第14話 スタンピード(前編)
朝一番、前線基地の魔導ゲートが光った。
エリスさんだった。徹夜明けの顔で、紙の束を抱えている。
「照合、取れました!」
過去のスタンピード記録。彼女はそれを指揮所の机に広げた。
「感知水晶の濁り、下層個体の遡上、入口付近の骨の堆積——発生前の兆候と全部一致します。記録では、兆候から発生まで最短で二日。撤収を進言します」
指揮所の空気が、変わった。
俺が言った時は参考資料行きだった内容が、正団員の口から出ると、届く。
……良かった、と思う。本当に思う。
ただ、エリスさんが一瞬だけこちらを見た。複雑そうな顔だった。
「あなたが先に言ったのに」という顔だ。
いいんですよ。届いたなら、誰の口からでも。
結論は「即時撤収」とまではいかなかった。期日があるからだ。
それでも「警戒態勢で段階的に撤収」。同時に、本部へは増援の要請も飛んだ。ゲートがあるから、早ければ今日中に第一陣が来る——はず、だった。
上出来である。この職場にしては。
◇◇◇
撤収は、隊列を組んで始まった。
警戒はしていた。備えてもいた。
——それでも、間に合わなかった。
最初に来たのは、音ではなく風だった。
坑道の奥から、生温い風が押し出されてくる。獣の臭いを乗せて。
「総員、警戒——」
号令が終わるより早く、壁が、爆ぜた。
噴き出してきた。
ブラッドウルフ。グレイオーク。ケイブベア。名前も知らない下層の影。
種族もばらばらの魔物が一つの濁流になって、坑道を埋めて押し寄せてくる。
スタンピード。
備えていて、なお——数が、桁違いだった。
「ひっ」
隊列の後ろで、指揮役が尻餅をついた。ドルフさんである。
「ぼ、僕は本部に状況を報告する義務があるから! あとは頼んだ!」
言い終わる前に走り出していた。速い。さすが正団員の脚力である。是非とも前衛で活かしてほしかった。
指揮が、消えた。
隊列が崩れる。悲鳴。逃げる方向すら、ばらばらになりかける。
——ああ、もう。
「全員、魔導ゲートまで走れッ!!」
腹の底から出した声は、我ながらよく通った。
十六年、誰も俺の声なんて聞かなかったのに、こういう時だけみんな従うのだから現金なものである。
——ただし、全員がゲートで帰れるわけではない。
ゲートを通れるのは、権限を持つ正団員だけだ。
資材運びに来ていた派遣四人は、待避所の手前で二手に別れ、昇降機側の坑道へ走っていった。あいつらは地上まで、自分の足で逃げるしかない。
「背中を見せるな、下がりながら走れ! 最後尾は俺が受け持つ!」
殿。退却する隊列の一番後ろに立って、追ってくる敵を食い止める役である。
誰がやるか、見回すまでもなかった。やる奴がいないなら、俺だ。
どうせ俺にはゲートの権限が無い。最後まで自分の足で走って出るしかない身だ。
つまり一番後ろが、一番の適任である。権限的に。
この役は時給に含まれてるんですか、とは聞かなかった。
聞く相手が、もういなかった。
◇◇◇
撤退戦というのは、地味で忙しい。
迫る先頭の個体だけを間引く。緩んだ岩を落として道を塞ぐ。列の最後尾が転べば襟首を掴んで走らせる。
手加減の演技をしている余裕はもう無い。幸い、この乱戦を観察している暇な奴もいない。
殿の仕事は、ゲートへ下がる正団員の隊列を守ることだけではない。
昇降機へ走る派遣たちへの追手も、ここで斬り落とす。見慣れた作業着の背中が一つ、また一つ、坑道の角を曲がって消えていく。
……よし。走れ走れ。日当を無駄にするな。
やがて遠く、待避所の方から点呼の声が聞こえた。
「——正団員十八名、全員避難完了!」
「よし、ゲートを封鎖しろ! 魔物を一匹も通すな!」
……全員、完了。
俺が、まだ中にいるんだが。走って逃げている派遣たちも、まだ坑道の中だが。
知っていたとも。緊急時の点呼名簿に、派遣の名前は無い。
避難計画にも安否確認にも、俺たちは最初から数えられていない。
だから最後尾が務まるのだ。誰も俺を待たない。だから俺は、誰の避難も邪魔しない。
それに、封鎖そのものは正しい判断だ。
ゲートの先は、クラン支部の〈ゲートの間〉。その先はもう街だ。この濁流を通すわけにはいかない。
それに坑道には、昇降機へ走っている派遣たちがいる。ゲートを開けたまま群れを引き込めば、あいつらの退路ごと吞まれる。
権限があろうがなかろうが、あの扉はもう誰のためにも開かない。開いてはいけない。
……最悪だ。誰も見ていないからサービス残業確定じゃないか。
名付けてZaaS——残業・アズ・ア・サービス。残業を無料でご提供するという、画期的な仕組みである。
しかも、帰りの門が閉まった。
心の中で軽口を叩いた、その時だった。
【気配察知Lv5】が、あり得ないものを拾った。
閉じかけたゲートの光を——**逆向きに**くぐってくる、人間の気配。
「レントさんが、まだ中にいますッ!!」
見慣れた金色の髪が、収縮していく光の輪を飛び抜けた。
その直後。
ゲートは完全に閉じ、待避所の喧騒も、光も、ぷつりと断ち切られた。
名簿に載っている側の人間が。
「全員避難完了」の、全員に入っていたはずの新人が。
名簿に載っていない男のために、閉まる扉を逆走してきた。
——退路は、消えた。
魔物の濁流のただ中に、俺とエリスさんだけが、残された。
◇◇◇
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【スキルボード】
氏名 :レント
レベル :999/999(MAX)
スキルP:999,727pt
取得済み:身体強化Lv7/解体Lv4
気配察知Lv5 ほか十六件
備考 :点呼を実施しました
(在籍一名。全員無事です)
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