第16話 スタンピード(後編)
オーガロードが、吠えた。
空気がびりびりと震え、足元の砕石が跳ねる。
俺は半歩だけ前に出て、背中のエリスさんに言った。
「下がっていてください」
「で、でもっ」
「大丈夫です。——これでも、この道十六年なので」
◇◇◇
結論から言うと、大丈夫ではなかった。
初撃の棍棒を、【気配察知Lv5】の警告ぎりぎりで転がって避ける。着地点の石畳が粉砕された。
当たれば死ぬ。それはいい。ダンジョンとは元々そういう職場である。
転がりながら斬り返す。狙いは正確に急所——首の付け根。
——浅い。
手応えが、岩を叩いたそれだ。刃は瘤だらけの外皮に食い込み、その下の脂の層で止まった。
知っている感触だ。解体なら、ここは鉈で割る部位である。剣で撫でて通る場所ではない。
【身体強化Lv7】の全力で、皮膚一枚。その下の腱まで、届かない。
二撃目は、避けきれなかった。
棍棒の風圧だけで体が浮き、壁に叩きつけられる。口の中に鉄の味が広がった。肋のどこかが、嫌な音を立てている。
「レントさんッ!!」
「来ないで、くださいッ!」
立て。立つんだ。
俺が落ちれば、次はあの子だ。
三撃目を凌ぎ、四撃目で転がり、五撃目で剣ごと弾き飛ばされた。
膝をつく。視界の端が赤い。
急所は見えている。手順も分かっている。十六年の経験(K)が、しかし同時に、冷静な結論も出していた。
——届かない。
今の俺の出力では、こいつには届かない。
足りないのは腕でも度胸でもない。
力だ。単純な、出力だ。
なら——買うしかないだろう。
「……板ァ!」
視界の隅のボードに向かって、俺は吠えた。
「戦闘系のスキル、見繕え! 強い順だ!」
『かしこまりました。ご予算は』
「1,000だ!」
一瞬、ボードの表示が止まった気がした。
『……一括でのご利用ですね。本当によろしいですか。この量ですと、副反応は二日では済みませんが』
知っている。10で二日。1,000なら、考えたくもない数字になる。
だが副反応は、明日の俺の問題だ。
あの子が齧られるのは、今の問題である。
「かまわん! やれッ!」
『承りました。——毎度ありがとうございます』
◇◇◇
世界に、火が入った。
【剣術LvMAX】。
握り方しか知らなかった剣の、千の型が、いきなり体に馴染む。
【身体強化LvMAX】。
軋んでいた足が、大地を噛む。
【気配察知LvMAX】。
オーガロードの筋肉の膨らみ、体重の移動、次の一撃。全部が「見える」。
そして——世界が、止まって見えた。
振り下ろされる途中の棍棒が、空中で静止している。
ゆっくりなのではない。俺が、速いのだ。
——なら、仕上げだ。
力は、たった今買った。
急所なら、昔から知っている。
俺は十六年、魔物を解体してきた男だ。
ホーンラビットも、オークも、ケイブベアも。皮を剥ぎ、腱を外し、骨を割ってきた。
どこが硬くて、どこが薄いか。どこを断てば巨体が崩れるか。
魔物の体の構造なら——たぶん、この職場の誰よりも詳しい。
勘で、初動を読む。
経験で、皮膚の薄い一点を測る。首の付け根、左腱の裏。解体で言う「外し所」だ。
度胸で、棍棒の内側へ踏み込む。
スキルは、たった今もらった。
だが剣は——この体で覚えてきたものは、ずっと俺のものだ。
「我流剣技——【KKD斬り・改】」
一閃。
オーガロードの巨体が、ゆっくりと傾いで。
地響きを立てて、倒れた。
◇◇◇
しん、と坑道が静まり返った。
群れは掃討した。原因も、消えた。スタンピードは——終わった。
「……あ、あの」
エリスさんが、恐る恐る口を開いた。
「レントさん。あなた、何者ですか」
「ただの派遣です」
「ただの派遣は、オーガロードを一撃で倒しません……!」
「腕のいい派遣です」
俺は剣を収め、それから、いつも通りの仕事に戻った。
つまり、素材の回収である。
「な、なんで解体を始めるんですか!?」
「オーガロードの角は高く売れるので。……ああ、いえ。癖ですね。すみません」
十六年の癖は、世界がひっくり返っても抜けないらしい。
◇◇◇
角を袋に納めた、その時だった。
——来た。
膝から、力が抜けた。
視界が回る。体の芯が、燃えるように熱い。関節という関節が軋みを上げる。
10ポイントで、二日。
今日使ったのは——1,000。
……最悪だ。明日どころか、今来た。
崩れる俺を、エリスさんが受け止めた。
何か叫んでいる。声が、遠い。
薄れる意識の端で、彼女が俺を担ぎ、閉じたゲートに手をかざすのが見えた。
正団員の紋章が光る。封鎖された扉が、彼女の権限で、開いていく。
おい。待て。
俺はそれ、通る権限が——
そこで、意識は途切れた。
◇◇◇
――――――――――――――――
【スキルボード】
氏名 :レント
レベル :999/999(MAX)
スキルP:998,727pt
取得済み:剣術LvMAX/身体強化LvMAX
気配察知LvMAX/縮地Lv3
剛体Lv3 ほか十八件
備考 :副反応を検知しました
(お見積り:約三週間)
――――――――――――――――




