「猫耳」
【一】
街の門をくぐった瞬間、声がかかった。
「ルナじゃないか!」
振り返ると、果物を売っていた老いた猫系獣人の女性が駆け寄ってきた。クロウドが抱きかかえているルナを見て、顔色が変わった。
「どうしたんだい、この子!」
「森で大ムカデに遭いました。毒で眠っています」
「大ムカデ——急いでおくれ、ついてきな」
老女は早足で街の中へ入っていった。クロウドとクレインは後を追った。
連れて行かれた先は、街の中ほどにある小さな店だった。
看板に「猫草亭」と書いてあった。
扉を開けると、薬草の香りがした。棚に瓶が並んでいた。調合道具が置いてあった。薬師の店だった。
奥から、白銀の髪をした老婦人が出てきた。ルナと同じ色の髪だった。猫耳も同じ白銀だった。
老婦人はルナを見た瞬間、顔を青ざめさせた。でも、すぐに落ち着いた目になった。
「二階に連れてきておくれ」
ルナを二階の寝台に寝かせた。
老婦人は手際よく毒の解毒薬を調合した。ルナに飲ませた。しばらくして、ルナの顔色が戻ってきた。
「大丈夫そうだよ」老婦人は言った。「眠っているだけだから、起きるまで待ちな」
クロウドは安堵した。
「よかったです」
老婦人はクロウドとクレインを見た。人間族だとわかった。でも、顔に嫌悪感はなかった。ただ、穏やかに見ていた。
「あんたたちが助けてくれたのかい」
「たまたま近くにいたので」
「たまたまで、大ムカデを倒せるもんじゃないよ」老婦人はにっこりとした。「ありがとうね。私はソラ。この子の祖母だよ」
「クロウドといいます。こちらはクレインです」
ソラはクレインの腕を見た。血が滲んだ包帯が巻いてあった。
「怪我してるじゃないか。見せておくれ」
「大したことない」
「男の人はみんなそう言う。座りな」
クレインは黙って座った。
ソラは手当てをしながら、ふと言った。
「そういえば、あんたたち、ここへ何の用で来たんだい」
クロウドは懐から書類を取り出した。
「薬草の運搬依頼で。猫草亭のソラさんへ届けるものです」
ソラは目を丸くした。それから、笑った。
「あらまあ。世間は狭いねえ」
【二】
薬草を納品した。
ソラは丁寧に確認して、報酬を支払った。
「実はね、最近この薬草の消費が早くてね。ギルドに依頼を出したんだよ」
「なぜ消費が早いんですか」
ソラの表情が、少し曇った。
「まあ、座りな。話すよ」
三人でテーブルを囲んだ。ソラがお茶を出してくれた。
「一ヶ月ほど前からね、この辺りで地震が頻繁に起きているんだよ」
「地震、ですか」
「それも結構大きいやつが。土砂崩れも起きてるし、地割れしている場所もある。山の方は特にひどくてね」
クロウドは聞いていた。
「それで、街のギルドに報告が上がってきているのがね——山の奥にダンジョンがあるんだよ。昔からある場所でね。普段はモンスターが外に出てこないようになっているんだが」
「結界、ですか」
「そう。でも地震で山が崩れたり地割れしたりで、その結界が壊れてきているみたいでね。ダンジョンからモンスターが出てきているという報告が相次いでいる」
クレインが口を開いた。
「大ムカデも、それか」
「そうだと思うよ。あの子が行く森は、山の手前にあってね。本来なら大ムカデなんて出る場所じゃない。山の奥にしかいない生き物だから」
クロウドは頷いた。
「だから回復薬の消費が早い」
「そう。怪我人が増えてるからね。街の冒険者たちも対応に追われているし、薬もどんどん消えていく。あんたたちが持ってきてくれた薬草は、本当に助かったよ」
ソラはお茶を一口飲んだ。
「ギルドでも、ダンジョンの調査依頼を出しているみたいだけど、なかなか引き受け手がいなくてね。危険だから」
「結界を直すことはできないんですか」
「それができれば苦労しないんだけどねえ」ソラは少し寂しそうに言った。「昔は山を守る術者がいたんだけど、今はもういなくてね。どうしたものかと、街みんなで頭を抱えているところだよ」
【三】
話が一段落した頃、二階から足音がした。
階段を下りてくる音。ゆっくりとした、少し覚束ない足取りだった。
現れたのはルナだった。
白銀の猫耳が、ぼんやりした表情の上でゆらりと揺れていた。目が半分閉じていた。まだ眠そうだった。
階段を下りきって、部屋を見回した。
クロウドと目が合った。
「……なんであんたがここに」
「依頼で来ました。偶然ここが目的地でした」
ルナは眉間に皺を寄せた。
「嘘くさい」
「本当ですよ」
「……信じられない」
ソラがにっこりとした。
「ルナ、この子たちがあんたを助けてくれたんだよ。大ムカデを倒してね」
ルナは固まった。
白銀の耳が、ぴくりと動いた。
それから、クロウドを見た。クレインを見た。また、クロウドを見た。
「……あんたたちが、倒したの」
「クレインとで、なんとか」
「……人間が大ムカデを」
「やばかったですよ、正直」
ルナはしばらく黙っていた。
白銀の耳が、少し赤くなった。
「……ありがとう」
小さな声だった。顔を背けながらだったが、確かにそう言った。
クロウドはにこりとした。
「どういたしまして」
「別に感謝したわけじゃないから」
「そうですか」
「そうよ。ただ礼儀として言っただけ」
「わかりました」
ルナはぷいっとそっぽを向いた。
ソラが笑っていた。クレインが小さく息を吐いた。
【四】
夕方、クロウドとクレインは猫草亭に一泊させてもらうことになった。
ソラが「遠路はるばる来てくれたんだから、泊まっていきな」と言ったのだった。
夕飯を食べながら、クロウドはダンジョンのことを考えていた。
結界が壊れている。モンスターが溢れ出している。誰も調査に行けていない。
(面白い話だ)
冒険者になったばかりの身だった。でも、こういう話に——なぜか、胸が動いた。
「クレイン」
「なんだ」
「ここのギルドに行ってみてもいいですか。明日」
クレインはしばらく黙っていた。
「……様子を見るだけだぞ」
「もちろんです」
ルナが箸を止めて、クロウドを見た。
「……まさか、ダンジョンのことを考えてるんじゃないでしょうね」
「少し気になっただけです」
「あんた、さっき倒せてラッキーだったって言ってたじゃない」
「言いました」
「なのになんで」
クロウドはにこりとした。
「気になったら、見てみたくなるんですよ」
ルナは呆れた顔をした。白銀の耳が、ぴんと立っていた。
「……人間って、変なのね」
「そうですか」
「そうよ」
でも——ルナの耳が、ほんの少しだけ、前に傾いていた。
猫が興味を持った時の耳の動きに、似ていた。




