表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
9/12

第九話 決戦

 紅雪(こうせつ)夕顔(ゆうがお)の二人が連れてこられたのは、奥ノ院(おくのいん)の庭だった。

 低木がきれいに整えられ、茂っている。紅白の入り混じった、小さな毬のような花が一面に咲き、甘い香りを放っていた。早咲きの沈丁花(じんちょうげ)だ。

(これが、あたしが最後に目にする景色になるのね)

 この状況においては、あまりに儚く、美しい景色だった。

 山箭(さんや)の掲げる篝火(かがりび)が、目の前の女の姿を浮かび上がらせている。

 真珠のような光沢を放つ白糸が織り込まれた、薄鼠(うすねず)の衣の上から、鮮やかな濃紫(こむらさき)の長衣を羽織っていた。それが冷たい風になびくたび、金糸で施された獅子の刺繍がきらきらと輝いた。贅沢で、豪奢(ごうしゃ)な装いだった。

 高く結い上げた黒髪には、いくつもの翡翠のかんざしが飾られ、女はそれを揺らしながら、紅を引いた唇に愉悦(ゆえつ)の笑みを浮かべているのだった。

「美しいであろう?わらわの、沈丁花の庭だ」

 (あや)は、ひざまずく二人を見下ろし、うっとりと言った。

「わらわは美しいものが好きだ。以前に植えられていた醜い木々はすべて刈り取り、このように作り変えさせた。あの女が作ったものはすべて、当人同様、醜くてかなわぬ」

 紅雪の隣で、猿ぐつわをされた夕顔が、声にならない声で何かを喚いた。

(あの女って……(うらら)のこと?)

 彼女は、綾の実の姉であるはずだ。その姉から王位を簒奪(さんだつ)したのみならず、このように()(ざま)に言うとは、よほどの確執(かくしつ)があったに違いない。

「あの女に仕えていた者たちも、皆、斬って捨ててやった」

 綾は楽しげに語る。

「中には、わらわにすり寄り、寝返ろうとした者もいた。そのような者たちの、媚を売るさまの何と醜いことか。無論、斬り捨てた。東雲(しののめ)のように、最後まであの女に忠誠を誓い、わらわに楯突こうとした山箭どももいた。そういった者たちは、手ずから首をはねてやった。ただ一人だけ───」

 綾が、何も言わずに手のひらを上へ向けた。

 そのほっそりとした手に、山箭がうやうやしく刀を乗せる。

「───ただ一人だけ、あの女に仕えていた山箭に、わらわのそばに仕えることを許した。あの者は美しかったし、何より、わらわが一番欲しかったものをくれたから。だというのに、だ。まこと、恩知らずも(はなは)だしい」

 すらりと刀が抜かれる。

 まっすぐな刀身は美しく、篝火の光で白く輝いた。

「気に入らぬな」

 綾は、紅雪の鼻先に刃を向けた。

「その目つきだ。それが気に入らぬ。もっと恐れろ。泣け、喚け。わらわを畏怖(いふ)せよ」

 綾は刀の切っ先で、紅雪のあごを上げさせた。

 すばやく、なめらかで、繊細な動きだ。刃が食い込んだ喉元から、わずかに血が伝い落ちる。

(お母さん、お父さん)

 紅雪は死を覚悟して、ぎゅうっと目を閉じた。

 泣くまい、震えまいとしていたが、もう限界だ。じわりと涙が滲む。

雨星(うせい)、あなただけでも、どうか生き延びて)

 走馬灯とでもいうのだろうか、目の前をさまざまな思い出が行き過ぎていった。扇市(せんし)での何気ない日々。楽しかったこと。笑いあったこと。愛する家族。いつも隣にいた雨星。互いに髪を編んだこと。雨星の、柔らかい、赤みがかった茶色の髪。

 赤い髪。

 孔雀石のような、緑の瞳。

理生(りお)

 喉がひくりと引き攣った。涙が溢れる。

(助けて)

