〜冷雨(13)〜決裂と結託
ゾッとした。
甘えるように美耶の首元に、その可憐な唇を寄せ、囁いた自身の妹に。
目の前に広がる神々の凄烈な争いが、見えなくなった。
「……ね?いいでしょう?姉様。あの方たちは私がいただきますわ」
「……っ!!」
クスリ、と笑うと命神は美耶から離れた。そして、その白い手を天に掲げた。
「来なさい、私の忠実な神。本懐を遂げる道を開く時が来ましたわ」
かわいらしい鈴のような声。その声に、惹きつけられた神がいた。
「ええ、分かっています。全ては我が女神の為に」
「──時神」
優しく、品性溢れる少年神。彼は見たことのないほど甘い笑みを口許に湛え、命神の背後に現れた。彼の全身から滲むのは、深い忠誠心。それは、【時の神殿】で愛おしげに見つめていた美耶へではない。
「やっぱり、『美耶』は『花咲』の身代わりだったんだね」
何百年も、時神が本当に恋い慕い続けているのは、美耶の双子の妹である花咲だ。
花咲が復活する前まで、美耶は命神と呼ばれていた。時神も、美耶のことをそう呼んでいた。
おそらく、神としての記憶を失っていた美耶を神々が『命神』と呼んだ理由には、『盟約』が絡んでいたのだろう。
これ以上なく慕う『命神』花咲が眠りについたことによって、時神が狂わないように、瓜二つの美耶を命神の代わりにしよう、と。
だから、愛する花咲に嫌悪されていたことで同時に時神にも憎悪に近いものを抱かれていた美耶を、時神は愛おしげな眼差しで見つめることができた。
だが、今は違う。
本当の愛する者が復活した今、美耶は時神にとって『敵』だ。
美耶は宙に佇む時神を見据えた。凪いだ瞳で。
彼はあるべき所へ戻っただけだ。本当に愛する女神の元へ。
───これでいい。ようやく型にはまったのだ。
だから、別に悲しくなんかない。
美耶は唇を噛み締めると、胸の奥に渦巻く様々な感情を封じめ、大きく口を開いた。
「樹峯!闇神!類斗!剣神!雷神!盾神!」
この場に集った神々を呼ぶと、美耶は拳を握りしめた。瞼を閉ざし、鼓動を落ち着かせる。
すると、美耶の全身から靄のような白銀の光が溢れ出た。そして、一筋の光線となってそれは星が瞬く天へと放たれた。
これは、神力の放出だ。神が自分の居場所を知らせる為に使う術。だが、様々な者から狙われている【始まりの女神】の一人である美耶がこれを使うのは自殺行為のようなものだ。
けれども、この行動には意味があった。
「姉様……この世界を変える為に、本当に多くの神を敵にまわすのですね」
命神が嘲笑する。目を細めた彼女に美耶は振り向かなかった。
彼女はただ真っ直ぐに、無数の小さな輝きを抱く空を見つめた。
再生神の神カが闇を闇夜を覆い、この世界を抱くように広がっていく。光が拡大して行くたびに、白銀の粉が天から降り注ぐ。これは、雪ではない。美耶に秘められた神としての力の片鱗達だ。
その様子を見つめる闇神は小さく呟きを落とした。
「………【十裏神】【始まりの五神】【三神】【銀】お前達はどんな決断を下す?」
***
「──氷神様」
「何?」
高く聳え立つ塔の壁に背を預け、天を駆け抜ける白銀の光を窓越しに見つめていた少年が、視線を動かさずにその声に応じる。
「『蛇』からの報告です。『ついに、命神が長年の眠りから目を覚ました』と」
「ようやく、か……」
天を見据えるアイスブルーの瞳が細められた。
(待っていたよ、【始まりの女神】。君達がいないと何も始まりはしないし変わりもしない)
「これで、歴史が動くね……」
口許に浮かぶのは微かな愉悦。
脳裏に浮かぶのは双子の女神。
少年の姿を纏う氷神は片手を掲げた。すると、その手から青い冷気な様なものが放たれ、窓を通り抜けると天に昇り詰め、勢いよく弾けた。
「天理、あれをするよ。皆に召集かけて」
「承知」
側近である天理が立ち去る気配がすると、氷神はどこからともなく短剣を取り出し、静かに瞼を落とした。
「また、汚れる時が来たみたいだね……」
開かれたアイスブルーの色が闇に消えた。
