は付きませんじゃねえよ!!」
人生で初めて深夜に一人で絶叫した。
三十一年だぞ。三十一年待たせて利息なし。どこの悪徳金融だ。いや、悪徳金融ですら利息は付ける。逆に新しい。
——が。
深呼吸してあらためて数字を見る。
999,999。相場で言えば何百年分。
利息がどうとかいう桁の話ではなかった。
「……まあ、いいか」
我ながら現金なものである。
いや、待て。そもそも計算が合わないだろう。
レベル999で1レベル5ポイント。多く見積もっても五千のはずだ。桁が二つ多い。
「なあ。この999,999ってどういう計算だ」
『規定通りの精算でございます』
「だから何の規定だ」
『規定通りの精算でございます』
だめだ。この板は都合の悪い質問に同じ文言しか返さない。
どこかの営業と同じ話法である。
まあいい。あるものはある。
問題は、これを何に使うかだ。
スキルツリーを開く。
――大きい。とんでもなく大きい。
剣術の幹に魔法の幹、生産の幹。枝分かれの先には【口笛Lv1】なんて葉っぱまである。値段は1ポイントから上は百単位まで。
三十一年間。俺はこの売り場の前を財布ゼロで素通りし続けてきたわけだ。
そう思ったら、少しだけ指が震えた。
「……試しに、一番安いのを」
【身体強化Lv1】——1ポイント。
選択。取得。
瞬間、体の芯に小さな灯がともった気がした。
立ち上がる。……軽い。
部屋の隅の水瓶を持ち上げてみる。片手で上がる。今朝まで両手で抱えて「よいしょ」だったやつがだ。
「これが、スキル……」
みんなはこんな便利なものを十五の歳からもらっていたのか。
そりゃあ勝てないわけだ。
……よし。
いや、よしじゃない。分かっている。分かってはいるんだが。
「あと少しだけ、な」
【気配察知Lv1】。仕事柄あって困らない。
【健脚Lv1】。移動時間は時給に入らないからな。
【夜目Lv1】。坑道は暗い。ランタン油は自腹だ。
——試しに窓の外を見ると、月明かりだけの路地で、酒場の看板の文字が読めた。読めてしまった。
——気づけば合計10ポイントを振っていた。
普通の人の二年分。それを一晩で。
三十一年我慢した男の、ささやかで盛大な散財である。
『本日のご利用は10ptです。ご利用は計画的に』
「うるさい」
残高、999,989pt。
……これを全部振ったらどうなるんだろうな。
柄にもないことを考えながらベッドに潜り込む。
体の奥が妙に熱いような、寒いような。
初めてスキルなんてものを取ったから興奮しているんだろう。たぶんそうだ。
……いや。
これ、普通に寒くないか?
関節がぎしりと軋んだ。
悪寒が背骨を這い上がってくる。この感じには覚えがある。熱が出る前のあれだ。
そして思い出す。正団員たちがスキルを大きく振った翌日に取る、あの羨ましい制度の名前を。
——スキル副反応特別休暇。
「……最悪だ。これが副反応かよ」
◇◇◇
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【スキルボード】
氏名 :レント
レベル :999/999(MAX)
スキルP:999,989pt
取得済み:身体強化Lv1/気配察知Lv1
健脚Lv1/夜目Lv1
備考 :副反応を発症しています
(ご利用は計画的に、と申し上げました)
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