 刀を振るうにつれて、綾の豪奢な衣が、ばさりと(ひるがえ)った。

 刃は(あやま)たず、紅雪の首を───。

「ぎゃあ!」

 ふいに響き渡ったその悲鳴が、自分が上げたものであると紅雪は思った。

 だがしばらくして、そんなはずはないと思い直し、ぱちりと目を開けた。

「え?」

 目の前の光景に、思わず唖然とする。

 何が起こったのか、すぐには状況をつかめなかった。それは山箭たちも同じだったようで、揃って凍りつき、すぐには動けずにいる。本来であれば、真っ先に動き出し、空から落ちてきた人物に下敷きにされた女王を、その者の尻の下から救い出すべきであったろうが……。

「いたた……」

 その人物は、場違いにのんびりとうめいた。

「おのれ……!」

 その下敷きになっている女王もまた、忌々しげにうめいた。

「何をしておる!早う助けぬか!」

 綾の金切り声に、山箭たちが我に返るよりも先に、紅雪は動いていた。

 さっと立ち上がり、

「今よ、雨星!走って!」

 彼の名を呼ぶとともに、走り出す。

 慌てて起き上がった雨星は、駆け出した。その後を追って、夕顔もまた走り出す。

 庭を囲む回廊(かいろう)には手が届かないが、小柄な人物であれば、土台部分に潜り込むことができた。当然、どこへ続いているのかなどわからなかったが、柱と柱の間を縫うように、三人はがむしゃらに床下を進んでいった。

「え?こ、紅雪?」

 まだ置かれている状況がわかっていないのか、雨星が戸惑いの声を上げた。

「死にたくなかったら走って!」

 振り返ると、維人(いひと)を含む、数人の山箭が後を追ってきているのが見えた。

 やがてその、真っ暗な床下を抜けると───。

「ここは……」

 石積みの塀で囲まれた、開けた場所だった。

 周囲にはたくさんの篝火が焚かれ、石で設えられた、立派な祭壇のようなものが奥に見えるだけで、他には何もない。

(行き止まり?)

「そんな」

 紅雪は、肩で息をしながらうめいた。

(ここまで来て……)

 山箭たちが、ぬるりと背後からあらわれる。

 彼らは次々に刀を抜き、ゆっくりと紅雪たちのほうへと近づいてきた。

「もう諦めなさい」

 これで終わりです、と、維人がため息交じりに告げた。

 わずかに後退った紅雪をかばうように、人影が前へと出る。

 篝火に、見慣れない衣をまとう、見慣れた人物が映し出された。雨星だった。いつも紅雪にかばわれてばかりだった彼が、今は彼女を背にかばっていた。

「狙いはわたしだけのはずだ。彼女たちを殺す必要も、意味もないだろう」

「それは……」

 維人が、苦々しげに顔を歪める。

 その言葉を継いだのは、女の声だった。

「意味ならあるわ」

 回廊を通り、悠々とあらわれた彼女は、軽い動作でその上から飛び降りた。

 夜闇のような濃紫の長衣が、風をはらんでふわりと膨らむ。

 片手に刀をだらりと持ち、小首を傾げて女王は笑った。

「おまえたちを殺せば、わたしがすっきりするのよ!」


               **


「おまえたちを殺せば、わたしがすっきりするのよ!」

 今だ、と理生は思った。

 同時に、屋根の上から跳躍(ちょうやく)しつつ、宙で刀を抜く。やや下方からは、冬来(ふゆき)が同じように刀を抜き、二人は打ち揃って───綾へと斬りかかった。

 だが。

「……!?」

 刃と刃がぶつかり合い、弾かれる。

 綾は、こちらを見ていなかった。大きな隙。完全な不意打ちだったはず。ましてや理生と冬来は、二方向から同時に斬りかかったのである。にもかかわらず彼女は、それらを軽々と防いだのだった。───まるでそうなることを、知っていたかのように。

(でたらめだ)