***
───白い神カが夜の空を覆ったかと思うと、遠方で青い光が瞬いた。
「あれは、氷神の神カですね………」
指先を口許にあて、目を細めた【銀】は様々な色が輝く天を見上げていた。
真っ暗な夜という名のキャンバスにのせられていく色。それは様々だ。星々の赤、緑、白。氷神の力によって添えられた青。
そして───
「白銀とは、嫌味な色を選びましたね……」
もっといい色があっただろうに。
よりによってかの女神が選んだ色は白銀。【銀】が最も嫌い、憎悪し、そしてそれと同時に、どうしても愛でずにはいられない色。
偶然なのか意図的なのか……、どちらにせよ彼をなんとも言えない気持ちにさせる。
微かな溜息をこぼしたと同時に、彼は無意識に自身の首飾りを強く握っていた。
首飾りから伝わる冷たい感触。彼は瞼を伏せた。
──冷静にならなくては。
天を覆う数々の光。それらに揺さぶられている自身の感情を抑えなくては。感情の起伏はあってはならない。
まだだ。
今は、まだ。
本懐を遂げる日まで、【感情】を沈めなくては。
「……お応え、しますよ」
胸にある全てを心の奥底に封じ込めると、【銀】は右腕を光り輝く夜空へと伸ばし、天に新たな色を咲かせた。
***
新たに上がった銀の光。それを見据える彼は、水色の瞳を眇めた。
「……来たか」
浮かぶのは、笑み。
彼は前髪を搔き上げると、側に佇む女性を横目に呟いた。
「行くぞ。時は来た」
「………全ては、あの方の為に」
女の言葉に口角を上げた男は左腕を高く天に掲げた。そして、女もそれにならった。
二人が見上げる様々な色が重なる空に、新たな色が加わる。
水色の光と白の光が弾けるのを見届けると、二人は音も無くその場から立ち去った───。
***
夜空に咲き誇る、神達の光。
白銀、青、銀、水色、白、そしてそれに続くようにあらゆる方向から上がる新たな光達。
まるで、花火の様だった。
世界に散らばった神達が織り成す、幻想の花火。それを眩げに見つめるのは、この世界で生きる全ての者たち。
「見て、お父様!なんて綺麗なの!!」
「ああ、綺麗だな。神達が騒いでいるんだろう」
───人も。
「あれは最高神達の尽力の光……」
「ついにこの時がやってきたのですね」
───神も。
「ギュウン、ギュウンっ!」
「ええ、綺麗。しっかりと目に焼き付けなさい」
───獣も。
誰もが、空の神秘に釘付けだった。
そして、皆それを様々な感情で見上げていた。
ある者は喜びで。
ある者は悲しみで。
ある者は高揚で。
ある者は憎悪で。
だが、全員、根底には同じ感情を張り巡らせていた。
それは、『緊張』だった。
誰もが、神秘的な光景に息を呑んだ。
ついに、五百年前の続きを完成させる時が来たと。
***
何方にも渡って上げられる光。美耶と同じくらい古い神も新しい神も皆、自身の力の片鱗を打ち上げている。
「美耶」
宙に佇みながら夜空を見上げる美耶にかかった声。その声に視線を動かすことなく、彼女は口を開いた。
「あなた達は、私についてきてくれるの?」
毅然とした声。神としての記憶を取り戻したから冷静さを身に付けることが出来たのか。だが、その肩はあまりにも薄くて頼りない。
そんな彼女を支えるように、左肩に大きな手が置かれた。
「お前の手首に刻まれた俺の【契印】が答えだ。離すわけがないだろ」
「不可抗力だったんだけどね……」
───闇神、あなたは底が知れなくて怖い。
背後から、確かな力を感じる腕が回された。
「僕はどこでもお姉ちゃんについていくよ、ずーっと僕たちは一緒だもんね!闇神、君の【契印】は気づいていたよ。これでしょ?お姉ちゃんの綺麗な手首にこんな事しないでくれるかなー?……殺すよ」
「物騒な発言しないでよ……」
───炎神、あなたはもう愛する類斗じゃない。
目の前を、アッシュグレイの髪が流れた。
「言っただろ?お前がこの世界を動かし、俺を愉しませる事が俺への償いだと。つまらない事をし出したら俺はお前を殺すだろうが、愉しませてくれるうちは守ってやる」
───剣神、あなたは本当にそれでいいの?
