〜冷雨(7)〜光神と闇神
光神は歓喜と憂い、それら二つの感情を秀麗なその顔に浮かべていた。
彼女が待ち望む女神のために、シーツを豪奢な寝台にかけ、小窓に置かれた小さな硝子瓶に小花を一輪生ける。
(どうか、無事でいて下さい。美耶様……)
その名はとても大切なもの。
呟くのも恐れ多い神聖なもの。
けれども、自分は許された。
『帰るところがないのなら、私が面倒見てあげる。だから、私の名前を呼んで。私もあなたの名前を呼ぶから』
ーーねえ、緋蓉?
緋蓉。
その名は女神の名と同様、自分の中で美しく咲き誇っている。
力も無く、誰も必要としてくれなかった自分。
そんなかつての自分を拾い、親愛の情を与えてくれたのは、彼女だけだった。
だから、彼女だけは自分の大切な人。
彼女だけが、自分が仕えるべき神。
「早く、お会いしたいしたいですわ……」
でも、あの敬愛すべき女神の周りを不穏の者達の気配が漂っている。名を呼ぶことが許された自分だからこそ分かる。あの女神は今、危機に瀕している。
(お助けに行かなくては……!!)
でも、自分はここを動けない。
自分はかつて、森神に力の半分を奪われてしまったから。
光神を置き去り、異世界へと旅立ってしまった彼女を追おうとした時に、彼は自分が彼女を追うと宣言し、光神の力を奪っていった。
一度失った力は二度と戻らない。
衰えた自分が彼女を迎えに行っても、彼女を奴等から守れないに決まっている。今の自分はお荷物にしかならない。
だから、あなたに託す。
ーー雷神。
***
同時刻。
「闇神、準備はいい?」
不穏を纏う風が、少年の銀の髪をなびかせた。
少年は彼の後方にある樹木に背を預け、腕を組んで立って魔性の美しさを滲ませている青年を振り返る。
返ってきたのは、苦笑であった。
「準備もなにも、俺には意気込む必要なんかないな」
「はいはい。最強神の余裕の言葉をありがとー」
「お前、だんだん素が表に出てきてるぞ。いいのか?」
それほど、悠長にしていられなくなったのか。
樹木の元に佇んでいた青年は、こちらに背を向けている銀の少年ーー時神を見、目を細めた。
(まあ、もっともそれは俺も一緒なんだがな)
目の前で、大切な神を奪われたのだ。
高位神である炎神の介入により、自分たちに僅かな隙が生まれた。そこを、森神は見逃さなかった。
(いや…)
違う。
隙を作るために、森神は炎神を召喚したのだ。
そして、女神を自分から奪っていった。
「破壊したいな……」
無意識に、血が滲むほど強く拳を握りしめていた。
脳裏を忌々しい顔が幾度も通り過ぎる。
そして、それと同時に、氷の心と呼ばれた自分の胸の中に灯り始めていた火が、大火となっていく。
この炎は、あの女神がーー美耶が灯した。
これは、美耶が森神に連れ去られ、あどけなさを残した彼女の顔が目の前で見られなくなってから、一層激しく男の中で燃え上がった。
ああ、こんなにも。
自分はあの女神を大切に思い始めていたのかと。
そう思う理由は、自分が野望を叶える【鍵】として彼女を望むからではなくて。
きっと。
「俺も随分堕ちたな……」
あの時、彼女に口付けをしてしまった時からもう分かっていた。
彼女に抱き始めていた感情の名を。
ーーそして、彼女と離れれば離れるほどその感情の深さ激しさを思い知らされた。
「やっぱり、無理矢理【陽月の契約】を結ばせていて正解だったな」
そう呟いて、自分の鍛え上げられた胸元を見遣った。
そこには、美耶のそれと同じもの。
紅い月。
(二重契約があれば、奴は美耶を正式な【花嫁】にすることが出来ない)
彼女に【陽月の契約】の契印が二つあるという事は、 美耶は今、森神と闇神という二神に求愛された状態にあるという事だ。
重婚は罪だ。
それ故、闇神の契印が彼女にある以上、森神は美耶と体を繋げる事ができない。
だが、その契約が森神の欲望を叩き切る事ができても、森神は体を繋げる以外の事はできる。
それ故、全身の血が逆流するような感覚を感じられずにはいられなかった。
抑えろ。
抑えろ。
抑えろ。
オサエロ。
今すぐにでも世界を破壊尽くしてしまいそうなこの激情を。
(……もう少しの辛抱だ)
もう少しであの神を屠れる。
もう少しで彼女に触れられる。
「……行くぞ」
目の前にそびえ立つ屋敷を鋭い目で見据えた。
本日中に【腹黒乙女と12の勇者様】更新です。
次回の【キスから始まる物理系女神様の世界更生伝説】は定期更新曜日の木曜日です。




