第十四話「ギルドの依頼」
【一】
冒険者ギルドの掲示板は、壁一面に依頼書が貼り付けられていた。
討伐、護衛、採取、運搬——様々な依頼が並んでいた。クロウドはその中から一枚を引き抜いた。
**隣国への薬草運搬——薬師への届け物。報酬:銀貨三枚**
内容を読んだ。薬になる薬草を採取して、隣国の薬師に届ける。歩いて二、三日の道のりだった。
クロウドはにこりとした。
「これにします」
クレインが後ろから覗き込んだ。
「……薬草の運搬か」
「実はもう持ってるんですよ、この薬草」
クレインは眉間に皺を寄せた。
「なぜだ」
「以前、薬草採取の依頼をした時に、依頼主の薬師さんが『これは持っていて困るものじゃない』と言って分けてくれていたんです。今回の依頼を見た時にピンときました」
「……それをギルドに言うな」
「言いませんよ」クロウドはにこにこしながら言った。「それに、外に出てみたかったんです。クレインも一緒に来てもらえますか」
クレインはしばらく黙っていた。
「……荷物は自分で持て」
「もちろんです」
【二】
アッシュタウンの門を出たのは、朝早い時間だった。
石畳が土道に変わった。木々が増えてきた。空が広くなった。
クロウドは歩きながら、周りを見回した。
街の外は、思っていたより静かだった。鳥の声がした。風が草を揺らしていた。遠くに山が見えた。
(広い)
当たり前のことだった。でも、ずっとアッシュタウンの裏通りで生きてきたクロウドには、その当たり前がまだ新鮮だった。
「クレイン、あの山は何ていう山ですか」
「知らん」
「あの鳥は」
「知らん」
「クレインって意外と知らないことあるんですね」
「うるさい」
クロウドは笑った。
昼頃、川沿いの道に差し掛かった。水が透き通っていた。
クレインが足を止めた。
「昼にするか。釣りでもして昼の材料を調達するぞ」
「釣りですか」クロウドは川を見た。「やったことないです」
「今日やれ。薪を拾ってこい」
クレインは木の枝を折って、器用に釣り竿を作り始めた。
クロウドは薪を拾いながら、その背中を見ていた。
こういう人だったんだ、とまた思った。教えることが好きで、手先が器用で、無口だけど面倒見がいい——本来は、こういう人だった。
川で釣れた魚を焼いた。
美味かった。
夜は焚き火を囲んで話した。
「クレインは昔、こういう旅をしたことありますか」
「軍にいた頃、遠征はあった」
「楽しかったですか」
クレインはしばらく黙っていた。
「……悪くなかった」
「どんなところへ行きましたか」
「北の方だ。雪が積もる地域がある。夏でも溶けない山がある」
「見てみたいですね」
「冒険者になれば、いずれ行けるだろう」
クロウドは焚き火の炎を見た。
「クレインも一緒に来てもらえますか」
「……考えておく」
クロウドは笑った。この人の「考えておく」はだいたい「わかった」と同じだと、もう知っていた。
翌日の昼、クレインに野うさぎの捕り方を教わった。
「足跡を見ろ。どこへ向かっているか読め」
「これがクレインの言う『間』ですか」
「違う。これはただの観察だ」
「でも似てますよね。相手の次の動きを読む」
クレインは少し間を置いた。
「……似ているかもしれないな」
野うさぎを捕まえた。クレインが手際よく処理した。その夜の夕飯になった。
二日目の夜も、焚き火を囲んだ。
星が多かった。アッシュタウンより、ずっと多く見えた。
クロウドは空を見上げながら思った。
(こういう時間が、あったんだな)
ずっと日銭を稼ぐことだけを考えて生きてきた。でも、こういう時間も、世界にはあった。
【三】
三日目の朝、隣国の国境が近づいてきた。
道が森の中に入った。木々が密になって、光が届きにくくなった。
その時だった。
悲鳴が聞こえた。
女の声だった。
クロウドとクレインは顔を見合わせた。声のした方向へ駆けた。
森の中に入った。木の根を踏み越えて、茂みをかき分けて——
開けた場所に出た。
そこにいた。
クロウドは息を飲んだ。
見たことのない生き物だった。体長は三メートルを超えるだろうか。無数の足が地面を這っていた。足の一本一本が、刃のように鋭く光っていた。大百足だった。
その大百足の近くに、少女が倒れていた。
