第二十二話「地上で待つ者たち」
【一】
クロウドが落ちた。
その瞬間のことを、クレインはずっと頭の中で繰り返していた。
分岐点。崩れる天井。ルナを引っ張って右へ飛んだ。左へ踏み込んだクロウドの足元が消えた。暗闇に、消えた。
「クロウドっ——!」
ルナが叫んだ。
クレインも叫ぼうとした。でも、声が出なかった。
ミノタウルスがまだいた。二人は走るしかなかった。走りながら、クレインはずっと後ろを見ていた。クロウドが戻ってくることを、どこかで期待していた。
戻ってこなかった。
ダンジョンの外に出た。
夕暮れだった。
二人は入口の前で、しばらく動けなかった。
クレインは踵を返した。
「戻る」
ルナが腕を掴んだ。
「待って」
「離せ」
「待ってって言ってるの」
クレインは振り返った。今まで見せたことのない顔をしていた。動揺していた。目が揺れていた。
「俺がいてこのざまか——」
声が低かった。自分に言い聞かせるような声だった。
近衛兵団にいた男が。何年も剣を持ってきた男が。あの子供一人守れなかった。
ルナはクレインの顔を見た。
それから、静かに言った。
「あんたが行って、どうなるの」
「——」
「道を塞いでるのはミノタウルスよ。あんたが下手なことして、このダンジョンから飛び出して街に来たらどうするの。今は諦めて」
諦めて——その言葉を言いながら、ルナ自身の胸が痛かった。
でも、言うしかなかった。
【二】
クレインは動かなかった。
ルナはそのまま続けた。
「人間にしては強いのはわかる。でも今は無理よ。ミノタウルスを相手に単独で突っ込んで何になるの」
「……」
「クロウドが落ちたのは事故よ。あんたのせいじゃない」
「俺のせいだ」
「違う」ルナは強く言った。「あんたはルナを守った。それだけよ」
クレインは黙っていた。
ルナも黙っていた。
入口の暗い口が、静かに開いていた。風が吹いて、中から冷たい空気が漏れ出してきた。
「……生きてるかな」
気づいたら、ルナはそう言っていた。
しばらく沈黙が続いた。
「私たちにもやることはある」ルナは続けた。「後ろ向きなことを言っても始まらない。あいつに後ろ向きな言葉は似合わないでしょ」
クレインは黙っていた。
そうだ——と思った。あの少年に、暗い言葉は似合わない。どんな状況でもにこりと笑って「なんとかなりますよ」と言っていたあの少年に。
「……生きている」
クレインが口を開いた。自分に言い聞かせるように、願うように、声に出した。
「生きている」
ルナも小さく繰り返した。
「……生きている」
二人の声が、夕暮れの空気に溶けた。
(私が誘ったから)
その事実が、ずっと胸に刺さっていた。
【三】
二人でギルドに向かった。
ギルドマスターに報告した。ミノタウルスが出たこと。封印が解かれていたこと。仲間が地下に落ちたこと。
ギルドマスターの顔色が変わった。
「ミノタウルスか……それは想定外だ」
「S級国家級でなければ倒せないと言われている存在よ」ルナが言った。「落ちた仲間の救助をお願いしたい」
「地下への道は——」
「ミノタウルスが塞いでいる。今すぐは無理」
ギルドマスターは腕を組んだ。
「……国に連絡する。S級冒険者の派遣を要請できるかもしれない。ただ、時間がかかる」
「どのくらい」
「早くて一ヶ月。遅ければ数ヶ月」
「遅すぎる」ルナは言った。「なんとかしてください」
「わかっている。だが——」
「わかっているならなんとかしてください」
ギルドマスターは押し黙った。急かされても、できることとできないことがある。それはルナもわかっていた。わかっていながら、急かすしかなかった。
「……最善を尽くす」
それしか言えなかった。ギルドマスターの表情を見れば、誠意があることはわかった。でも、それだけだった。
ルナは黙っていた。
何か言おうとして、言葉が出なかった。地下がどんな場所かは知っている。水があるかどうかもわからない。食料もない。普通なら——
「……あいつなら、なんとかする」
結局、それしか言えなかった。根拠はなかった。でも、そう思うしかなかった。
自分に言い聞かせるように言った。
ギルドマスターは頷いた。
「救助の手配はする。それまで、できる限りのことをしよう」
【四】
猫草亭に戻った。
ソラが二人の顔を見て、全てを察した。
何も言わずに、お茶を出してくれた。
ルナは椅子に座って、お茶を両手で持った。温かかった。
「おばあちゃん」
「なんだい」
「私が誘ったから、こんなことになった」
ソラはしばらく黙っていた。
「……ルナ」
「わかってる。事故よ。でも——」
「あの子は自分で決めたんだよ」ソラは穏やかに言った。「あんたに誘われたからじゃなくて、自分でやると決めた。それは本人が一番よくわかってるはずだよ」
ルナは俯いた。
クレインは窓の外を見ていた。
夜の街が、静かに光っていた。
「……待つしかないのか」
独り言のように言った。
ルナが顔を上げた。
「待つしかない」
それから、小さく付け加えた。
「でも——絶対帰ってくる。あいつは、そういうやつだから」
クレインは窓の外を見たまま、何も言わなかった。
でも、その横顔が——少しだけ、緩んだ気がした。
数ヶ月が、過ぎた。
ギルドからの救助隊は、なかなか来なかった。国への要請は出たが、S級冒険者の派遣は叶わなかった。返答は遅く、待つしかない日々が続いた。
ルナは毎日、ダンジョンの入口まで行って、戻ってきた。
クレインは猫草亭に居座り、ソラの手伝いをしながら、待った。
二人とも、諦めてはいなかった。でも——諦めることが、少しずつ頭をよぎり始めていた。
そしてある日、ギルドから連絡が来た。
S級は来られなかった。でも——A級冒険者が三名、駆けつけてくれた。タンク役の冒険者が二名加わった。
ダンジョンの入口に、七人が集まった。
A級冒険者三名。タンク役二名。クレイン。そしてルナ。
全員が、入口の暗い口を見ていた。
クレインは剣の柄を握った。
ルナは武器を締めなおした。
「行くわよ」
ルナが言った。
誰も答えなかった。でも、全員が一歩、踏み込んだ。
ダンジョンの冷たい空気が、七人を包んだ。




