白呪は風に消える
自分のアパートを出た樹は、近くで軽く買い物を済ませた。短期間とはいえ、手ぶらで人の家に泊めてもらう訳にもいかない。
その後、今から向かうからという旨の電話を怜奈に入れると、『そう』と、相変わらず端的なお決まりの返事が返ってきた。本人の言う通り、人が泊まりに来る事など本当に気にしていないようなその反応に、樹は少なからず苦笑いする。
そして、バスに乗って再び大学の方へと向かった。
すっかり暗くなってしまった秋の空は、太陽が沈むと急激に冷気を運んでくる。
流れていく建物の灯りを横目に、荷物を抱えてバスに揺られる事15分弱。大学に必要な物と着替えと買い物袋を持って、樹は再び大学前のバス停へと下りた。
時間は既に夜の9時をまわっている。大学の前にも、寒さのせいもあるのか人影さえ見当たらない。
とりあえず、もうすぐ着くからという連絡をいれようと、樹はポケットから携帯を取り出した。
男友達の家に行く時は一度連絡を入れておいたらそのまま押しかける時もあるが、女の子が相手だとそうもいかない。
通話ボタンを押して、携帯を耳に当てたまま歩き出す。すると、コール音と重なって何処かから微かに電子音が聞こえてきた。
「……あれ?」
不思議に思って足を止めると、樹が歩いていく先にある街灯から少し離れた場所に、怜奈が立ってこっちを見ていた。黒い服のせいもあって、街灯から離れるとその色は闇に溶け込んだかのように見えにくくなってしまっている。
「…迎えに来てくれた?」
「さあ。外出してただけ」
それでも、おそらく樹が来る頃なので待っていてくれたのだろう。
「ホント、立場逆だな。ありがとう」
「生憎、男に守られるような性分じゃなくてね」
「はは、それは何となく」
解る気がする。
くるりと樹に背を向けると、怜奈はコツコツとヒールの音を響かせて歩き出した。
そのやや斜め後ろを、荷物を持った樹はついて行く。
「――――で、家には何か居た?」
唐突に、例の話が話題に上げられた。
「いや、今日は何も視えなかったよ」
「そう 一応少しは効いたみたいね、それ」
「それ?」
何の事だか解らなかった。
「貴方の鞄に、紐を結んでおいたの 大した効き目は無いけど、少しは効いたのね」
そう言って指差された大学の道具を詰め込まれた鞄を見ると、端の方に細く紅い紐が結ばれていた。ただの赤い糸を何重にも編みこんで結われたと思われる真新しいその紐は、何故か擦り切れたように一部が解れてしまっていて、辛うじてまだ繋がっているような状態だった。
「……紐?」
「魔除け、厄除け」
「へぇ…、そうなんだ」
樹の方に目も向けず、淡々と答えながら歩く。
「まぁ、あまりアテにはしない方がいい ただの気休めだから」
「そうなのか?」
「簡易的なものだからね その場しのぎってやつ。それに、もう千切れかかってるから限界だろうし」
「へぇ…」
相変わらず、そういう方面には少しばかり詳しいらしい。
「―――それはさておき、脳腫瘍じゃなかったみたいね」
「…え?」
突然足を止めた怜奈を不思議に思った樹は、怜奈が見ている先が視界に入って自分も足を止めた。
大学の敷地の横を通る道路と歩道、その歩道に灯る薄暗い街灯の下に、人影が立っていた。
ほんやりと佇んでいる、俯き気味の横顔。
あの、樹と同じ姿をした人影。
「…あ、」
頭から血の気が引いていくのが解った。多少慣れてきたとはいえ、やはり気持ちが悪い。
どうやらそれは、怜奈にも視えているようだった。
こちらに背を向けて街灯の下に佇んでいる影は、樹と同じ姿にも関わらず、まるで生きている気がしないような冷たい気配をしている。なのに、今にも動き出すのではないかと思うような薄気味悪さを感じる。
すると、怜奈が何事も無かったかのようにその影に向かって歩き始めた。
「…おいっ、」
「確かめたいんでしょ?なら迷う事ない」
こんな状況でも、怜奈はいつも通りの平常心というか、無感動だった。危機感が無いのかとも思ったが、おそらくは場慣れしているのだろう。
怜奈はつかつかと影の後ろに歩み寄ると、動かないその肩へと迷い無く手を伸ばした。