 理生は毒づき、一旦引こうとした。だがその腕を、すばやくつかまれる。

 細腕からは想像もつかないような膂力(りょりょく)で、綾が理生の腕をつかんでいた。

「久方ぶりだというに、すげない挨拶よのう。理生」

 綾は彼の手をつかんだまま、にたあと笑う。

 その笑みに嫌なものを感じ、手を振りほどこうとした理生に、

「伏せろ!」

 冬来が叫び、問答無用で彼の足を払った。

 頭上を別の山箭が振るった刀が通り過ぎ、助けられたのだと知る。ようやく自由になった体で、理生は飛び退き、大きく距離をとった。浅く息をして呼吸を整え、短く告げる。

「───悪い。遅くなった」

 紅雪は、泣いていた。

 彼女はぽろぽろと涙をこぼしながら、理生、と彼の名を呼んだ。たったそれだけで、ここへ来た意味はあったと、理生は思ったのだった。

「維人!」

 女王が、数人いる山箭のうちの一人に命じた。

「そいつらを殺せ!」

 理生と、理生が背後にかばう者たちを指してのことだ。

 維人は、何かもの言いたげに口を開けたが、結局口答えはせずに、女王の命令に従った。刀をまっすぐに、理生へと向ける。

「おまえまで……!」

 維人は歯を食いしばり、理生をにらみつけた。

 そして、彼に弁解の余地を与えることなく、斬りかかってきた。

 片腕とは思えぬ動きだ。利き腕を失った後も、鍛錬を欠かさなかったのだと理生は思った。剣戟(けんげき)をさばきながら、「下がれ!」と、紅雪たちに叫ぶ。だが、すぐ後ろは石塀である。理生が舌打ちした、その隙を狙い、続けざまに斬撃が来た。彼はそれをいなしながら身を低くし、すばやく短刀を抜くと、維人のあごの下からそれを突き上げた。

「ッ!」

 大きくのけぞり、維人は距離をとる。

 お互いに肩で息をしつつ、向かい合った。

「なぜあの男に味方する」

 維人が問う。

「あ?」

「あの男は、(けい)を───仲間を殺したんだぞ。ぼくたちを裏切った。信頼を踏みにじったんだ!なのに、なぜ」

「味方しているわけじゃない」

 利害の一致だ、と理生は吐き捨てる。

「ふざけるな!」

 維人は激昂した。

「おまえはいつもそうだ!ふざけた態度で、まわりを困らせて楽しんで、かき乱して───そういうところが、ずっと嫌いだった!」

「そうかよ。珍しく気が合うな!」

 同時に跳躍し、ぶつかり合う。

 鍔迫(つばぜ)り合いし、離れる。

「たしかに、おれはいつもふざけてるよ。けど少なくとも、おまえよりは山箭のことをわかってる」

「何だと?」

 維人が不快そうに顔を歪めた。

「慶もそうだったはずだ」

「その口で慶を語るな……!」

 維人のうなり声を無視して、理生は続ける。

「ただ盲目的に、女王に仕え、上役の命令を聞くことだけが、山箭の仕事じゃない。おれたちは駒だが、考える駒だ。そうあれと、おまえも教えられたはず」

「それが何だ!」

 維人は叫び、山箭刀を振りかぶった。

 理生はそれを迎え撃つのではなく、前へ出て、保身を考えぬ動きで以て、先に攻撃へと転じた。ぎょっとする維人の喉首へ、斬りつけるのではなく飛びつき、前腕を押し込んで、彼の体を石塀に強く押しつけた。

「……!」

「なぜ、慶が最初に殺されたと思う。あいつが、おれたちの中でもっとも考える駒だったからだ。あいつはたぶん、冬来を疑っていた。だから真っ先に殺されたんだ」

「黙れ……!」

「おまえが冬来を殺したところで、それは慶の復讐なんかじゃない。おまえは、信じていたのに裏切られたと、泣き喚いているただの子供だ。おまえが抱えているそれは、義憤(ぎふん)なんかじゃない。ただの子供の癇癪(かんしゃく)だ」

