第三十話「机にしがみついた日々」
【一】
朝飯の席で、クロウドは言った。
「これから銀行を作る準備で、帰りは遅くなります」
クレインが箸を止めた。ルナが顔を上げた。ソラがお茶を注ぎながら、静かに微笑んだ。
ルナが口を開いた。
「……あんた、何をやってるんだか」
「俺もよくわかりません」
クレインは深く息を吐いた。
「まあ——頑張れ」
それしか言えなかった。全く予想がつかなかった。あいつは一体何をやっているんだと思いながらも、それしか言えなかった。
クロウドはにこりとした。
「ありがとうございます」
【二】
ギルドの一角に、木札がかかった部屋があった。
**信用銀行(仮)**
と書いてあった。
クロウドはその部屋に入った。
机が一つ。椅子が二つ。棚が一つ。それだけだった。
(まずは事務所ってとこだな)
そう思いながら、椅子に座った。
ギルドマスターが後ろから入ってきた。
「銀行の予定地はギルドの建物の横にする予定だ。ギルド内で銀行も併設すると建物の中がごっちゃ返して大変だからな。ただ——ギルドと銀行の間には渡り廊下を作る予定だ」
「渡り廊下」
「連携が取りやすくなるし、管理もしやすい」
クロウドは少し考えた。
そして、笑った。
「銀行強盗も入りにくいですね、それ」
ギルドマスターは一瞬間を置いてから、低く笑った。
「……そういう見方もあるな」
仕組みを練り始めた。
一つ一つ、丁寧に。
預金の仕組み——誰でも預けられる。最低預け入れ額はいくらか。引き出す時の手続きはどうするか。
貸付の仕組み——誰に貸すか。審査はどうするか。返済できない場合はどうするか。
金利の設定——預ける側への利子。借りる側の利息。その差がギルドの利益になるよう設計する。
漏れはないか。抜けはないか。
考えながら、前世の記憶が流れ込んできた。
夜遅くまで机にしがみついて資料を作っていた日々。次の日も、その次の日も。上司に提出して、赤ペンで直されて、また作り直して——
(あの頃と同じだな)
場所が違うだけで、やっていることは変わらなかった。
【三】
合間にはギルドと打ち合わせをした。
建物の設計から始まった。窓の位置、入り口の数、金庫の場所——一つ一つ確認した。
人員の配置も決めた。受付に何人必要か。金庫の管理は誰がするか。貸付の審査は誰が担当するか。
個人に渡す銀行手帳も作った。
預け入れた金額が記録される小さな手帳だった。ギルドマスターが「何のためにこれが必要だ」と聞いた。クロウドは「信頼のためです。自分のお金がいくらあるか、目で見てわかる方が安心する」と答えた。ギルドマスターは少し考えてから頷いた。
日々が、あっという間に流れていった。
朝にギルドへ行って、夜に猫草亭へ帰る。その繰り返しだった。
ルナが時々、昼飯を持ってきてくれた。「通りがかっただけよ」と言いながら。クレインが時々、夜に迎えに来てくれた。「散歩の途中だ」と言いながら。
クロウドは毎回、ありがとうございますと言った。
毎回、二人とも何も言わなかった。
【四】
冬に差し掛かろうとした秋になった。
ミルガの秋は肌寒かった。木々が色づき始めていた。猫草亭の屋根に葉が落ちていた。
ある日、クレインがクロウドに言った。
「クロウドよ。当たり前になっていたが、お前が帰ってきて半月にはなるがいつまでもお世話になっていてはいかん気がする。ソラ達は嫌な顔一つしないが、こちらから切り出した方がいい気もするんだが」
クロウドは少し赤くなった。
「ですね。いつまでもお世話になりっぱなしもいけませんよね」
「自分のことでいっぱいになって、周りが見れてませんでした」
クレインは腕を組んだ。
「この街でも安心できる拠点探しでもするか」
「そうですね。家を買いに行きましょう」
「家とは思いきったな。金は大丈夫なのか?」
「クレインには言ってませんでしたっけ?前のダンジョンの素材が意外に高く売れてたんですよ。安心してください」
「聞いてない。まあ——お前の懐事情に興味はなかったがな」
「預けてたお金を少し使いましょうか」
二人で街を歩いた。不動産を扱っている商人のところへ行った。
豪勢な家は選ばなかった。
でも——アッシュタウンの廃屋とは、全然違った。
石造りの壁。ちゃんとした屋根。窓から光が入ってくる。二部屋あった。小さな庭もあった。
「……いいですね」
「そうだな」
クレインは内心、驚いていた。懐事情には興味ないとは言ったが、こんな街中で家を買うとは思っていなかった。いったいいくら手に入れたんだか。
その日のうちに、話がまとまった。
休みの日は家具を揃えた。
市場で椅子と机を買った。クレインが「この棚は作れる」と言って、木材を買ってきた。二人で組み立てた。不器用ながら、なんとか形になった。
「……歪んでますよ」
「黙れ」
ルナが遊びに来て「なにこれ」と言いながら、棚に置く小物を一緒に選んでくれた。
ソラが「うちよりいい家になってきたじゃないか」と笑った。
とても充実していた。
地下での孤独な日々が、嘘のようだった。
ある日、クロウドはギルドマスターに頼み事をした。
「鍛冶屋さんを紹介してもらえますか」
ギルドマスターは少し首を傾けた。
「鍛冶屋?……何を作る気だ。剣か?」
「いいえ」クロウドはにこりとした。「ちょっと必要なものです。とりあえず急ぎで作れるかどうか確認したいんですが」
「……何を作るんだ」
「次の打ち合わせで説明します」
ギルドマスターはしばらくクロウドを見ていた。
「……わかった。紹介する」
何を考えているのか全くわからない少年だと、ギルドマスターは改めて思った。
そんな頃だった。
街の路地裏で、二人の男が話していた。
「信用銀行とやら、開業前から噂になってるな」
「ああ。庶民でも預けられる銀行だと。ギルドが後ろ盾らしい」
「……面白いじゃないか」
男は薄く笑った。
「金が集まる場所には、必ず——機会がある」
もう一人の男が小声で言った。
「どうする気だ」
「まあ考えはある」
路地裏の闇の中で、男の目が光った。




