〜冷雨(10)〜刻まれる思いと偽りの女神
「時神……長年【時の神殿】から出てこられず、我々に干渉してこなかったあなたが何故、ここに?」
冷静沈着を決めているのにも関わらず、問いかける盾神からは冷や汗が滲み出ていた。雷神も同様に、警戒を露わに、雷を纏い始める。
彼らと対峙するのは、時神。
少年の姿だというのに、杖を手にした彼から放たれているのは、全てのものをひれ伏させる威圧感。
時神の紫水晶の目が細められた。
「止まっていた運命の歯車は、かの女神の再臨により再び動き始めたんだよ」
何の感情も読み取れない声でそう呟くと、時神は杖を再度打ち鳴らした。刹那、杖先を中心とした巨大な陣が彼の足元に現れた。無数の紫の閃光が時神の無情を刻んだ顔を照らす。
「僕は、かの女神のために君たちをーー殺す」
「「っ!?」」
非情な声に、目を見開いた盾神と雷神は後退りをし、構え直した。
殺気を纏い始めた時神は、何処からともなく一本の長剣を出現させた。そして、それを陣の上に落とす。
「ーー時を越え、時を司る。僕は【最高神】が一人、時神。弱神よ……大人しく、死ね」
途端、剣を取り込んだ陣の中から、何百にも及ぶ同じ剣が現れ、時神に従うかの様に彼の周囲に浮かび上がったまま静止した。
そして、彼は自身の指を鳴らした。
「行け」
時神の命令が剣達に下されると、剣達は研ぎ澄まされた切っ先で盾神と雷神に狙いを定めた。目で捕らえることが叶わない速さで二神に襲いかかった剣達に、彼らは地を蹴った。
「くそ…っ」
苦渋を浮かべた雷神は、舌打ちをし、司っていた雷を多方に散らせ、飛びかかってきた剣達を打ち落とした。だが、いくら落としても次から次へと彼を狙ってくる為、キリが無い。
「ーーっ、時神、僕たちを殺す暇があるのなら、あちらの方々を屠っては!?」
雷神同様、襲いくる剣達を前に守りの態勢しか取れない盾神は、指令を出すかの様に宙高くで佇んでいる時神に、攻撃を避けながらそう叫んだ。
彼の戦闘へのプライドをなくしたかのような訴えに、驚愕したのは雷神だった。
「盾神……っ!?お前、何をっ」
「……僕は、防御専門の神です。強力な攻撃から身を守る為なら、どんな手段も厭いませんよ。だから、ここは僕に任せて下さい」
そう言うと、彼は雷神を見据えた。
「それに、時神があいつらを消してくれたら、これ以上なく好都合です。炎神は危険すぎる。そして……」
盾神の色素の薄い灰色の目が冷たい光を孕んで細められたその視線の先にはーー幻影。
「あいつは、間違いなく、森神様にとって有害な奴です。まとめて消してくれた方がいい」
おそらくーー否、確実に、自分では幻影を殺すことはできない。盾神は、そう確信している。
幻影。
その名の通り、幻のように正体を掴むことのできない不気味な男。どこからともなく森神の前に姿を現し、気付けば、森神に最も近しい僕となっていた。
数百年も前から、森神の従神であった盾神には分かる。
あの男の存在は、森神に不吉な事をもたらす。
(それだけは、絶対に回避しなくては)
森神は、自分が主として初めて認めた神なのだから。
「……だから、森神様」
ーーあなたは、早くあなたの望みを叶えて下さい。
***
巨大な通りには、風が吹き込み、冷気が彼女の頬を撫でた。同時に、焦げ茶の長い髪が揺れる。そんな彼女ーー美耶の漆黒の目は、視界を覆う光景に大きく見開いていた。
「……この扉、一体何なの?」
「これに名などありません。これ自体は何も重要ではありませんから。ただ……」
美耶は隣の樹峯に問いかけたが、樹峯は返答の途中で一度言葉を切った。そんな樹峯は扉に向かって歩み出る。そして、彼は扉の大きな取っ手を掴みーー扉を開けた。
「っ!?」
「この中にあるのは、世界の宝です。誰も触れられず、誰も目覚めさせることは出来ない。ーーそう、彼女は」
