第二十一話「地下の日々」
【一】
何日経ったのか、わからなくなっていた。
地下には昼も夜もなかった。光苔の薄青い光だけが、変わらずそこにあった。眠くなったら眠り、目が覚めたら動いた。それだけが時間の区切りだった。
クロウドは地下を歩き続けた。
進んでは戻り、また進んだ。頭の中に、少しずつ地図が描かれていった。
水の場所は三つ見つけた。壁の隙間から染み出す細い流れ、岩の割れ目に溜まった水溜まり、そして小さな地下川。地下川の水が一番きれいで、一番安心して飲めた。
食料はモンスターだった。
倒して、解体して、火で炙る。毎回同じだった。慣れてきた。最初は固くてまずいと思っていたが、腹が減れば何でも美味くなると、中村正義の記憶の奥から声がした気がした。
(そうだな)
そう思った。
モンスターを倒すたびに、あの丸い石が出てきた。全部懐にしまった。だいぶ重くなってきた。でも、捨てる気にはなれなかった。
上の階へ続く道も見つけた。
急な坂道が、上へ向かっていた。でも、途中で崩れていて、先には進めなかった。
(ここじゃないか)
別の道を探した。
地下は思ったより広かった。通路が複数あって、分岐があって、広間のような空間もあった。一つ一つ確認しながら、頭の中の地図に書き込んだ。
営業マン時代の記憶が、役に立った。
初めての取引先の周辺を歩き回って、道を覚えた。どの角を曲がれば近道か、どこに抜け道があるか——体で覚えることが、前世では習慣だった。
その習慣が、今ここで生きていた。
【二】
ある日、いつもと違う通路を進んだ。
壁が少し違った。石の色が古かった。光苔が少なくて、暗かった。
慎重に進むと、通路が広くなった。
そこに、何かがあった。
近づいて、息を飲んだ。
人の骸だった。
壁際に寄りかかるように、座っていた。鎧を着ていた。でも、鎧はボロボロだった。錆びていて、所々砕けていた。相当古いものだとわかった。
剣が、骸の横に置かれていた。手入れされた形跡があった。最後まで大切にしていたのだろうと思った。
クロウドはしばらく、黙って立っていた。
(ここで力尽きたのか)
いつの話かわからなかった。でも、この場所で一人、誰も来ない地下で——最後を迎えたのだと思うと、胸に何かが込み上げた。
骸のそばに、何かが落ちていた。
しゃがんで、拾い上げた。
小さな本だった。革の表紙が、ひどく傷んでいた。ページが湿気で固まっていたが、開けないことはなかった。
慎重に開いた。
文字が書かれていた。インクが滲んでいたが、読めた。
**リーニャへ**
**今思うとお前のいうことを聞いていればこんなことにはならなかったのだと、毎日後悔している。これから生まれる子供の出産祝いのために、火龍の巣を持ち帰ればと思ったが間違いだった。過信しすぎた……なぜまだ俺はこんなところにいるのだろ。もう足は動かない。すまないすまない。リーニャ、そしてこれから生まれる我が子よ。許してくれ。**
**——ガルド**
それだけだった。
短い文章だったが、読み終えた後、クロウドはしばらく動けなかった。
火龍の巣——聞いたことのない言葉だったが、レアな素材なのだろうとわかった。子供のために一攫千金を狙って、このダンジョンに来たのか。
(火龍……やばくないか、それ)
思わず内心で呟いた。
そして次の瞬間——
(……ここにいるのか?)
背筋が、少し冷えた。
クロウドは日記を閉じた。
懐にしまった。
「……外に出たら、届けてあげるよ」
小さく言った。誰にも聞こえない声だったが、確かにそう言った。
骸の前に膝をついて、手を合わせた。
しばらく、そのままでいた。
立ち上がった。
骸の装備を見た。鎧はボロボロで使い物にならなかった。でも、剣は違った。
持ち上げた。
重かった。でも、バランスがよかった。刃を見た。錆びていたが、砥石で磨けば使えそうだった。
今持っている剣より、一回り大きかった。リーチが長くなる。
「……借りるよ」
もう一度、手を合わせた。
剣を持って、歩き始めた。
### 【三】
地下での日々は、単調だった。
でも、確実に何かが変わっていた。
モンスターを倒すたびに、体が動きを覚えていった。一体目より二体目、二体目より三体目——毎回少しずつ、動きが洗練されていった。
線の見え方も変わっていた。
最初は濃い線だけが見えていた。でも、今は微かな線も見えるようになっていた。モンスターが動く前の、わずかな重心の移動——それが見えると、対応できる時間が増えた。
身体強化も、少しずつ使い方がわかってきた。
集中した瞬間に、体に力がみなぎる感覚。それが長続きしないのはわかっていた。でも、ここぞという瞬間に使えば、決定的な一撃になった。
傷の治りも、確かに早かった。
掠り傷なら一晩で消えた。深い傷でも、数日で動けるようになった。回復薬を大切に使いながら、自分の体の治癒力を信頼するようになっていた。
ある夜——夜かどうかはわからないが、眠る前のことだった。
クロウドは壁に背中をつけて、丸い石を手の中で転がしていた。
いくつ集まったか数えた。
二十三個だった。
色が少しずつ違った。透き通った白いもの、薄く青みがかったもの、ほんのり赤いもの——全部、同じように薄く光っていた。
(何なんだろうな、これ)
いまだに正体はわからなかった。
でも、手の中で光るそれを見ていると、不思議と落ち着いた。
上の世界を思った。
クレインとルナが、今頃何をしているか——
(諦めてるかもな)
そう思った。でも、それでいいとも思った。
諦めてもらっていた方が、悲しまずに済む。
自分が帰った時に、驚かせてやればいい。
(……絶対に、帰る)
それだけは、変わらなかった。
【四】
上への道を、また探した。
崩れた通路の横に、細い隙間があることに気づいたのは、何度目かの探索の時だった。
体を横にすれば、通れそうだった。
試した。
通れた。
隙間を抜けると、上へ続く緩やかな坂があった。
進んだ。
しばらく歩くと、見覚えのある壁の模様が見えてきた。光苔の広がり方、壁の石の色——上の階だとわかった。
でも、まだだった。
上の階に出ることはできた。でも、出口はまだ先だった。そしてあの広間への道には——ミノタウルスがいるはずだった。
(まだ、足りない)
クロウドは引き返した。
また地下に戻った。
まだ、ここにいる必要があった。もっと強くなる必要があった。
地下川の水を飲んだ。冷たくて、美味かった。
(もう少しだ)
そう思いながら、また歩き始めた。
光苔の薄青い光が、静かに照らし続けていた。