「黙れ!」

「本当に大切なことは何なのか、考えることをやめるな。楽なほうへ進むな。誰かに選択を任せるな。苦しんで、悩んで……仕える相手は自分で決めろ。その誰かのために死ね。それが山箭というものだ!」

「うるさい、うるさい!黙れ!ぼくは……!」

 理生は黙って、腕に力を込めた。

 維人はしばらくもがいたが、やがて力を失い、がくりとうなだれた。完全に気を失ったことを確認し、理生は、支えを失って倒れ込む維人の体を受け止めると、静かに地面へ横たえてやった。

「いてえ……」

 クソ、と毒づく。

 先ほど突っ込んでいった時に、二の腕あたりを斬られたのだ。痛みをこらえるように深く息を吐き、理生が顔を上げたところで、

「───冬来!」

 悲鳴が聞こえた。

 雨星の声だった。


               **


「そいつらを殺せ!」

 女王が叫ぶ。

 その彼女に肉薄(にくはく)していくのは、間違いなく冬来だった。

(どういうこと?)

 わけがわからない。そもそも、紅雪が理生と呼んだあの赤毛の男は、女王の命令で雨星を殺そうとしていたはずだ。それがどうして、突如あらわれ、冬来と共闘し、女王と戦っているように見えるのだろう?

 地面を這うがごとく、低い姿勢で綾へと迫る冬来。

 刀を振り抜くが、軽く避けられる。動きづらそうな長衣をまとっているにもかかわらず、綾の動きにはまったく無駄がなく、洗練されていた。

「あはは!」

 綾は、聞く者をぞっとさせるような、狂気じみた笑い声を上げた。

 そして、髪に挿している翡翠のかんざしを一つ、すいっと抜くと───バキンと音を立てながら、それを噛み砕いたのである。

(まさか)

 綾の立ち姿が陽炎(かげろう)のように揺らいだ。

 雨星は、冬来に向かって思わず叫んでいた。

「それは割符だ!彼女は()()()()()を見てる!」

 冬来の答えはない。その余裕がないのだ。

 彼は一切のためらいなく、綾の立ち姿を袈裟斬(けさぎ)りにした。だが、刃は空を切る。

 次にあらわれた時には、二人の山箭と挟み撃ちにする形で、綾は冬来に斬りかかっていた。

「ははっ!」

 綾が笑う。三方向からの攻撃。

 冬来はやや迷いを見せたものの、右手にいる山箭に向かって刀を大きく振り抜き、挟み撃ちを脱した。斬られた山箭は大きくのけぞり、刀を取り落した。それは地面を転がり、雨星たちのすぐそばまで。

 冬来は跳躍し、いくらか距離をとった。

 山箭は残り一人となったが、女王は再びかんざしを抜いた。

「許さない」

 彼女は笑っていた。

 その目は、高揚(こうよう)憤怒(ふんど)でぎらぎらと輝いていた。

「おまえだけは、この手でずたずたにしてやるわ」

 バキン。

 割符を噛み割り、地を蹴る。その姿が揺らぎ、消失する。

 冬来が舌打ちする。その逡巡(しゅんじゅん)の間に、山箭が向かってきた。冬来はそちらに顔も向けずに、太い針のようなものをすばやく投げつける。それが太ももに突き刺さり、がくりと体勢を崩す山箭。そこへ追撃しようとした冬来は、何かに気づいて天を振り仰いだ。

 尋常でない速さの一撃が、頭上から振り下ろされる。綾だった。

 冬来はかろうじて刀を掲げ、その一撃を防いだが、体勢を崩し、そのまま背後に倒れ込んでしまった。

「冬来!」

 たまらず、駆け寄ろうとした雨星のその手を、誰かがつかんだ。

 はっと振り返ると、紅雪と一緒にいた老女が、鬼気迫る表情で彼の手をつかんでいた。よしなさい、と彼女は言う。

(でも)

 冬来は、全身をばねのようにして跳ね上げ、身を起こすとともに、綾に向かって蹴りを放った。しかし彼女は、その行動をわかっていたかのように軽くかわし、鋭い突きを繰り出す。冬来がかろうじて首を捻っていなければ、その刃は彼の喉を突いていただろう。

