第八話「気持ちです、断りますか?」
【一】
翌朝、セルマが廃屋を訪ねてきた。
手に、小さな革袋を持っていた。
「旦那様からの謝礼です」
差し出された袋を受け取った。ずっしりと重かった。中を開けると、金貨が三枚入っていた。
クロウドは少し間を置いた。
金貨三枚。この街で口先稼ぎをして稼ぐ日銭とは、桁が違った。
「多すぎます」
「いいえ」セルマは首を振った。「エリナのことを思えば、これでも足りないくらいです」
クロウドは革袋を握った。
「……ありがとうございます」
「こちらこそ」セルマは深く頭を下げた。「それと——旦那様から伝言があります。貴族の集まりでのことは、深く反省していると。あのような振る舞いは二度としないと」
クロウドは頷いた。
「伝わったなら、よかったです」
セルマが帰っていく背中を見送りながら、クロウドは革袋を手の中で転がした。
さて、と思った。
使い道は、もう決まっていた。
【二】
「剣を買いに行きましょう」
クレインに言うと、「ああ」と短く返ってきた。以前から言っていた話だった。クロウドの腕前なら、そろそろちゃんとした剣が必要だとクレインも思っていた。
「それと」
クロウドは続けた。
「二人とも、服を新調しましょう」
クレインが眉間に皺を寄せた。
「……なぜ俺の服まで出てくる」
「だって、クレインの服もだいぶくたびれてますよ」
「俺の服に口を出すな」
「仕事を依頼してくる人も、服装で人を判断します。口先稼ぎも、それなりの見た目があった方が信頼されやすい。俺はそれがよくわかってるので」
「それはわかる。だがなぜ俺まで」
「稼いだのはお前だ。俺は何もしていない」
クロウドはにこりとした。
「いえいえ、気持ちです。いつもお世話になってますので」
「世話をした覚えはない」
「剣術を教えてもらってます。飯も一緒に食べてます。廃屋も直してもらいました」
「それは——」
「断りますか? お金、ないのに」
クレインは黙った。
クロウドはにこにこしていた。
「……口では敵わないな、お前は」
「そうですよ」
「仕方ない。付き合ってやる」
言い方は素っ気なかった。でも、その横顔が——悪い気はしていないのが、クロウドにはわかっていた。
【三】
武具屋は市場の北端にあった。
扉を開けると、鉄と油の匂いがした。壁に剣や槍が並んでいた。棚には短剣や防具。店主は五十がらみの小柄な男で、職人肌の目をしていた。
クレインは真っ直ぐ剣のコーナーへ向かった。
一本一本、手に取って確かめた。重さ、バランス、刃の具合。店主に質問した。鋼の産地、鍛冶師の名前、手入れの方法。店主の目が変わった。素人ではないとわかったのだ。
クロウドは横で見ていた。
クレインが剣を選ぶ時の目は、稽古をつける時の目と同じだった。真剣で、丁寧で、妥協がなかった。本来こういう男なんだ、とクロウドは思った。
「これだ」
クレインが選んだのは、飾り気のない直剣だった。刃渡りは標準的。柄の握りが丁寧に作られていた。派手さはないが、実用的で手入れがしやすい。
「少し長いがクロウドの成長と体格と合っている。軽すぎず、重すぎない」
店主に値段を聞いた。クレインが値交渉した。クロウドは口を出さなかった。これはクレインの領域だと思った。
最終的に、銀貨八枚で決まった。
クロウドが革袋から支払った。
剣を受け取ったクロウドは、手の中でその重さを確かめた。木剣とは違う、金属の重さがあった。
「……重いですね」
「すぐ成長してしっくりくる今は重さに慣れろ」
「はい」
次は服屋へ向かった。
クロウドが選んだのは、派手ではないが清潔感のある服だった。濃い灰色の上着に、丈夫そうなズボン。動きやすくて、それなりに見栄えがする。
「クレインのも選んでいいですか」
「……好きにしろ」
クロウドはクレインの体格を見ながら選んだ。深い青の上着。くたびれた今の服より、少しだけ品がある。
「これどうですか」
クレインは受け取って、広げて、また畳んだ。
「……悪くない」
「じゃあこれで」
クロウドはにこにこしながら支払った。
クレインは何も言わなかった。でも、受け取った服をきちんと抱えていた。
【四】
帰り道、二人で並んで歩いた。
新しい服を着て、クロウドは腰に剣を下げていた。布で顔を隠しているのは変わらない。でも、昨日より少しだけ、違う雰囲気があった。
クレインも新しい服を着ていた。本人は何も言わなかったが、背筋が少し伸びていた気がした。
「クレイン」
「なんだ」
「冒険者ギルドって、何歳から登録できるんですか」
クレインは少し間を置いた。
「……十五からだ」
「じゃあ、もう直ぐで14になるのであと一年ちょっとですね」
「そうなんだな」
クロウドは剣の柄に手を当てながら歩いた。冒険者。その言葉が、頭の中で転がった。
「冒険者になると、どう変わりますか」
「依頼の幅が広がる。ギルドを通じた仕事が受けられる。報酬の相場も上がる」クレインは続けた。「腕があれば、街の外に出ることもできる。他の街、他の国——世界が広がる」
世界が広がる。
クロウドは空を見上げた。
あの夜、廃屋の屋根から見た城。灰の街の向こうに、まだたくさんの世界があると思った。
「それまでは」
「鍛錬と、街の御用聞きで稼ぐしかないな」
「わかりました」
クロウドはまた前を向いた。
一年とちょっと。今の自分にできることを、全部やる。口先稼ぎで街を知り尽くして、剣術を磨いて、クレインから世界のことを聞いて——その上で、十五になったら扉を開ける。
「クレイン」
「なんだ」
「冒険者登録したら、一緒に来てもらえますか」
クレインは少し間を置いた。
「……俺はもう歳だ」
「まだ四十代じゃないですか」
「ギルドに顔を出すのは、色々と面倒がある」
「面倒なことは俺が全部やります」
「口先で全部解決するつもりか」
「だいたいなんとかなってますから」
クレインは深く息を吐いた。
「……考えておく」
クロウドは笑った。
この人の「考えておく」は、だいたい「わかった」と同じだと、もう知っていた。
夕暮れのアッシュタウンを、二人で歩いた。
新しい服で、新しい剣を携えて。
灰の街は変わらなかった。でも、二人は少しだけ変わっていた。




