表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
6/31

第六話「二人分の廃屋」


【一】


翌朝、クレインはいつもの場所に立っていた。


クロウドが来ると、昨日巻いた布を見た。血は止まっていた。


「痛みは」


「ないです」


「嘘つくな」


「……少しあります」


「今日の稽古は休め」


クロウドは少し不満そうな顔をしたが、何も言わなかった。クレインが「休め」と言う時は、理由がある。それはもう、わかっていた。


二人で並んで、市場の方向に歩いた。クロウドは仕事を探しに行く。クレインは——特に行く場所はなかった。ただ、気づいたら歩いていた。


しばらく歩いて、クロウドが口を開いた。


「クレイン、一つ聞いていいですか」


「なんだ」


「今、どこに泊まってますか」


クレインは少し間を置いた。


「……宿だ」


「どの宿ですか」


「お前には関係ない」


クロウドは何も言わなかった。


でも、わかっていた。この街で一番安い宿は、市場の裏の木賃宿だった。壁が薄くて、虫が出て、飯も出ない。それでも銅貨三枚かかる。クレインが稼げる日銭を考えれば、毎日払い続けるのは、きつい。


そして、稽古の相場も、クロウドは調べていた。


平民向けの剣術指南——家庭教師として教えてもらうなら、最低でも銀貨一枚は必要だった。クロウドが今稼げる額とは、かけ離れていた。


クレインは何も言わなかった。月謝の話も、一度もしなかった。


それがわかっていたから、クロウドも何も言えなかった。


【二】


市場を一周して、二件の依頼を取ってきた帰り道だった。


クロウドが立ち止まった。


「クレイン」


「なんだ」


「一つ、提案があるんですが」


クレインは歩きながら「言え」と言った。


「二人で暮らしませんか」


クレインが足を止めた。振り返った。


クロウドは続けた。


「街外れの農村の方に、廃屋があるんです。何年も人が寄り付いてないやつで、ほとんどボロボロですけど。二人別々に暮らすより、一緒に暮らした方が家賃が安くなります。廃屋の交渉は俺に任せてください。なんとかなりますよ」


クレインはしばらく黙っていた。


「……何年も寄り付いていないなら、それこそただの廃墟だろう」


「交渉次第です」


「ガキ一人が交渉して、誰が貸す」


「やってみないとわかりません」


クレインはクロウドの顔を見た。


真顔だった。本気で言っていた。


(また、このガキは)


わかっていた。月謝のことを気にしているのだと。宿代のことも、見えているのだと。全部わかった上で、実利の言葉に包んで持ってきている。


気を遣われているのだと思った。


ただ——


(それだけじゃない気もするな、こいつは)


クレインには、なんとなくわかっていた。このガキは、損得だけで動かない。前から、そうだった。市場で最初に声をかけてきた時も、毎日話しかけてきた時も——計算だけじゃなかった。


「……廃屋の交渉が成功したとして、その後が大変だろう」


「直せます」


「お前が、か」


「クレインも手伝ってください」


クレインは深く息を吐いた。


「……俺を顎で使うな」


「お願いしてます」


ニコニコしながら言った。


クレインは空を見上げた。雲が流れていた。しばらく、黙っていた。


「……廃屋を見てから判断する」


クロウドは笑った。


「じゃあ今から行きましょう」


「話が早すぎる」


【三】


街外れの農村は、アッシュタウンの喧騒とは切り離されたように静かだった。


畑が広がって、遠くに農家の煙突が見えた。その外れに、問題の廃屋があった。


クレインは腕を組んで眺めた。


壁にひびが入っていた。屋根の一部が崩れていた。窓枠が朽ちていた。扉は蝶番が外れかけていた。


「……これは廃屋というより廃墟だな」


「言いましたよね、ボロボロだって」


「聞いていたが、想像の上をいった」


クロウドはすでに近隣の農家に向かっていた。一番近い農家の扉を叩いた。出てきた老人に、にこやかに話しかけた。


クレインは遠くから眺めていた。


老人は最初、渋い顔をしていた。クロウドの顔の布を見て、一瞬眉をひそめた。でも、クロウドは怯まなかった。話し続けた。老人の表情が、少しずつ変わった。


十分もしないうちに、クロウドが戻ってきた。


「交渉成立です。あの廃屋、もう十年以上誰も使っていないそうです。取り壊す手間も省けると言ったら、月に銅貨十枚で貸してもらえることになりました」


クレインは黙っていた。


「二人で割れば五枚ずつです。俺の今の宿よりだいぶ安いですよ」


「……お前の今の宿はいくらだ」


「一日銅貨一枚です。まあ雨漏りしてますが」


クレインはもう一度廃屋を見た。


屋根の崩れた廃屋と、雨漏りする宿。どちらがましかという話だった。


「……直せるのか、本当に」


「やってみないとわかりません」


「それしか言わないな、お前は」


「だいたいなんとかなってますから」


クレインは深く息を吐いた。それから、廃屋の扉を押した。蝶番がきしんだ。中は埃だらけだった。でも、壁の基礎はしっかりしていた。屋根も、崩れているのは一部だけだった。


「……修繕の材料代はどうする」


「依頼を増やします。クレインも手伝ってくれるなら早く終わりますよ」


「また勝手に頼る」


「お願いしてますよ」


クレインは埃だらけの床を踏んで、部屋の中を歩いた。窓から農村の景色が見えた。静かだった。アッシュタウンの裏通りとは、空気が違った。


悪くない、と思った。


思っていないふりをしたが、思っていた。


「……わかった」


「本当ですか」


「ただし条件がある」


「なんですか」


「飯は交代で作る」


クロウドは一瞬、間を置いた。


「……俺、あまり作れないですよ」


「俺も大して作れん。だから交代だ」


クロウドは笑った。


「わかりました」


【四】


その夜から、二人は廃屋の修繕を始めた。


昼はクロウドが依頼をこなして材料代を稼ぎ、夕方にクレインと二人で直した。クレインは意外と手が器用だった。元軍人らしく、作業が手際よかった。


稽古も続いた。


「お前に、ちゃんとした剣を持たせる」


ある夕方、修繕の手を止めてクレインが言った。


「木剣じゃなく、ですか」


「先日みたいな場面になった時、木剣では限界がある。ちゃんとした剣があれば、またあの状況でも違う動きができた」

「あと剣の重さに慣れておいた方がいい」


クロウドは頷いた。


「お金が貯まったら、ですね」


「まあその時俺が選ぶ。お前はまだ目利きができないからな」


「……任せます」


クレインは修繕の作業に戻った。


二人分の廃屋は、少しずつ形になっていった。


ある夜、修繕を終えて外に出ると、星が出ていた。アッシュタウンの裏通りより、ずっと広い空だった。


クロウドは顔の布を外し星を見た。


(……広い)


城を見上げた、あの夜を思い出した。灰の街から始めりゃいいと思った夜。あの時は一人だった。


今は、隣に誰かがいた。


クレインは何も言わなかった。ただ、同じ空を見ていた。


それだけだった。


でも、それで十分だった。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