 綾は片手で次々にかんざしを抜き、噛み割りながら、斬りかかってくる。

 息つく間もなく、正確無比な攻撃を加えられ、冬来は防戦一方となっていった。

 綾が哄笑(こうしょう)する。

 だが、手は止めない。あるだけの割符を使いながら、刀を振り回してくる。冬来の攻撃は、先を読まれているのか、ほとんど通らない。代わりに、綾の先見(さきみ)の刃が、どんどんと彼の体を斬り裂いていった。まさしく先ほどの言葉どおり、綾は、冬来をずたずたにしているのだ。

(冬来……!)

 血飛沫が舞う。

 少しずつ少しずつ、削られていく。

「───」

 冬来の刀が、今までになく大きく弾かれ、隙が生まれた。

 綾は、手の中でくるりと刀を持ち替えると、逆手に、彼の太ももへとそれを深く突き立てた。声にならない叫び声が、冬来の口から漏れる。

「うふ」

 綾は口元をほころばせた。

 膝をついた冬来を見下ろし、一息に刃を引き抜く。

 そして、痛みに顔を歪めながらも刀を振ろうとする彼に、強烈な蹴りを食らわせた。冬来は吹っ飛び、やや離れたところへ倒れる。地面にはすぐさま血溜まりができあがった。

「なぜなの?」

 綾は子供のような口調で語りかけながら、ゆっくりと、彼へと近づいていった。

「なぜ、わたしを置いていくの?おまえはずっと、わたしのものだったのに」

 冬来は答えず、代わりに、落とした刀へと手を伸ばした。

 その手を綾が踏みにじる。

「誰なの?誰が奪ったの?誰がおまえを、わたしから───」

 さまよわせた視線が、ぴたりと、ある一点で止まる。

 雨星のところで。

「おまえ?」

 こぼれ落ちんばかりに大きな目で雨星を見つめ、綾は小首を傾げた。

 ぞくりとして、雨星は一歩後退る。

「やめろ……」

「お黙り」

 綾は冷ややかに言い放つと、逆手に持ったままの刀で、冬来の背中を刺し貫いた。

 雨星は息を呑む。冬来の体は一度、びくんと跳ねた後、動かなくなった。やめて、と雨星は声を震わせた。もういいから。もう戦わないで。

「その目」

 綾がぽつりと言う。

「姉さまにそっくりだわ。顔も、髪も、全然似てないのに」

 ゆっくりと近づいてくる。

 おそらく、あと数歩で間合いだ。

「どうしてかしら。どうして、おまえみたいな弱っちいのが、わたしのことを殺す未来なんて見たのかしら。不思議だわ」

 今となってはどうでもいいけど、と彼女は微笑む。

「おまえという名の災いを、今ここで取り除いてあげる。これでもう、わたしの未来を(おびや)かす者などあらわれない。すべては、わたしのも───」

 不自然に言葉が止まる。

 綾は恐ろしくすばやい動作で、振り返りざま刀を薙ぎ払った。

 鮮血が飛散する。

 雨星の顔や、体にも。

「え?」

 そうつぶやいたのは、綾だった。

「なんで?」

「終わりだ、綾」

 その彼女の向こうで、答えを返したのは、冬来だった。

 前身頃(まえみごろ)をばっさりと斬られ、口から血を吐きながも、冬来は立っていた。

 彼のまっすぐに伸ばした腕の先───刀は、綾の胸元を刺し貫いている。

 銀色の切っ先が、彼女の背中から飛び出ていた。ちょうど、心臓のあたりだ。美しい衣が、瞬く間に血に染まっていく。

「ふ」

 その言葉のみをつぶやき、彼女は、口からごぼりと血を溢れさせた。

 二人が地に倒れたのは、ほぼ同時であった。

「───冬来!」

 雨星は悲鳴を上げて、転がるようにして彼に駆け寄った。