どうしていいのか解らずに、樹はただ息を呑む。
すると、やはり突然影は弾かれたように走り出してしまった。
「あ…!」
捕まえなくてはと、樹は反射的に影を追って走り出す。しかし、持っている荷物が多くて追いつけないだろうと思った。またいつものように取り逃がしてしまう。
と思ったその時。
目の前を走っていた影が、ぱぁんっ、と小さな音を立てて消えた。
「……え?」
驚いて立ち止まると、直後、キンッというアスファルトの上に金属が落ちるような音がした。
辺りに広がるのは、何事も無かったかのような冷たい夜の湿った空気。
さっきまで感じていた悪寒のような肌寒さは、ぷつりと途切れたように無くなっていた。
「…一応聞くけど、大丈夫?」
呆然と佇む樹の背中に、抑揚の無い声が投げかけられる。
「…あ、うん、大丈夫」
「そう」
「…何が、どうなったんだ?」
怜奈は呆然とする樹を通り越して、さっきまで影が居た場所へと歩いていき、地面から何かを拾い上げる。
「…それ、」
怜奈が手にしていたのは、金属であるらしい15センチ程の細い針のようなものと、その針に真ん中を貫かれている白い紙だった。
「人型だね。見覚えは?」
「…いや、無い…と思う」
近付いて見てみるとその小さな白い紙は、細い線が平行に何本も引かれ、人型に切り取られていた。
よくまじないや呪術に使われていそうな、無機質な白い人型。
けどその紙自体は、どこかで見た記憶があった。
「…ノート?」
「そんな感じだね」
「ノートの切れ端なんかで、こんな事できるのか?」
「普通は形式を踏むからしないね。ちゃんとした道具なんかを使う事によって、それを使う人物の精神面なんかも安定したりするから。同じように使えるって言われても、安物と高価なものじゃ効き目が違うような気がするものでしょ?」
「…ああ、確かに」
「まぁ、精神面が特化していけばそういう形式を踏まなくても出来る者も居るらしいけど」
「じゃあ、これは、」
「見よう見真似でやってる初心者の仕業じゃないってことだね」
そう言って、怜奈は腰のウエストポーチから古びたオイルライターを取り出すと、片手に持っていたその人型の紙に火を付けた。
「えっ、何やってんだよ!」
「何って、燃やしてるのよ」
「そうじゃなくて、燃やして大丈夫なのかよ、」
言って終わらないうちに、火はあっという間に怜奈の指元まで燃え上がる。そして、指に触れる直前でぱっと手を離すと、中に舞った紙片はあっという間に全部が火に包まれ、黒い灰は風に乗って消えてしまった。
「…何?欲しかった?」
「いや、…いらないけど」
「持ってても危ないだけ。あれを頼りに居場所捕まれても困るでしょ?」
「…ああ、そうか。」
そう言われて、何となく納得したし、落ち着いた。
「とりあえずこれで、可能性が一つ消えたわね。よかったじゃない。脳腫瘍じゃなかったみたいで。」
「…よかったのか悪かったのか解んないんだけど」
何事も無かったかのように冗談めいた事を言う怜奈に、色んな考えがぐるぐると頭で回ってしまっている樹は、最早何と返していいのか解らなかった。
しかし、一つどうしても確かめなくてはならない事がある。
「……なぁ、何でそれ投げたんだ?」
投げた物が何なのかという事は今はどうでもいい。こっちの方が重要だ。
「脳腫瘍じゃないなら、他人にも見えてるなら、俺の霊的な生き写しとか魂とか、そういう可能性が高まったって事だろ?結果的にそうじゃなかったけどさ、見ただけじゃどうなのかなんて解らないのに何でそれ投げたんだ?本当に魂とかだったら俺危なかったんじゃ…」
一瞬の事だったのだ。
樹が怜奈を追い越してすぐ、目の前のものは弾けて消えてしまった。つまり、怜奈はその針を投げる事を躊躇ってなどいなかったのだ。もしそれが魂であれば樹が死んでしまうかもしれないと知っていて。
「……」
「…俺が死んでもいいと思ってるからか?」
「思ってないよ。…とりあえず、説明はするから一旦引き上げない?立ち話も寒いし。」
すっかり冷たくなった空気を運んでくる風が、近くの木々をざわざわと揺らしていた。
「…そう…だな、ごめん、」