闇神、炎神、剣神。
この三人を、私は信じる事ができない。きっと、聡い彼等のことだ、美耶の心の内を見破っているだろう。それでも、この三人は美耶の手を握ると言う。なら、美耶はその手を握り返す。
一人は嫌だから。一人で戦えて行ける力も自信もないから。好きなところもあるから。
「……ありがとう」
実の妹が言った通り、無力で口だけの女神だけど、変えていく。一人じゃなくてみんなで。この弱い自分を強い自分へ変えていく。
美耶は目端に浮かんだ雫を拭うと、目線を下へと移した。そこには、暴れさせていた蔦を封じた樹峯の姿。
彼は、美耶の視線に気付くと甘く微笑んだ。だが、その微笑みからは切なさも感じた。
「樹峯……?」
「さあ、美耶様の神々への宣戦布告が終わったので、始めます」
美耶の呟きを拾わず、樹峯は彼女から視線を外すと、右腕を勢いよく払った。
刹那──
樹峯を主人としていた屋敷が完全に崩れ落ち、その屋敷を支えていた大地が大きく揺れた。地に巨大な亀裂が生まれ、いくつにも裂かれた。先刻も、地が割れたが程度が違う。
慌てて動くより先に、闇神に抱き上げられ、あとに続いた炎神、剣神と共に宙を飛び、その場を去ろうとした。
その時、美耶の目に衝撃的な光景が映った。
「──っ!?」
揺れ動く大地の上に立つ樹峯の横に、妹神花咲が舞い降り、その横に淡い笑みを浮かべる時神が立った。そして、樹峯の後ろには漆黒の衣を靡かせる幻影が現れた。
「き、樹峯……?なんで…」
彼は、さっき言ったじゃないか。
美耶の示した道を自分が切り開くと。美耶を愛していると。
それなのになぜ、こちらではなく、あちらに立つのか。
意味が、分からなかった。
意味を訊く、問い掛けさえ言葉にできなかった。
「──行くぞ」
毅然とした雰囲気を霧散し、呆然とする美耶を抱えたまま闇神と炎神、剣神の三神は彼方へと姿を消した。
***
「いいのか?あの愚女神について行かなくて」
美耶、闇神、炎神、剣神がこの場から姿を消した後、樹峯は美耶達が消えた方に視線を向けていた。
花咲を守るように彼女に寄り添いながら、樹峯を警戒の目で見つめるのは、時神だ。
樹峯は薄く笑った。
「あの方の隣には憎い闇神がいますから。近寄りたくもありませんよ」
「一体どういう心境の変化だ?あれだけあの愚女神に執着していたというのに」
よく言う。
樹峯は湧き上がる嫌悪感を止めることができなかった。
誰よりも深く恋慕っていた花咲が長い眠りについたことにより、かつてのように狂った時神は、自己防衛の為に、無意識に【命神】花咲を【再生神】美耶に重ねた。
大丈夫。花咲は異世界で眠りから覚めて起きている。
異世界で過ごしているという美耶を花咲の代わりにし、花咲が無事であるという認識を欲しがったのだ。
頭の奥では、花咲と美耶は顔が似ているだけで別者だと理解できていたというのに。
だが、本当の【命神】花咲が眠りから目覚めた事で、その誤った認識も存在の意味を失った。
時神は、正常を取り戻したのだ。
その呆気ない変わり様に、美耶への態度の変化に樹峯は吐き気がした。