そう呟いた樹峯は淡々としていた。
そんな彼の言葉を不思議に思う暇もなく、彼に手を取られた。そして、そのまま歩き出す。
開かれた、闇の広がる扉の奥へとーー。
「……」
抵抗を忘れない美耶の手首を強く握ったまま、無理矢理彼女を連れ、彼は歩みを早めた。そんな樹峯の端正な顔は平常を装っているものの、どこか緊張しているようにも見えた。ーーその証拠に、彼の首元から一筋の冷や汗が流れている。
(一体、ここに何があるの……)
強大な覇者達が集った【神の間】を抜け出し、樹峯はわざわざ美耶をここへ連れてきた。それも、強制的に。反抗を許さない力で美耶の手首を捕らえて。
無言のまま歩を進める樹峯達の前に広がっているのは、ひたすら闇。果てしなく続く深い闇。
やがて、彼が足を止めた。 突如、掴まれた手首にさらに力が込められる。
手首から伝わってくる痛みに顔をしかめていた美耶に、樹峯は小さな囁きを落とした。
「ーー美耶様、これだけは覚えていて下さい」
「え……?」
落ちてきた言葉に戸惑いを浮かべる前に、彼女は彼の腕の中に捕らわれていた。
何度目になるのか分からない突然の抱擁に瞠目していると、耳元に温かい吐息がかかった。
「あなたは炎神、時神、そして……闇神。決して奴らの花嫁で無い事を」
ーー支配される。
なぜだろう。なぜかそう思った。
彼の声に言葉に腕に、自分自身という美耶の全てを束縛される様な感覚に陥った。それは、これまで彼に囁かれたどの言葉よりも、美耶を捕らえて。
恐怖さえ、覚えた。
彼が、妖艶に笑んだ気がした。次に発せられた言葉は甘く優しい声音で紡がれたものだった。美耶の体を抱きしめる腕の強さが増す。
「あなたは私……いや、俺だけの花嫁。例え、あなたの気持ちが誰に向いていようと……」
熱情を孕んだ声に、抵抗する手は動きを止めた。美耶は一途に自分だけに向けられる思いの深さに、ただ、呆然とするしかなかった。
樹峯は彼女を抱き締めたまま、自身の指を鳴らした。途端、ジュッ、と小さな音を立てた青い火が彼の人差し指の先に生まれた。
二人の間が、小さく照らされる。
「そして、俺が心を許した唯一無二の存在は、美耶、あなただけだということを」
「……っ!?」
底知れぬ思いを込めた言葉と共に、口付けが落とされた先は、首筋。
そこへの口付けが意味することはーー執着。
ふ、と前髪を片手で搔き上げた樹峯の妖艶な笑みが露わになる。凄絶な色気が放たれ、美耶の全身の体温が上昇した。同時に、首元に刻まれた樹峯の【契印】からも熱が発せられた。まるで、彼の思いを告げるかの様に。
「さあ、行きましょう。邪魔が入る前に、あなたにあれをお見せしなくてはなりません」
元の口調に戻すなり、彼は表情を改めた。浮かべられたその表情は、先刻同様、厳しく張り詰めたもの。
彼の手から、一個だった火が何個も現れ、宙に浮かび、天に昇っていった。火の一つ一つが闇を払い、踊るように炎の輪を描いていく。
ーーそして、照らされたモノ
「……え?」
一瞬、何もかもが見えなくなった。
一瞬、何もかもが聞こえなくなった。
意識の全てが奪われた。
そう。
見上げた先にあったモノに。
あったモノ。それはーー。
「私……?」
炎の輪と化した火に照らされ、姿を現したのは、漆黒の葉を生い茂らせた大樹。その周りには、上方、下方、左方、右方、前方、後方、と、六方に大樹を囲うかのように描かれた白の円陣があった。
そして、その大樹の真上にいたのは。
輝かんばかりの金色のウェーブの長い髪に、雪の様に白い肌。古風な衣越しでもわかる華奢な体。神聖で無垢な雰囲気を醸し出す少女だった。だが、彼女の色のわからない瞳は固く閉じられており、まるで、永久の眠りについてしまっている様に見えた。
そして、彼女の顔は、瞳が閉ざされているものの。
「嘘……なん、で」
ーー美耶に、そっくりだった。