人間ではなかった。白銀の髪。頭の上に、猫のような耳が生えていた。腰の辺りに、細い尻尾が見えた——獣人族だった。
少女は起き上がろうとしていたが、体が言うことを聞いていないようだった。大百足の足が当たったのか、脇腹を押さえていた。
目が合った。
少女の目が、驚きで見開かれた。人間だと気づいたのだ。
「来ないで……もう無理よ。あなた達には——」
大百足が動いた。
クロウドは剣を抜いた。
線が、見えた。
(……人間以外でも、見える)
大百足の無数の足が動いていた。全部は見えなかった。でも——こちらに向かってくる足だけが、濃い線として浮かび上がった。それ以外は透けて見えた。どれが来るか。それだけが、はっきりと見えた。
左に跳んだ。
足が空を切った。
クレインが右から切り込んだ。大百足の胴体に剣が当たった。硬かった。弾かれた。
次の瞬間、大百足の足がクレインを薙いだ。
クレインは腕でかろうじて受けたが、勢いで吹き飛ばされた。木の幹に背中から激突した。
「クレイン!」
「……問題ない」
立ち上がったが、腕を押さえていた。血が滲んでいた。
大百足がクロウドに向いた。
線が見えた。こちらに向かってくる足が、濃く浮かび上がった。
左に跳んだ。足が空を切った。
でも、大百足の胴体が回転した。体当たりだった——線には見えなかった。
モロに受けた。
体が横に飛んだ。地面を転がった。息が詰まった。
(……でかい。力が違いすぎる)
起き上がった。体が痛かった。でも、動けた。
クレインが叫んだ。
「胴体は硬い。節の間を狙え」
「わかりました」
もう一度、線を見た。今度は足の軌道を読みながら、胴体の節の間を探した。
一つ、見えた——足と足の間に、一瞬だけ露わになる節の隙間が。
踏み込んだ。足の攻撃をギリギリでかわしながら、懐に入り込んだ。剣を差し込んだ。
大百足の動きが鈍った。
クレインが反対側の節を打った。血が滲んでいる腕で、それでも力を込めて打った。
大百足は断末魔のような音を立てて、動かなくなった。
森が静かになった。
二人とも、荒い息をついていた。
クレインはしばらく大百足を見た。それから、空を見上げた。
「……やばかったな」
普段は感情を出さない男が、そう言った。
クロウドも頷いた。「やばかったです」
クレインはクロウドを見た。体当たりを受けた脇腹が、じわりと痛んでいた。
「……お前、あの足の動きの中で節を見つけたのか」
「見えました。一瞬だけ」
クレインは黙っていた。
想像以上だった——口には出さなかったが、その目がそう言っていた。
【四】
クロウドは少女に近づいた。
少女はまだ地面に座ったままだった。脇腹を押さえていた。白銀の猫耳が、緊張でぴんと立っていた。
「大丈夫ですか」
少女はクロウドを見た。警戒している目だった。
「……人間が、なんであんな動きができるんだ」
「さあ」クロウドはにこりとした。「怪我はありますか」
「……脇腹が、少し」
「見せてもらえますか」
「触るな」
「傷の確認だけです」
少女はしばらくクロウドを睨んでいた。それから、渋々と言った具合に服をずらした。
擦り傷と青あざがあった。骨は折れていないようだった。大百足の足が掠った跡だった。
「助かった……ありがとう」
少女は素直に言った。顔を背けながらだったが、確かにそう言った。
「ルナという。獣人族の、猫族だ」
「クロウドです。人間族です」
「……見ればわかる」
クロウドは笑った。
その時、ルナの顔色が変わった。
「……なんか、眠い」
「毒ですか」
「大百足に、掠められたかもしれない——」
ルナの体が、傾いた。
クロウドは咄嗟に支えた。
ルナは眠りについていた。白銀の猫耳が、力なく垂れた。
クレインが近づいてきた。
「毒か」
「そうみたいです。街に急ぎましょう」
クロウドはルナを抱きかかえた。思ったより軽かった。白銀の髪が、クロウドの腕に広がった。
二人で、国境の街へ向かった。
森の木々の間から、隣国の街並みが見えてきた。
クロウドは抱きかかえたルナを見た。
猫耳が、かすかに動いていた。
(……獣人族か)
クレインが話してくれた世界の話が、少しずつ形になってきていた。
世界は広い——そのことが、また少しだけ、リアルになった。