 顔を上向かせ、何度も何度も呼びかける。

「冬来」

 雨星の目からこぼれた涙が、冬来の血だらけの頬を濡らした。

 汚れるのも構わず、袖で、その顔の血を拭ってやる。

「わたし、王になるよ」

 雨星は言った。

「あなたが望むなら、王にだって、何だってなるから。だから、お願い。お願いだから、死なないで」

「───王になんか、ならなくていい」

 雨星ははっとした。

 弱々しいかすれ声だったが、それは、たしかに冬来から発せられたものだった。彼は雨星を見つめていた。とても優しい目だった。

「王になんか、なるな」

 なんで、と雨星は声を詰まらせる。

「あなたは、だって……わたしを、王にしたかったんじゃないの?だから、こんなにまでして……」

「それは、目的じゃなく、ただの手段だ」

 冬来は激しくむせて、血を吐いた。

 背後にいた理生が、もう喋るなと言ったが、構わず彼は続けた。

「おれは、ただ、おまえが無事に生きられるなら、何でもよかった」

「どう……」

 どうしてなの。

 なんで、あなたは、そんなにも、わたしを。

 雨星の涙を拭おうとでもしたのだろうか、冬来がわずかに手を動かした。届かずに力を失ったそれを、雨星は代わりにしっかりと握りしめた。

「……痛いところは、ないか?」

 冬来の問いかけに、雨星は言葉を失った。

 それを───あなたが聞くのか、と。

「ない」

 あるわけないよ、と雨星は何度も首を振る。

「あなたが守ってくれたんだから」

「そうか」

 冬来は安心したようにつぶやき、

「王になんか、ならなくていい。好きなところへ行って、好きに生きろ」

 かすかに微笑んだ。

 そこにいたのは、あの時の少年だった。

 雨星の手を引いて、この国の美しい景色をたくさん見せてくれた、生意気で、でもとても優しい少年。

「あの時、どこにも行くな、なんて、わがままを言ってごめん。もう、そんなこと、言わないから。おれはもう、ついてはいけないけど、おまえが幸せに生きることを、ずっと、ずっと、願って……」

「あなたがいなければ、どこに行ったって意味がない!」

 雨星は絶叫した。

 閉じられてしまったまぶたを、指でなぞる。

「どこで生きたって、幸せになんかなれない。あなたの命と引き換えなんて、わたしはそんなの望んでない。王になるのも、家に帰るのも、あなたが生きてそこにいないなら、わたしは……」

「雨星」

 紅雪が、優しく肩をさすってくれる。

(こんなの嫌だ)

 冬来。

 あなたを守れなかった。

(こんなの……)


               **


(嘘だろ)

 理生は呆然と立ちつくした。

(冬来が死んだ?)

 あの、冬来が?

 悪い冗談だとしか思えなかった。

 雨星の腕に抱かれ、ぴくりとも動かない血まみれの男は、別人のように見えた。青白い顔をした別人だ。でたらめに強くて、いつも何を考えているのかさっぱりわからなくて、女王に贔屓(ひいき)されている、金魚のフンみたいな男。理生の目に映る冬来は、ずっとそんな男だった。気に食わなかった。目障りだった。でも。

(本当は)

 愛する者のために、命ですらかなぐり捨てることができる男だった。

(馬鹿じゃねえのか)

 今死んでどうする。

 全部、これからだろうが。

 理生は拳を握りしめた。

 そして、こちらへと近づいてくる人の気配に気がついた。

(他の山箭たちか?)

