第二十九話「思いもよらない提案」
【一】
ミルガでの日々は、穏やかだった。
猫草亭でソラの手伝いをしながら、体を休めた。自分自身はなんともなく、心身ともに回復していた。でもクレインたちは約一ヶ月、格上のモンスターのいるダンジョンで一人だったということで、気を遣ってくれていた。
ルナは毎日どこかへ出かけていた。冒険者の仕事を続けているようだった。夕方に戻ってきては、クロウドに「体は大丈夫?」と聞いて、すぐに「別に心配してるわけじゃないけど」と付け加えた。
クレインは相変わらず無口だった。でも猫草亭の修繕が必要な箇所を見つけては、黙って直していた。ソラが「ありがとうね」と言うたびに「たいしたことではない」と答えた。
クロウドはそういう二人を見ながら、静かに思った。
(いい場所だな、ここも)
アッシュタウンとは違う空気があった。でも、居心地がよかった。
数日が経った頃、ギルドから使いが来た。
「ギルドマスターがお呼びです」
クロウドは頷いた。
今度は一人で向かった。
ギルドに入ると、ギルドマスターが待っていた。いつもの執務室ではなく、奥の部屋に通された。広い部屋だった。テーブルを挟んで、向かいに座った。
「先日の話、考えた」
「はい」
「三日、眠れなかった」
クロウドは少し間を置いた。
「……すみません」
「謝るな」ギルドマスターは腕を組んだ。「眠れなかったのは、それだけ考えさせられたということだ」
【二】
「結論から言う」
ギルドマスターは真っ直ぐクロウドを見た。
「お前に、信用銀行を作ってほしい」
クロウドは黙っていた。
「最初だけでいい。形を作ってくれれば、後はこちらでやる。資金はギルドから出す。国にも新事業として話を通す。お前はその仕組みを作る人間として、最初だけ関わってくれればいい」
クロウドはしばらく、テーブルの上を見ていた。
(思いもよらない話だ)
正直に思った。
利鞘ビジネスの話をしたのは、自分のお金を預かってもらうためだった。みんなが使える場所があればいいと思っただけだった。まさか、自分が作る側に回る話になるとは思っていなかった。
「……俺は、詳しい仕組みを知っているわけじゃないですよ」
「それでも、今ここでその仕組みを話せる者は他にいない」
「前世——いや、どこかで聞いた話の断片を繋げただけです」
「それで十分だ」ギルドマスターは言った。「お前が話した仕組みを、俺なりに整理した。預ける者には利子を払い、貸す者からは利息と元金を回収する。その差がギルドの利益になる。国の発展にも繋がる。間違っていないか」
「間違っていません」
「では——やってくれるか」
【三】
クロウドは少し考えた。
(できるか、俺に)
前世の記憶が流れ込んできた。
銀行の窓口に何度も行った記憶。通帳に数字が並んでいた。利息という欄があった。ローンの話を聞いた記憶。担当者が丁寧に説明していた。
仕組みはわかっていた。大枠は説明できた。
でも、実際に運営するのは別の話だった。
「一つ聞いていいですか」
「なんだ」
「俺は長くここにいられるわけじゃない。アッシュタウンに戻らないといけない。仕組みを作って引き渡すことはできますが、その後は俺なしで動かせる体制が必要です」
「わかっている」
「それと——この仕組みは、うまくいけば街の人の生活を変えます。でも、運用を間違えれば逆に苦しめることにもなる。貸し付けの条件、返済できない時の対応——そこを丁寧に決めないといけない」
ギルドマスターは黙って聞いていた。
「今更俺がいうことじゃないですけど。簡単な話じゃないですよ」
「わかっている」ギルドマスターは静かに言った。「だからこそ、お前に頼んでいる」
クロウドはしばらく黙っていた。
そして、にこりとした。
「わかりました。やります」
「……そうか」
ギルドマスターの顔が、少し緩んだ。
「報酬は別途出す。遠慮なく言え」
「じゃあ——」クロウドは少し考えた。「ミルガの冒険者ギルドで、俺とクレインの評判をよくしておいてください。いつかまた来た時に、仕事がしやすくなるので」
ギルドマスターは少し間を置いた。
「……金ではないのか」
「お金はもう十分あります」
ギルドマスターは低く笑った。
「……変わった奴だ」
「よく言われます」
【四】
猫草亭に戻ると、クレインとルナが夕飯の支度をしていた。
クレインが鍋をかき混ぜていた。ルナが野菜を切っていた。
二人で台所に立っているのが、不思議と自然に見えた。
「どうだった」ルナが振り返らずに聞いた。
「信用銀行を作ることになりました」
手が止まった。
二人とも、クロウドを見た。
「……何をしに行ったの」
「呼ばれたので行っただけです」
「呼ばれただけで信用銀行を作ることになるの?」
「なりました」
ルナはしばらく黙っていた。
クレインも黙っていた。
「……相変わらずだな、お前は」
クレインが言った。
クロウドはにこりとした。
「そうですか」
ソラが奥から顔を出した。
「まあまあ、ご飯にしましょ。話はご飯を食べながらでいいじゃないか」
テーブルを囲んだ。
温かいスープの匂いがした。
クロウドは椅子に座りながら、窓の外を見た。
夕暮れのミルガの街が、橙色に染まっていた。
(やることが、増えてきた)
でも——嫌じゃなかった。
むしろ、胸が動いていた。




