第十八話「逃げろ」
【一】
ギルドへの報告は、翌朝行った。
入口の崩れた状況。スライムモスの出現。右の道の封鎖——全部、ルナが淡々と説明した。ギルドマスターは真剣に聞いていた。
「右の道の奥に結界の破損箇所があると思われます。次回はそこまで踏み込んで確認します」
「わかった。気をつけてくれ」
ギルドを出ると、ルナが言った。
「今日、もう一度行く?」
「行きましょう」クロウドは言った。「まだ日は高い」
クレインは何も言わなかった。でも、歩き始めていた。
二回目の潜入は、前回より慣れた足取りで進んだ。
光苔の薄青い光が道を照らしていた。スライムモスが二体出てきたが、ルナが素早く爪で仕留めた。
「さっきより多いわね」
「増えてますか」
「そう。昨日より確実に増えてる。結界の弱まりが進んでるってことね」
右の道へ向かった。昨日は崩れた岩で塞がれていた道だった。今日は三人で岩をどかして、奥へ進んだ。
道が狭くなった。天井が低くなった。光苔が少なくなって、暗さが増した。
「この先に結界の核があるはずよ」ルナが小声で言った。「壊れた結界の中心部。そこを確認できればギルドへの報告が完成する」
「どのくらい先ですか」
「わからない。地図がないから」
三人は慎重に進んだ。
【二】
しばらく進んだところで、道が広くなった。
広間のような空間に出た。天井が高かった。壁に古い文字が刻まれていた。光苔がほとんどなくて、暗かった。
その中心に——何かがあった。
石造りの台座だった。高さは一メートルほど。台座の上に、複雑な文様が刻まれていた。文様の一部が、砕けていた。
「これが結界の核ね」ルナが言った。「やっぱり壊れてる。地震で——」
その時だった。
地鳴りが聞こえた。
遠くから、重い足音が響いてきた。一歩、また一歩。床が、わずかに揺れた。
三人に、悪寒が走った。
同時に振り返った。
暗闇の奥から、それは現れた。
三メートルを超える巨体だった。人間の体に、牛の頭。両手に、巨大な斧を持っていた。体のあちこちに、古い鎖の痕跡があった。鎖は断ち切られていた。
ミノタウルスだった。
ルナが息を飲んだ。
「……こんなとこにいるはずが——」
目が、固まった。
それから、声が震えた。
「封印されてたってこと?ここの封印はダンジョンからモンスターが出ないようにしてたんじゃない。こいつを封印してたんだわ」
ミノタウルスがこちらを向いた。
赤い目が、三人を捉えた。
【三】
「逃げろ」
クレインが言った。
三人は走った。
ミノタウルスが動いた。一歩の踏み込みで、距離が縮んだ。巨大な斧が振られた。
風圧が来た。
斧が壁を叩いた。壁が砕けた。岩が飛び散った。
「速いっ」ルナが叫んだ。
クロウドは線を見ようとした。間の眼を使おうとした。
見えた——でも、違った。
人間の動きとは全然違った。線が太すぎた。速すぎた。見えても、体がついていかなかった。
(これは、次元が違う)
走るしかなかった。
来た道を全力で戻った。ルナが先頭で走った。猫族の俊敏性で、地面を蹴る音すら小さかった。クレインが後ろでクロウドを引っ張るように走った。
ミノタウルスが追ってきた。
足音のたびに、天井から砂が落ちてきた。
分岐点に差し掛かった。左と右に分かれる場所だった。
「左っ!」ルナが叫んだ。
その瞬間——
ミノタウルスが壁を叩いた。
轟音が響いた。天井が崩れた。岩が降ってきた。
クレインがルナを引っ張って右へ飛んだ。
クロウドは左へ踏み込んだ——
足元が、なかった。
地面が、崩れた。
(あ——)
落ちた。
壁に一度、当たった。また壁に当たった。何度か跳ね返りながら、落ちていった。
頭が、何かに当たった。
硬かった。
視界が、揺れた。
遠くで、声が聞こえた気がした。
「クロウドっ——!」
ルナの声だった。
それから——
暗闇が、広がった。
【四】
どのくらい経ったのかわからなかった。
意識が、ゆっくりと戻ってきた。
痛かった。体中が痛かった。頭が特に痛かった。
目を開けた。
暗かった。でも、完全な暗闇ではなかった。光苔の薄青い光が、遠くにわずかに見えた。
起き上がろうとした。足が動いた。腕が動いた。骨は折れていないようだった。
でも、頭が——ずきずきと痛かった。
クロウドは壁に寄りかかった。
上を見た。落ちてきた穴が、遠くに見えた。手が届く高さではなかった。
(随分、落ちたな)
声を出した。
「クレイン——ルナ——」
返事は、なかった。
静寂だけがあった。
クロウドは壁に背中をつけて、座った。
頭が、まだ痛かった。目を閉じた。
痛みの中で、何かが——浮かんできた。
靄の向こうに、何かが見えた気がした。
それは——今まで見たことのない、鮮明な記憶だった。