(散々美耶を利用しておいて、よく平然としていられる)
殺したい。
爪を剥ぎ、手足を切り落とし、肉を抉り、永遠の苦痛を味合わせてやりたい。
美耶が浮かべた表情。復活した花咲に真っ直ぐに向かい、花咲だけを想う素振りを見せた時神を見た美耶からは痛みの気配が滲み出ていた。
【花咲】の代わりとしていたからには、少なからず、美耶には甘い言葉も笑みも向けていたのだろう。時神は、その礼儀正しさと浮かべる柔和さで他者を懐柔するのが早い。
美耶も、その影響を受けたのだろう。心から頼れる者もいない異世界の中でなら尚更。
時神に惹かれるのは許せないが、彼女が利用されるのも許せない。ましてや、彼女を傷つけるなど。
「あなたには関係ないです。それより、あなた達はこれからどうするんですか?」
殺したい。痛め付けたい。
だが、今はその時ではない。
「もちろん、味方を招集することから始めますよ。ねえ?花咲様」
自分には、周りを踏み付けてでも優先しなければならないことがある。
「ええ。これからは、五百年前の戦いの時以上の血が降り注ぐでしょうから、沢山のお仲間が必要です」
「あなたに陶酔している者達は沢山いますから、すぐに集まりますよ。──では、参りましょうか」
「そうね。あっ、待って」
差し伸べられた時神の手に自身のそれを重ねようとしたが、何かに気づいたように命神は身を翻した。
「ねえ、大地神。あの神たち、もう用済みなんでしょ?なら、私が彼達を貰ってもいい?」
無邪気な子供のような笑みを浮かべ、小首を傾げてみせる彼女。そんな彼女と目を合わすことなく樹峯は言った。
「好きにして構いませんよ」
息を呑む気配。それが、遠くに立ち尽くす盾神から放たれたなど言うまでもない。
雷神は無表情だった。
パンッ、と両手を鳴らした命神は満面の笑みを浮かべた。
「ありがとう!」
「盾神、雷神お前たちは大地神に捨てられたんだ。今からは花咲様がお前たちの主だ。これからはこの方に大人しく従え」
嫌でも、逆らいたくても、主人の樹峯に捨てられた身だ。その上で逃げても、圧倒的な力を持つ【始まりの五神】時神に殺されるので盾神と雷神は命神に従う以外の選択肢はなかった。
「森…大地、神様……」
か細い声で盾神が発したが、それに樹峯は応えなかった。
「花咲様が目覚めたからには、この場所にもう用はありません。さあ、行きましょう」
「ええ、そうね。──大地神、また会いましょうね。本当はあなたの力が欲しかったのだけど、また別の機会でいいわ。また邂逅する時はそう遠くないのだから」
余計な事は言わず、早く消えろ。
腰の剣の鞘に置いた右手が、刀身を抜いてしまう前に。
「じゃあ、またね」
そう言い残して、花咲は消えた。時神も盾神も雷神も、姿をかき消した。
瓦礫の山の上に、一人佇む樹峯。
緩く一つに結ばれた長い髪が風に揺られる。
「ついに、始まるか……」
何十、何百もの光が輝く夜空。数多の神が再生神に反応している。
樹峯はほくそ笑み、右腕を天に伸ばした。
「───全ては美耶、お前の為に」
天に、緑の花が咲いた。
次回より、激動の新章開幕です。