 もし山箭だとしたら───状況としては、あまりよくない。

 いくら綾が横暴な君主だったからと言って、後ろ盾もなしに女王を(しい)した形となる雨星が、次の王となるのは容易なことではない。綾が麗を殺して王になれたのは、あくまでその時点ですでに、麗が失政したと判断されており、それと同時に、綾が多くの家臣を籠絡(ろうらく)していたからだ。

 麗は、国財を、貧しい民を救うために使った。

 また、割符(わりふ)を用いて中王国との交易を行おうとした。

 それらすべてを不満に思う家臣たちが多くいたことは事実で、先見の力のほとんどない麗を、女王不適格だと糾弾(きゅうだん)する声もあったのだ。

 綾はそこをついた。

 そういった不満を抱える、影響力の強い家臣たちを籠絡し、王位を簒奪した。彼女は、人の心の弱いところをつき、操るすべに長けていたのである。

 理生は舌打ちし、

「ひとまず、ここを離れよう」

 と提案した。だが、

「冬来を置いていけない」

 雨星が(がん)として離れようとしなかったのである。

 そして、雨星が動かないとなると、紅雪も動かなくなってしまう。

「まずいんだって。人が近づいてきてる。一旦この場を離れて、様子を見てから……」

「あなたたちだけで逃げて」

 雨星は、三人を順に見て言った。

「わたしはここに残る」

「だめよ、そんなの!」

「雨星さま、ともに逃げましょう」

 このままじゃ(らち)が明かない。死んだ冬来のためにも、どうにかして雨星を説得しなければならないが、理生にはどうすればいいのかわからなかった。

 せめて紅雪だけでも、と思い、彼女の腕をつかむと、振り払われた。

「嫌よ。雨星も一緒じゃなきゃ、あたしは───」

「行って」

「だめだってば。あなたも行くの!」

(もう、めちゃくちゃだ)

「───動くな」

 あーあ、と理生は思った。

 これで終わりだ、反逆罪に問われて殺される、と。

 抵抗の意志がないことを示しながら、ぐるりとまわりを見回した理生は、(いぶか)しげに眉をひそめた。

(ん?)

 彼らを取り囲んでいたのが、山箭ではなかったからだ。

 王族を守る私兵ではなく、国を守る軍兵(ぐんぺい)だ。

(どういうことだ?)

 困惑する理生の前を、翡翠色の衣をまとった初老の男が、ついと通り過ぎていく。

 周囲の惨状を見回しながら、女王の亡骸に目をやり、最後に、雨星の腕に抱かれた冬来へと。遅かったか、と彼は言う。

「すまなかった」

 男は、雨星と目線を合わせる形でかがみ込んだ。

「わたしが娘を止められなかったばかりに、冬来にすべてを背負わせてしまった。彼が死んだのは、わたしのせいだ」

 わたしは名を資朗(しろう)という、と男は名乗った。

 翡翠色の衣。その名前。理生はようやくこの男が、符官(ふかん)である、と思い至った。

(娘───綾の父親か)

「きみが雨星だね?」

 資朗は優しく問いかけた。雨星がぼんやりとうなずくと、彼は続けた。

「わたしは、きみの母方の祖父だ。助けに来るのが遅くなってしまったことを、申し訳なく思う。だが、きみのことに関してだけは、間に合ったようだね。───わたしは、きみのことを、麗に任されていたんだよ」

 符官とは、代々の王族男子が務める役職で、適当な男子がいない場合は、王配(おうはい)がその役目を務める。資朗は真子(まこ)の王配で、麗と綾の父親だった。本来であれば、割符に関する権力を持ち、女王による圧政などがあった場合、それに対して諫言(かんげん)するのが符官である。

 だが資朗は、綾を止めることができなかった。

 結果として、二人の娘を失った。

(だが、符官としての立場だけを見れば)

 彼が雨星の血筋を認めれば、大きな後ろ盾になりうる。

 しかも雨星は、死んだと思われていた、先代女王の子なのだ。その子が、横暴な女王を打倒し、見事に母親の復讐を果たしたのである。何というか、それはとても───()()である。家臣のみならず、民の心をもつかむだろう。

「こうなってしまった時には、きみに力を貸してやって欲しいと、麗には言われていた。もちろん、そうならないことを願っていたがね」

 資朗は、呆然とする雨星にそっと手を差し伸べた。

「わたしとともに行こう。綾に仕えていた山箭たちは、我々が掌握(しょうあく)した。きみは───いや、きみたちはもう、安全だ」

 雨星は資朗の手を見つめたのち、冬来へと目線をやった。

 そして……。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